我慢の限界
「こちらです」と案内されたドアは、軽くノックの後に、スタッフの手で静かに開けられた。
中に入ってすぐ、天幕のようにベールがあり、透けた布越しにアルロンの姿が見える。
だがしかし。
室内の明るさは、一階よりも暗めに設定されている。
しかもエキゾチックな香の匂いが室内に広がっていた。
なんだかとてもムーディに感じる。
そしてアルロンは椅子ではなく、ローソファに足を伸ばし、腰を下ろしていた。
砂漠の民は絨毯を敷き、そこにクッションなどを置き、座るという。
それを再現すると、床に直接座ることになるが、さすがにドレスを着ていると座りにくいからだろう。
高さの低いローソファを置くことで、砂漠の文化を再現しているようだ。
スタッフが去るのに合わせ、ソファから立ち上がったアルロンは、私が座るのを手伝ってくれる。
改めてローソファに座ると、個室で二人きりという状況。
しかも隣同士で座り、アルロンが近い。
心臓がドキドキとしている。
「ローゼン公爵令嬢」
「は、はいっ!」
「先程の言葉の意味を考えたのですが、あなたはもしかして政略結婚なのですか?」
「!」
アルロンは真剣な瞳で私を見ると、こう問いかける。
「“聖女の涙”は真実の愛の象徴でもあるのです。それを贈られ、身に着けていたということは、てっきり相思相愛だと思ったのですが……。違うのではないですか? 本当はあなたは王太子を好きではない。彼から逃げたいと思っているのでは?」
これにはもう息を呑む。
「王太子を好きではない」――ここは……頷けない。
ローレンスのことが決して嫌いなわけではないのだから。
だが。
「彼から逃げたいと思っているのでは?」――これには大いに頷きたい。
「わたしを利用するのでも構いません」
「え?」
「王太子から逃げたいのであれば、わたしは最適ではないですか?」
なんと言えばいいのか。
心を読まれているみたいで、ドキドキが止まらない。
だってその通りだから!
「王太子の婚約を覆すには、同等、もしくはそれ以上の権力者が必要でしょう。わたしは皇太子なので、まさに同等。国力に関しては拮抗しています。どっちもどっち。ただ、あなたと王太子の婚約はまだ公にされていない。内定の段階であれば、覆すことが出来ます」
私の思うところをアルロンが話してくれていた。
ゆえに今の私は黙って彼の言うことに耳をそばだてる。
「ただ、“聖女の涙”を贈るぐらいですから、王太子は本当にあなたのことを好きなのでしょう。ゆえに言質だけで覆すのは、難しいかもしれません」
「私は正式に婚約しているわけではありません。ですから皇太子殿下と婚約するのでも大丈……」
「通常はそうですが、きっとあなたを心から愛している王太子は、覆そうとするはずです。旅先であなたをわたしがたぶらかした――なんていいがかりで」
さすがにローレンスは、そんなことをしないと思った。
彼の性格からして、それはないと。
「ただ婚約するだけではダメなので、こうなったら既成事実を作るしかないでしょう」
「え、き、既成事実!?」
「そうです。帝国の法律では、社交界デビューが終わった令嬢は成人女性として認められます。そこはハウゼン王国も同じですよね?」
それは同じなのでコクリと頷く。
それよりも既成事実って……!
「であれば問題ありませんね。ローゼン公爵令嬢は成人女性。手順を覆すことになりますが、公にはまず婚約したことにして、早々に式を挙げましょう」
「!? え、ど、どういうことですか!?」
「つまり先に男女の関係を持つということです。あなたの純潔をわたしに捧げてください。その上で、婚約をしましょう。妊娠の可能性も出てきますので、式は早々に挙げる。そうすれば帝都民にもあなたは純潔を保持したまま、わたしと結婚したと思われるので、問題ありません」
この提案は衝撃だった。
まさかそんな方法をアルロンが思いつくとは思っていない。
「クロウは護衛騎士であり、優秀な部下でもあります。わたしの意図を組み、きっと時間稼ぎをしてくれるでしょう。つまりチャンスは今しかないと思います」
「!? それは……」
「今、ここで関係を結びましょう。このような場所であることは本意ではありません。ですが結婚式の夜はベッドに薔薇を敷き詰め、ロウソクを灯し、ロマンチックな演出をお約束します。今はこれで我慢してください」
そう言うとアルロンが私の両腕を掴んだ。
これには盛大に驚き「ま、待ってください」と声が震える。
確かにローレンスを回避するため、アルロンと婚約したいと考えていた。
その婚約の先に結婚式があり、そして男女の営みがあることは理解できる。
でも今は婚約も何もしていない状況。
しかも心の準備なんて、一切できていないのだ。
それなのに、いきなり!?
「!」
二階の窓に見たことがある小動物の姿が見える。
白いリスだ……!
どうしてこんな場所に!?
私の視線を追い、アルロンがチラリと窓の方を見るが、すぐにこちらへと視線を戻す。
「ローゼン公爵令嬢、よろしいですか?」
「え、そんな、性急過ぎます」
「ですがチャンスは今しかありません」
「でも」
だがアルロンは私をそのままローソファへと押し倒す。
「大丈夫です。わたしに身を委ねてください」
「そういう問題ではなく、待ってください」
アルロンのことを両手で押し返そうとすると――。
両手首を掴まれ、ローソファへと押し付けられる。
その瞬間。
懇願しているのに、我を通そうとするアルロンに恐怖を感じた。
顔を引きつらせた私は、もう一度説得を試みる。
「こ、皇太子殿下、お願いします。心の準備をさせてください」
するとアルロンは「ぷっ」と吹き出して笑いだす。
まるで我慢の限界、というように。
「公爵令嬢、腹を括ってくださいよ。あなたの理想とする皇太子を演じてあげたでしょう」






















































