飲めば若返る、飲めば夜も元気、飲まないと損する……
ライアース帝国の宮殿での舞踏会。
他国の舞踏会に参加するのは勿論、初めてのこと。
ただ、それだけでも緊張する。
緊張すると言えば……。
「何気に舞踏会、初めてなんですよ」
黒のテールコートを着たトムは、なかなかにハンサムなのに、その顔は緊張し、少し引きっている。
一方のベティは男爵家の三女。社交界デビューは経験済みなので、クリーム色のドレスを着て落ち着いた様子だ。
緊張するトムと私、落ち着いた様子のベティを乗せ、馬車は宮殿を目指している。
「お嬢様。ハウゼン王国で舞踏会と言えば、ワルツですよね。でもライアース帝国はポルカがメインだそうです。軽快で明るくリズミカルなポルカが好まれるのは、ライアース帝国が年間を通して涼しい気候だからでしょうか。体が温まるから……かもしれません」
馬車の中に漂う緊張感をほぐすように、ベティが舞踏会について話し出す。
私はすぐさまそれに応じる。
「優雅なワルツに対し、ポルカは活気もあり、カジュアルな雰囲気よね。ハウゼン王国では舞踏会がより厳格な社交の場よね。でもライアース帝国では堅苦しさがなく、男女が気兼ねなく談笑できるような場なのかしら? だから皇太子もそこで婚約者探しをしている……?」
私の問いに「そうだと思いますよ!」とトムが声を上げる。
「女性に声を掛ける時、澄ました顔をされたり、ツンとした表情をされると、男は腰が引けるんです。笑顔だったり、柔らかい雰囲気を醸し出されていると、話しかけやすい。きっとライアース帝国の舞踏会は、そんな気軽な雰囲気なんじゃないですかね。そう思うと……僕の緊張も解けて来ました!」
笑顔や柔らかい雰囲気……。
なるほど。
皇太子とお近づきになるには、笑顔と柔らかい雰囲気を出した方が良さそうね。
……あれ、でも、このドレス。
柔らかい雰囲気というよりセクシー路線でなんだか違うような……。
そんなことを思っていると宮殿に到着。
そう思ったらエントランスは大混雑だ。
それもそうだろう。
招待状なしでも入場できるのだから。
「少し歩くことになりますが、ここで降りてエントランスホールまで行きましょうか」
ベティの提案に同意し、馬車から降りる。
ここからはトムにエスコートしてもらうことになるのだけど……。
「トム、左手と左足が同時に出ているわよ」
「やっぱり緊張しています、僕。だってお嬢様をエスコートしているんですよ!?」
ぎこちなく私をエスコートするトムと歩いていると。
「なんて美しいレディなんですか!」
突然声を掛けられ、さらにトムが緊張する様子が伝わって来る。
「初めまして、麗しきレディ。ボクはライアース帝国を代表する貴族の一人、シンジアーと申します! シンジアー商会、ご存じありませんか? 飲めば若返る、飲めば夜も元気、飲まないと損するシンジアーの水!の、あのシンジアー商会のシンジアー男爵です!」
前世のサルバドール・ダリを彷彿させる、ハンドルバーの髭。
オールバックにした髪に、黒のテールコート。
口上を聞くだけでも胡散臭い水を売る、シンジアー男爵なる男性が、声を掛けて来た。
「お見受けするに、こちらの男性、全くエスコート慣れされていない様子。つまりは下手くそ。ここはこのシンジアーめが、美しき令嬢をエスコートした方が良いかと」
エスコートが下手だと指摘されたトムは、ショックで魂が抜けている。本人も決して上手いとは思っていないのに、こうもストレートに指摘されたらショックだろう。
「シンジアー男爵、初対面なのに失礼ですよ。それにお嬢様は由緒正しき公爵家の令嬢です。エスコートはお断りします!」
トムをバカにされたベティがキレた。
だが。
「そちらは随分とまぁ、勝気な侍女ですねぇ。公爵家の侍女とは思えません! ですが安心してください! このシンジアーの従者は、どんな猛獣女でもエスコートできる、頼もしい漢なので」
そこでずいと現れたのは、身長二メートルはありそうな大男。
着ているテールコートのボタンは、今にも弾き飛びそうだ。
そしてこの大男が突然、ベティの手を取り、歩き出す。
ベティは驚くも、ここで悲鳴を上げては変な注目を集めてしまう。
騒ぎを起こせば、入場できない危険もあると気を遣ったようだ。
つまり悲鳴を呑み込んだ。
「トム、ベティが大変よ! 呆けている場合じゃないわよ!」
私が喝を入れるとトムはハッとして、ベティ救出へ向かう。
すると――。
「ではレディのことはボクが!」
シンジアー男爵がニマニマしながら私に手を伸ばす。
その手を見ると……。
舞踏会で男性が着用するべき白手袋をつけていない!
「さっきからその背中、そそるんですよね~」
シンジアー男爵に、背中を素手で触れられることを想像すると……。
嫌悪感で悲鳴を上げそうになってしまう。
まさにその時。
私の肩をふわりと優しく抱き寄せ、伸ばされたシンジアー男爵の手を、パシッと払いのけた男性の手が見えた。ちゃんと、白い手袋を着用している。
「なんだ、貴様!」
シンジアー男爵はその男性を睨んだ。
私も振り返りその男性を見るが……。
童話に登場するエルフのような銀髪に鋭い眼光。
目元のほくろは優美で、何よりも圧がある。
着ている黒のテールコートの上質さ、仕立ての良さ。
タイに飾られているのは、ダイヤの最高峰ブルーダイヤモンド。
どう考えても、とんでもなく地位が高い人物に思える。
その結果。
シンジアー男爵は、血統書付きの高貴な犬に睨まれた野良犬状態になり、「なんだ、貴様!」の後が続かない。まさに尻尾を丸め、撤退した。
「「お嬢様!」」
ベティを連れ、トムが戻って来た。
どうやらトムは本来の護衛兼従者としての役目を果たし、ベティをあの大男から連れ戻すことに成功したようだ。
「お嬢様、大丈夫でしたか!? あの胡散臭いシンジアー男爵は!?」
「あ、それはこちらの紳士が……」
そこで振り返るが、シンジアー男爵をひと睨みで撃退した青年は……。
いない。
キョロキョロと見回すが、エントランスホールへ向かうこの通路には、沢山の貴族がいる。身長が高かったので、見つけられると思ったが、見つけられなかった。
そこで通りすがりの紳士に助けられたと話し、気を取り直す。再びトムにエスコートされ、エントランスホールへ向かうことになったが……。
本日二度目。
見知らぬ男性に助けられた。
でも二人とも名乗ることなく、私の前から消えてしまう。
せめて御礼の言葉を伝えたかった……。






















































