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第103踊 青春はポンジュースのように甘酸っぱい

文化祭の出し物が正式に決まったのは、ほんの数日前のことだった。


「天使と悪魔喫茶」


タイトルだけ聞けば突飛でファンタジック。でもなぜか、僕たちのクラスにはそれがしっくり来た。


女子たちはメニュー開発や衣装選びに夢中になり、男子たちは内装のアイデアを出し合っている。

「天国と地獄をテーマにしよう!」という案が通り、教室を半分に分けて、白くてふわふわの“天国”と、黒と赤で統一した“地獄”のブースを作ることになった。


「天国なら、ふわふわした雲の上にいるような空間がいいよね~」

「じゃあ地獄は、逆にダークで、照明も赤と黒のライトとか使ったら?」

「BGMはどうする?天国はクラシック、地獄はメタルとか?」


みんなの意見を絵が得意なクラスメイトがノートにラフスケッチを描いていく。ページをめくるたびに、まるで異世界のカフェが実体を持ち始めているようで、クラス全体が不思議な高揚感に包まれていた。


僕も内装チームの一員として手を動かしつつ、作業が一段落したところで、ふぅとため息をついた。


部活前の放課後の教室には、まだ誰かの笑い声が響いていて、ちょっと名残惜しかったけど、少しだけ一人になりたくて、渡り廊下の奥にある自販機の前まで足を運んだ。


手に取ったのは、紙パックのポンジュース。


この辺りではおなじみ、地元が誇るオレンジジュースだ。

みかんの甘さと酸味が絶妙で、どこか懐かしい味がする。

子供の頃、給食に出るとテンションが上がったことを思い出す。まあ今も子供なんだけどね。


「ん~、やっぱポンジュースだなぁ……」


ストローをブスッと刺して、一口飲んだそのときだった。遠くからパタパタと誰かが走ってくる足音が聞こえてきた。


「あっつい……って、あれ? 秋渡くん!?」


現れたのは、体操服姿のいづみだった。


頬が火照っていて、額にはうっすらと汗。髪をまとめたゴムが少しずれていて、スポーツ後特有の爽やかな雰囲気をまとっている。


「うそっ、居るなら言ってよぉ! 汗だくのままで来ちゃったじゃん!」


そう言いながら、自分の首筋や身体をクンクンと嗅ぎ始める。


「……ちょっと汗臭いかも。わ、わわ……」


「いや、気にするほどじゃないし」


「もしかして……秋渡くんって、汗臭い女の子が好きなタイプ?」


「なんでそうなるんだよ!」


「ふふっ、シャワー浴びせてって言ってるのに、お構いなしに襲ってくるタイプだ~」


「いないから、そんなやつ!」


「うわ~、顔赤くなってる~、図星だ~!」


「違うわ!」


いづみは楽しそうに笑っている。その笑顔は、まるで太陽のように明るくて、どこか見ているだけで元気をもらえる不思議な力があった。


僕はごまかすように、自販機でポンジュースを購入して彼女に差し出した。


「これ、飲む?」


「えっ、くれるの? やったー! ……でも、えーと、100円だっけ?」


「いいよ、疲れてるだろうし、いづみの笑顔に癒されたお礼」


「えぇ〜、私なんもしてないよ? ただ汗臭いだけだよ?」


「いや、いづみの笑顔に元気もらったし、独り占めしちゃったし」


その言葉に、いづみはふっと目を見開いてから、頬を赤く染めた。


「……じゃあこれは、秋渡くんだけの笑顔だね」


いたずらっぽく微笑むその表情に、思わずドキッとした。心臓の鼓動が跳ね上がって、僕は深呼吸して誤魔化した。一息ついたところでいづみに聞いてみた。


「文化祭、ダンス部も出るんだろ?」


文化祭は文化系の部活が出し物を披露してくれる場でもある。吹奏楽や演劇など様々な部活が今までの成果を披露してくれる。その中にいづみが所属するダンス部もあるのだ。


「うん! 文化祭は私たちにとっては大舞台だから。毎年恒例らしいけど、ちゃんと見てもらえるのは特別だもんね」


