怖い――
この世界は前世と比べ、物騒だった。
犯罪率が高い。
それでも私は公爵令嬢。
どこかへ出掛ける時は、ベティやトムなど誰かつき、警戒してくれる。
ゆえに刃物を、短剣を向けられるなんて、経験したことがなかった。
つまり今が初めてことだった。
その切っ先を向けられることが。
前世においても包丁などの刃物を向けられたことなど、なかったのだ。
よってそこは本能で。
怖い――と体が固まってしまう。
「ようやく大人しくなりましたね」
冷たく笑うアルロンを見るにつけ、後悔と共にローレンスの姿が浮かぶ。
彼は私が破滅にならない方向へ導いてくれていたのに。
私は自らゲーム世界の流れへ、邁進してしまった。
まさに自業自得。
だが知らなかったのだ。
ゲームにはない情報だから。
ラスボスであるアレクシスの父親がアルロンだなんて。
アレクシスを闇落ちさせる原因が、アルロンだとは!
アルロンの顔が近づき、キスをされると思ったが、首筋を強く吸われただけだった。
それでも嫌悪感が沸き起こり、体が勝手に拒絶反応を示す。
「だから無駄ですから」
突然、太腿を持ち上げられ、今まで一番大きな悲鳴を上げた時。
バンと音がして、部屋の入口のベールが揺れたと思ったら。
誰かが部屋に飛び込んできた。
室内の明かりが抑えられているので、咄嗟に誰なのか分からない。
だがすぐさまアルロンと部屋に入って来た男性が戦闘状態になり、ローソファの上の香炉が倒れたり、観葉植物が棚から落下し、壺が割れた。そこまで広い部屋ではない。私は頭を抱え、うずくまることになる。
それでも少し顔を上げ、確認すると、アルロンと戦闘を繰り広げているのは……。
エルフのような銀髪が揺れている。
一瞬確認できた目元のほくろ。
着ている明るいシルバーのスーツは間違いなく最高級。
何度となく、私を助け、でも私を避ける美貌の青年だ……!
彼は自身のつけているタイを外すと、それを武器にアルロンとの戦闘を続けている。
それはさながら前世のアクション俳優、ジェイスン・ステイサムが映画で見せた“ワイシャツ・ストリップ・アクション”さながら。つまりは着ているシャツを脱ぎ、相手の動きを封じたり、攻撃したりをするのだけど……。
美貌の青年はまさにそれをシャツではなく、タイで実現し……。
「うっ……」
アルロンの首をタイで締め上げ、気絶させた。
◇
まるで映画を観ているようだった。
アルロンはライアース・コロシアムで強盗を倒しており、間違いなく戦闘力があった。だが美貌の青年はそれを上回ったということだ。
本当に何者なのか。
「「お嬢様!」」
ベティとトムが部屋に飛び込んできて、その後ろに制服姿の男たちが続いている。
彼らはきっと帝都警備隊の人間だ。
つまりは前世で言うところの警察組織。
ハウゼン王国にも王都警備隊というのが存在しており、どこの国にも治安を守る組織として、警備隊は存在していた。
その警備隊の人間が気絶しているアルロンに駆け寄り、ベティとトムが私の所へ来て、そして――。
あの美貌の青年は、またもこの場を去ろうとしている。
「待ってください!」と私はその後を追う。
だがいつもの黒髪と金髪の二人の男が、彼との間に立ち塞がる。
また私は彼の名を聞けず、御礼もろくに伝えられないのか。
そんな繰り返しは嫌だった。
「「お嬢様!」」
止めるトムとベティを無視し、黒髪と金髪の男性の間をすり抜け、私はついに美貌の青年に追いついた。
「待ってください。話を」
その瞬間、振り返った青年は、これまでの無表情から一転。
なんとも胸に迫る表情をすると、私の手を掴む。
そのまま鉄製のらせん階段を、私を連れ、上っていく。
キイィィィという金属の音と共に、鉄製の扉が開くと、そこは屋上だった。
いきなり星空の海に飛び込んだ気分になる。
私と向き合う形になった美貌の青年。
タイがなく、シャツのボタンは激しい戦闘で外れたのだろう。
鎖骨がはっきり見え、その様子からも、スラリとした長身だが、鍛えられた躰を持っていることが伝わってくる。
「!」
唇に滲む黒い塊。
戦闘中に唇を切ったに違ない。
星空の下なので黒く見えているが、あれは血だ。
私はハンカチを取り出し、彼に駆け寄る。
「私のために怪我をさせてしまい、申し訳ありませんでした」
そう言ってそっとハンカチで傷を押さえる。
すると彼はハンカチを持つ私の手をすっと握りしめた。
そしてため息と共にささやく。
「ローゼン公爵令嬢。申し訳ない気持ちがあるなら、全てを打ち明けてくれるかな」






















































