未完の出来事への未練
「またどこかでお会いすることがあれば、それは運命かもしれません。その時は名乗りましょう」
シルクハットの貴公子はそう言っていたが。
帝都は大都市。
帝都民だけではなく、今の季節は避暑で訪れている多くの観光客もいるのだ。
偶然の再会なんて、まず無理だろう。
つまり。
人との出会いは一期一会。
それまで点と点で離れていた人間の人生が出会ったその時。
縁を紡がなければ、二度目なんてない。
そして私はその縁を逃してしまった。
人はチャンスが目の前に転がっているのに、それに気づかず、通り過ぎてしまうことがあるという。
まさに今の私のように。
あの貴公子との再会はない。
そして二度と会えないことで、さらに彼が特別視され――。
忘れられなくなっている。
「お嬢様、そろそろ戻りますか? 今晩は宮殿の舞踏会へ顔を出すのですよね?」
「ええ、そうね。そうだったわ。そろそろホテルへ戻りましょうか」
昨日はライアース・コロシアムを観光し、そこで強盗に遭遇し、その後聴取に協力。終わった後は遅めのランチをとると、お土産屋などがある通りを散策して終了だった。そして今日は気を取り直し、帝都美術館へ午前中に足を運んだ。美術館に併設されたカフェで昼食を摂り、午後は美術館の隣にある帝都博物館を見学。博物館は広大過ぎて、とても一日では回り切れない。全部見て回るには一週間はかかると言われていた。
ということで古代遺跡コーナーでベティに声を掛けられ、ホテルへ戻り、舞踏会の準備をしないかと言われたわけだ。
この時の私は「あ、もうそんな時間なのね」という状況。
美術館にしろ博物館にしろ、一緒に観覧しているベティやトムに何か言われれば、「そうね。この時代にしては斬新な構図よね」「初めて見たわ、こんなポーズの彫像」なんて尤もらしく答えていたが。それは上辺の感想に過ぎない。
頭の中ではあの貴公子のことが気になっていたのだ。
そして気になってしまう理由を私は知っている。
大学で心理学を少しかじったことがあるからだ。
ツァイガルニク効果。
端的に言えば、未完の出来事に対する未練だろう。
御礼も言えず、名前を聞けず、二度と会うことがない別れをした貴公子への未練だ。
好き、とか、嫌い、とかの感情以前で、気になっていた。
「お嬢様、ドレスはどちらになさいますか?」
心あらずのままホテルへ戻り、ドレスへの着替えが始まろうとしてた。
いつまでも未練がましくしても意味がない。
これから私は自分の生存をかけ、皇太子と出会う必要があるのだ。
そこで私を好きになってもらい、プロポーズを受けなければならないのだから。
しっかりして、私!
「この碧いドレスにするわ」
オフショルダーのそのドレスの碧さは、まるでローレンスの瞳のよう……。
そこでハッとする。
謎の貴公子のことをようやく頭から振り払ったと思ったら、ローレンスのことを思い出すなんて!
ローレンスは最大限の努力で回避すべき相手なのに!
「やっぱりその碧いドレスはやめて、紺色のドレスでもなく……そうだわ! ワイン色のドレスがあったわよね? 背中がV字型に大きく開いた。あのドレスにするわ!」
そのドレスは落ち着いた色ではあるが、背中のデザインがアグレッシブなドレスで、これまで一度も着たことがなかった。オーダーメイドではない既製品で、店頭で見た時は、そこまで背中の開き具合が気にならなかったのだ。
しかもこの日、試着室は混雑していた。よってサイズを確認し、かつセール品なので、見た目買いをしてしまったのだけど……。
屋敷に戻り、試着してみると、あまりにも背中が大人っぽい! 「今の私が着るには少し早いわ!」と、クローゼットの奥にしまっていたのだ。
まさにこれは前世の私が出てしまったと思う。
公爵令嬢にあるまじき、セールでの衝動買い!
そして買ったはいいが、着ることがないドレスで、「安物買いの銭失い」だった。
だが今回。
確実に皇太子のハートを掴む必要がある。
多少の色仕掛けも必要なのではないか?
少なくとも大勢いる令嬢の中で、目に留めてもらうには。
これぐらいの露出、必要最低限では?
「こちらでございますよね? 背中がかなり開いているデザインですが、こちらでよろしいのですか? 確かお嬢様は、この背中のデザインが無理とおっしゃっていたと思いますが……」
「た、確かにそうよ。でも私も社交界デビューを果たした大人の女性だもの。そろそろこんな大人っぽいデザインのドレスを着てもいいと思うのよ」
ベティは「なるほど」と言いながらも、こんなことを言う。
「このドレスを舞踏会で着たと王太子殿下が知ったら、衝撃を受けそうですね。『このドレスは僕の前だけで着て欲しいな』と」
ローレンスなら絶対言いそうだった。デビュタントでも、私が他の男性とダンスするのを阻止しようとしたぐらいなのだから。
意外と独占欲が強いようだ、ローレンスは。
でもそれは、それだけ私を好きだということであり……。
そうではない!
「殿下は王都にいるのよ。私がこのドレスを着ようが、気がつかないわ。大丈夫!」
こうしてようやく着て行くドレスが決定した。






















