「楽しみにしてるよ。絶対見るから」


いづみは一瞬だけ何か考えるように目を伏せ、そして顔を上げ体育館の方に視線をやったまま、小さく息をついた。


「ねえ秋渡くん、ちょっと聞いてもいい?」


「うん、なに?」


いづみは、少し迷うように唇を結んだあと、ぽつりと呟いた。


「咲乃ちゃんってさ、幼なじみなんだよね。秋渡くんと。二人で話してると、自然っていうか……すごく、いい感じに見えるんだよね」


僕が何か言う前に、いづみは続ける。


「千穂ちゃんもさ、二人三脚のとき、すっごく楽しそうだったし……佳奈ちゃんも、リレーで一緒に走ったでしょ? なんかすごく、キラキラしてて」


「……いづみ?」


「麻里子ちゃんは……いつも通りグイグイ行ってるしさ。あの人、抜け目ないもん。あ、でも嫌ってわけじゃないよ? ちょっと羨ましいだけで」


そう言って苦笑するけれど、その目は少しだけ寂しそうだった。


「由美先輩も部活でずっと秋渡くんと関わってるし……」


そして、いづみはストローのついたポンジュースを両手で持ちながら、ぽつりとつぶやいた。


「……私だけ、遅れてるんだ。負けられないレースで」


その言葉に、なぜか僕の胸がぎゅっと締めつけられる。


「ずるいよね、みんな。なんでそんなに自然に仲良くできるんだろうって、私、時々思っちゃうんだ。私だってもっと知りたいし、話したいし、近づきたいのに……気づいたら、いつも後ろのほうにいてさ」


少しうつむいたいづみの横顔が、なんだかとても綺麗に見えた。

その瞳の奥にある悔しさや切なさが、まっすぐ伝わってくる。


「私、今回の文化祭……すごく頑張ってるんだ。というか、頑張らなきゃって思ってる」


彼女の声が少しだけ真剣になったのを感じて、僕は黙ってうなずいた。


「ううん、自分が一番わかってる。だから、この文化祭で私は決めるの。今までつけられてた差を埋める……ううん、むしろ追い抜くよ」


いづみはそう言って、僕の胸をトン、と指でつついた。


「だから……覚悟してよね?」


その声は冗談めいていたけど、瞳の奥は真剣そのものだった。

彼女の目は、冗談っぽさの奥に確かな決意が宿っていた。


「いづみ」


僕は息を吸って、しっかりと言った。


「俺は、いづみが遅れてるなんて思ってないよ。むしろ、いま一番輝いてるのはいづみだ」


「……ほんとに?」


「うん。体育祭のときも、そして今だっていつも全力で明るくて……僕、そういうとこちゃんと見てるから」


いづみは小さく笑ったあと、少しだけ真剣な顔で言った。


「……じゃあ、この文化祭、ちゃんと見てて。私のことだけ」


「うん。誰よりも見てる」


いづみは嬉しそうに笑って、残りのポンジュースを一気に飲み干した。


「じゃあ練習戻る! 本番はファンサいっぱいするからね!」


「変な動きはやめろよ」


「ふふっ。その“変な動き”で秋渡くんが恋に落ちちゃったらどうするー?」


「もう……落ちかけてるかもしれないけどな」


「えっ?」


「いや…なんでもない」


彼女はちょっとだけ目を丸くして、それから笑った。


「秋渡くんって、ずるい。そういうこと、さらっと言うの」


もう一度、僕の胸を指でトン、とつついてから――


「……じゃあ、楽しみにしてて。私、絶対いいとこ見せるから」


いづみはそういって耳まで赤くした顔を隠すように走っていった。体操服の背中が、夕陽に照らされて、少しだけ眩しく見えた。


その姿が見えなくなっても、胸の中に残ったのは彼女の言葉。


「この文化祭で、私は差を埋める……ううん、追い抜く」


僕はその言葉を、心の中で繰り返した。


彼女のダンスを、絶対に見逃さない。

そして、その笑顔を、これからもずっと見ていたいと思ってしまった僕は――


たぶん、もう、恋のレースのど真ん中にいる。

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