苦手を上回る魅力
宮殿の敷地にある王立博物館。
正式な名称は王立ジョセフ・ハウゼン博物館で、建国王の名を冠している。
東の森に近いエリアにあるこの博物館には、ハウゼン王国の歴史に関わる品々、様々な標本、文化財など多岐に渡り、収蔵されているのだけど。
その一画に、宰相の息子であるヘイスティングスは、私を案内したいというのだ。
ということで白地にライムイエローの水玉模様のドレスを着た私は、エバーグリーンのベストにズボンという軽装のヘイスティングスと待ち合わせ、入館料を払い、その場所へ向け歩き出した。ヘイスティングスと私の少し後ろを彼の従者と私の侍女がついて来ている。
宮殿内の博物館ということで、警備は万全。アン王女やローレンス王太子がいるわけではないので、父親は商会の仕事、母親は公爵夫人として社交を行っていた。つまり今日は同行なし。
「さあ、着きました。ローゼン公爵令嬢、ここには東の森で見つかった歴史に待つまわる物から、動植物、そして虫の標本が展示されています」
「! そうだったのですね」
博物館では恐竜の化石などに目が奪われ、日常的に目にしそうなものはサラッと見てしまう。東の森の展示も、確か蝶を見た記憶はあるが、それ以外はさっぱりだ。つまり虫なんて……スルーしていたと思う。
「ローゼン公爵令嬢、これらの虫は一見、古い屋敷のあちこちに潜む黒い虫に見えてしまうかもしれませんが、違います。クリケットの一種で、とても美しい鳴き声なんです。キャンプをしたら、この虫たちの見事な音色を楽しめますよ」
「そうなんですね。知らなかったです」
「愛好家はクリケット・ハウスというものを作り、そこでこの虫を飼うんですよ。その鳴き声を楽しむために」
全く知らなかった。驚く私にヘイスティングスは説明を続ける。
「これはビートルの一種で、多くが黒い色をしていますが……。東の森にいるビートルは、熱帯地方から持ち込まれ、繁殖したもの。実はカラフルで、金属のような色をしているんです」
そう言うとヘイスティングスは、持参していた本を広げる。そこにはメタリックなグリーン、ブルー、レッド、ゴールドと驚くような色合いをしていた。
「特に珍しいと言われるのは、パープルです。その美しい色合いは、ロイヤルパープルと呼ばれています。稀にオークションに登場すると、大変な値がつく。ゆえに一般観覧できる宮殿の庭園に入り込み、その足でこっそり東の森に忍び込む者が、以前は多くいたそうです」
ヘイスティングスは本を閉じ、展示されているビートルの標本に目を向ける。
「密猟を禁止するため、一般人の東の森の出入りは禁止されました。そしてこのカラフルなビートルがいることも、知らされないようになったのです。そのおかげで東の森は、ビートルにはパラダイスになりました。沢山の美しいビートルが、東の森にはいるのですよ」
「珍しいと言われるパープルのビートルも、見られるのですか?」
「ええ。いると思います」
さらにヘイスティングスは美しい蝶の標本の前で立ち止まる。これは私も見た記憶があった。確か名前は「ブルーグラス」。ガラス窓から見た青空のような翅をしていると。
「ローゼン公爵令嬢、その顔は……。この蝶を知っているようですね」
「はい。この博物館に来るのは初めてというわけではないので。綺麗な蝶だと思い、眺めた記憶があります」
「ブルーグラス。青い宝石の蝶と言われ、この翅は装飾品としても使われます。そうなるとビートルのように、乱獲されないのか。そう思いますよね?」
確かにその通りなのでこくっと頷く。するとヘイスティングスは六歳児とは思えないような顔つきで、メガネのブリッジを指でくいっとあげる。
「ブルーグラスは天敵から身を守るため、独特の進化を遂げているんです。蝶はふわふわと飛んでいるイメージがあると思いますが、ブルーグラスは違います。俊敏に飛ぶことが出来る。スピードもあるのです。まるでツバメのように」
ヘイスティングスは手を動かし、その動きを再現する。
「さらに幼虫の時、毒がある植物を食べているんです。蝶になってもその毒が残り、天敵に捕食される機会がうんと減ります。人間もブルーグラスに触れると、かぶれる。よってブルーグラスはビートルのようには乱獲されないんです。そして今も東の森の中で、その姿を楽しめます。離れた場所で不意に現れる青い宝石は、見応えがありますよ」
この後もヘイスティングスは東の森に暮らす虫について話してくれる。
それを聞いた私は……。
キャンプに参加したくなっていた。
虫は苦手……であることに変わりはない。
だがヘイスティングスが語る虫が、あまりにも魅力的だったのだ。
「害虫もいますが、そういった虫ばかりではない。それに虫も人間を好きとは限らないですからね。こちらも近づかないよう注意すれば、虫も寄ってこない。モスキートも人間の血を吸うのは産卵のためで、普段は花の蜜や樹液を吸っているんです」
一通り、ヘイスティングスから話を聞いた私は。
完全に心境の変化だ。
男性を寄せ付けずに生きる。
そう決意したが、ローレンス、ガイル、そしてヘイスティングスともどっぷり関わりを持ってしまっていた。もはやなかったことにはできない。
一度のキャンプで会う機会を減らしたところで、それ以降の招待を断ることはできないのだ。断ったところで、ほぼ意味がない。
それに虫は苦手だが、苦手以上に魅力を感じる虫が、東の森にはいる。
ならば。
「東の森にいる虫を見てみたくなりました」
「! ではキャンプに参加されるのですね!」
「はい。アン王女には改めて連絡します」
その心境の変化を聞いたヘイスティングスは、いつもの知的な雰囲気とは違い、思いっきり笑顔になった。そして――。
「その決断は正解だと思います。……それにこれでアン王女が笑顔になってくれます!」
そこで気が付く。
ヘイスティングスがこんなにも懸命に、東の森にいる虫について説明した理由。
それはアン王女のためだった。
彼はアン王女のことを……と。