伝説
アルロンは、私が彼の婚約者目当てでライアース帝国に来たわけではないと思ってくれている。
でも、それはなぜなのか?
「どうしてそう思うのか――それの答えですが、それはこれです」
そう言ったアルロンが腕を伸ばす。
その手は私の頬に触れ――。
その指は私の耳に触れている。
耳。
そう、耳に。
なぜ耳?????
「この碧い宝石。わたしは実物を見たことがあるわけではありません。ですがこれは“聖女の涙”と言われる宝石では?」
アルロンの指は、ローレンスがくれたイヤリングに触れていた。
そして“聖女の涙”。
初めて聞く。
「その表情だと、どうやら知らないようですね。でもそれは無理のないこと。でも一度は聞いたことがありますよね? “聖女伝説”については」
それはさすがに知っている。
前世の創世記のようなもので、この大陸は天より降り立った一人の聖女により創られたという伝説だ。
「聖女は人間が繁栄するのを見届け、天に戻られたと言われています。ですが聖女は人間を愛していたので、別れ際、涙を流した。その涙が宝石となり、地面にこぼれ落ちた。落ちた先は――残念ながら我が帝国ではなく、ハウゼン王国だと伝えられています」
「そうなのですね。知りませんでした……」
「古い話ですし、聖女伝説も教科書では一文しか登場しません。ましてやその聖女の流した涙の宝石なんて……気にしているのはハウゼン王国の王家ぐらいでしょう」
つまり“聖女の涙”と言われる宝石を手にしたのは、ハウゼン王国の王族ということだ。
「王家はその“聖女の涙”の宝石を使い、イヤリング、指輪、ティアラを作ったそうです。代々王妃となる女性は国母でもあり、聖女の遣いと考える風習が、ハウゼン王国の王族の間では残っている。ゆえにプロポーズの際に、まず“聖女の涙”の宝石を使ったイヤリングを贈る。次に結婚式で指輪を。王妃として即位した暁にティアラを贈るそうですよ」
これには背中に汗が伝う。
ローレンスが私にプロポーズをするかもしれない――とは思っていたが、本人からはまだ何も言われていない。だがもしこのイヤリングが本当に“聖女の涙”の宝石で作られたものなら……。
ローレンスはフライングしている!
プロポーズをする前に、イヤリングを既に贈っているのでは!?
でも“聖女の涙”という宝石。
とても貴重なもののはず。
これは本物ではない……可能性もある。
そんな思案をする私にアルロンは話を続ける。
「聖女信仰は既に廃れ、今は主の教えが第一になっています。大陸共通の認識は一神教ですから、聖女伝説に関わる話はあまり公になりません」
これは実に分かりやすい。
前世のヨーロッパでも同じ。
昔は多神教だったが、その考えは淘汰されていた。
その一方で、神だったはずの土地神が、悪と見なされ、新たなる神に屈することになる――なんて神話は沢山存在している。
「ハウゼン王国でも“聖女の涙”の宝石の件は、表立って語られることはありません。よほどの歴史マニアでもなければ知らないことでしょう」
「ライアース皇太子殿下は、よくご存じですね」と言いかけて呑み込む。アルロンは皇太子なのだ。いずれ皇帝に立つ身。聖女伝説は大陸共通の話であり、そこから一歩踏み込んだことぐらい知っていて当然なのだろう。
それを踏まえ、私はアルロンに尋ねる。
「ライアース皇太子殿下は“聖女の涙”と呼ばれる宝石、実物を見たことがないのですよね? これが本物とは限りませんよね」
「ええ、おっしゃる通りで、本物は見たことがありません。ハウゼン王国の現王妃が婚約された時。そして結婚された時。私はまだ生まれていませんからね」
つまり婚約式や結婚式で“聖女の涙”を使った宝飾品を王妃は身に着けていたかもしれない。でも生まれていないアルロンは見ていないし、私だって知らない話だ。
実物を見てはいないが、アルロンは……。
「確かに実物は見たことがありません。ですが文献に書かれた特徴。挿絵として描かれていたものとそっくりなんですよ」
そう言うとアルロンは、イヤリングを撫でる。
その指が耳たぶに触れ、私はなんだか落ち着かない。
「ハウゼン王国の王族の皆様は、“聖女の涙”と同じような瞳をお持ちです。ただの碧さではありません。人を魅了するような、実に美しい瞳。“聖女の涙”もよく見るとその中心部に、瞳孔を思わせる一際強い輝きがあるそうです」
そう言うとアルロンが不意に顔を近づける。
内緒話を耳元でするような距離にアルロンの顔が近づき、私は体がビクッと震えてしまう。
「太陽光を受けた時、キラッと見えたのですよ。その輝きが。そこはもう直感というか本能で分かりました。これは“聖女の涙”なのではないかと」
今、アルロンはその輝きをより近くで見るために、私に顔を近づけていた。
そうとは分かるが、彼の香水が香り、息が耳にかかっている。
男性とのこの至近距離。
慣れているわけではないので、心臓が止まりそうになっている。
「!」
ベティが暴れ、アルロンの護衛騎士クロウがその口を押さえ、トムが羽交い絞めにしている姿が見えた。
遠くから今のアルロンと私を見れば、頬にキスでもしているように見えるのかもしれない。
だがアルロンは帝国の皇太子。
はっきりキスをしていると分からないのだから「落ち着いてください」ということで、クロウとトムがベティを制しているのだろう。
「やはり本物だと思います」
そこでようやくアルロンの顔が離れ、私は脱力する。
まさに腰を抜かしそうになり、アルロンが私を抱きとめた。






















































