スラム・インプール
魔法使いの住む家はスラム・インプールの元々は団地であったであろう区画にある。
褪せたオレンジの瓦に暖炉用の煙突、湿ったように黒い木壁にはひび割れた窓が2つ付いていた。
魔法使いは小さな蜘蛛をそこで飼っていて、毎日小さな虫を餌としてあげていた。
ちなみに名前もあって右側の窓にいるのがクゥちゃん、左側の窓にいるのがラァ君だそうだ。
家の中は案外広く、どこもやわらかなカーペットが敷かれていた。
ズラリと並ぶ背の高い本棚、入りきらない本はカーペットに無造作に置かれていた。
その他にも実験器具、巻物、星見球、アンブラとセイバーが持ってくる魔物の素材で部屋は片付いているとは言えなかった。
魔法使いは「クソジジイ」だとか「陰湿ジジイ」とか呼ばれているようで、本当の名前を知っている者は誰一人としていないようだ。昔は宮廷に仕えていた、昔は英雄と呼ばれるような冒険者だった等の噂も信憑性は低いだろう。今言えることは、重要な街の設備を修理したり死にかけの住民を治療していて、魔物の素材を集めている「変わり者」ということだ。
そんな変わり者の魔法使いは4年前から2人の助手を自らの家に住まわせている。
1人は人間の少年アンブラ。
スラム・インプールのずっと東、地図にも乗っていないほの小さな村からやってきたという。
東部の人間によく見られる地味な茶髪で身長も平均的。
普通じゃないと思ったのは弱い18とは思えぬやつれた顔だった。
一切光の無い目、その下には跡になるような酷い隈。骨が浮き出るほどに痩せた頬はまともな食事がとれていないのだと容易に判断出来た。
もう一人はセイバーと名乗るゴブリンだった。
緑色の肌に褪せた赤髪が少し生えていて身長は人と比べるとかなり低い。
人と同じ言葉を話せるようでやや発音の可笑しい言葉を話していた。
魔法使いは何かに役立つことがあるかもしれないと思い、2人に食事に与えた。
2人はそれから食事のお礼だというように家事、街の修理、素材集めなど魔法使いの手伝いをするようになった。歳を取り、体が動くなってきた魔法使いにとってそれは本当に有難かった。
街の修理をする過程で、スラムの住民にも少しずつ2人は受け入れられた。
アンブラとセイバーがスラム・インプールに着いてから4年の歳月が流れ、魔法使いは2人を家族のように大事に思うようになった。
「いつものコーヒーに商人から買った牛乳を淹れてみたよ、皆で飲もう」
「ありがとう、じい」
「アリガトウゴザイマス!ジイ!」
「…ふふふ」
3人は暖かなコーヒー牛乳を堪能した。
「美味しい、体が暖まるよ」
「そうですネ!ワタシこれダイスキデス!」
「…ふふふ、今度街の皆にもお裾分けしに行こうか」
「うん!そうしよう!」
「賛成デース!」
スラム・インプールは様々な、本当に色々な理由で居場所を失った人が死に場所を求めてたどり着く街だ。
しかし十数年前、街に魔法使いが住み着いたあたりから居場所のない人の「死に場所」ではなく居場所がない人の「最後の居場所」になったという。
スラム・インプールは相変わらず汚くて食料も少なく陰気臭い場所だ。
しかし住民は時折語らい、死んでしまった者を悲しむことができるようになった。
家族を失い自暴自棄になった男は、親を失った子どもの親代わりになった。
奴隷として扱われることが当たり前だった少女は、元貴族の男と婚約し街全部を使い盛大に式を挙げた。
傷を負った者たちは、傷の痛みを知っているからこそ相手を尊重することができた。
現在のスラム・インプールは居場所のない人が過ごす最後の楽園と言えるだろう。
しかし最後の楽園を是としない者もいる。
最後の楽園はたった1人の悪意によって、滅びを迎えようとしていた。