一か月後に死刑が決まっている公爵令嬢と声が出ない男
ムーンライトに籠りきりだったので久しぶりになろうに投稿しました。
別サイトからの再掲ではありますが、楽しんで頂けると幸いです。
轟々と燃え盛り火花を散らす塔を尻目に、私は異色の彼に手を差し出した。
「貴方、私のところに来る?」
ボロボロの布を纏った彼は言葉を発することなく、ただ私の掌に自分の掌を重ねた。
私は一か月後に死刑が決まっている。
理由は私の両親である公爵とその夫人の悪事が暴かれたからだ。
いや、正確には悪事をでっち上げられた、が正しい。両親は貴族の振る舞いとしては可もなく不可もない行動しかしていなかった。程々に贅沢をし、領民に対しては酷使することなくかといって特別何かを施すこともなく、他の貴族たちと何ら変わらない生活だったように思う。
しかし、私や私の両親の存在を良く思わない第二王妃やその実家であるビオンド公爵家が「ナクリント公爵家は贅を尽くし領民を苦しめている」と証拠まで偽造し、結果的にナクリントの直系一家は死刑となった。
普通ではその程度で死刑などありえない。しかしこの国の法律はまだ精密な成文化はされておらず、議会や国王の裁量に依るところがまだ大きい。しかも、今のこの国で国王の権力は弱体化しており、反対にビオンド公爵家の派閥が勢力を伸ばしている。一方でナクリント家は国王派の派閥の筆頭を担っていたので、国王の権力の弱体化に比例してナクリント家も議会での影響力を失っていったため、死刑判決を覆すことが出来なかった。
しかし、両親も国王も抵抗しなかったわけではない。両親の死刑はすぐに決行する代わりに、私の死刑は一か月先に引き伸ばさせることとなった。
建前としては、猶予の一か月の間に公爵位の相続権を分家に引き継いだり、領地経営の引継ぎをしたりと、曲がりなりにも公爵家直系だったナクリント家を畳むためには時間が必要だ、という話だ。私はそれに納得したし、まだ家を継いでいない小娘一人を残すことは脅威にはならないと判断され、その妥協案が受理されたことも理解できる。しかし、私に一か月の猶予を与えた両親と国王の真意は分からないままだ。
三日前、民衆の群がる広場の中央で、顔を強張らせて断頭台に上る両親の姿を見て、私は「人の首って案外あっさりと切れるのだな」としか思わなかった。自分が悲しまなかったことに驚きすらした。
ただ、首が落ちる瞬間に両親が私に向けた視線の意味を、私はまだ読み取れずにいる。
夜も更け月光の輝く時間になっても眠れずにいた。
バルコニーに出て月光を頼りに明日使う書類を見返していると、屋敷からそれほど遠くない距離にある塔から炎が漏れ出ているのが見える。
「なに……? なにかあったの?」
塔の近くには民家もあり、塔と民家の間は草花で覆われているため燃えやすい。被害が広がったら大変だと思い、私はローブを羽織り様子を見に行くことにした。向かう途中で消火を領民に頼もう。
確かに私は一か月後に死ぬが、それまでは公爵代理の立場だ。立場あるものなら、この領地や領民を守る責務がある。
愛馬をこの時間に起こすのは忍びないが、緊急事態だ、仕方がない。
私は就寝用の薄手のドレスにローブを羽織っただけの簡単な恰好で、一人夜闇に踏み入れた。
そして、燃え盛る塔の前で、私は彼に出会ったのだ。
月光を吸い込んだような美しい銀髪に、この国では珍しい褐色肌と夜闇を溶かしたような深い青色の瞳を持つ、異色の彼に。
私は彼の容姿の特徴に覚えがないわけではなかったが、だからといって追及する気はなかった。彼がどうして塔の前にいるのかやどうして彼の着ている服が平民のそれよりもボロボロなのかなど、不可解な点はいくつかあったが、私はあえてそれらの疑問を無視することにした。
私が彼を拾いたいと思ったのだ。残り一か月の命を彼の為に費やしたいと思ったのだ。
理由はそれだけで十分だった。だから、地面に座り込んでいる彼に手を差し出した。
「貴方、私のところに来る?」
彼は差し出した私の手をじっと見て、そのあと私の顔を凝視して、私の瞳から視線を逸らさないまま私の掌に自身の掌を重ねた。
石造りの堅牢な塔から炎が揺らめき火花を散らせている。紅蓮の炎が放つ暴力的な光が暗闇を照らし、私は目が眩むような気がした。
「立てる? 怪我はしてない?」
彼の手を握ったまま聞くと、彼は声を出すことなくこくりと頷いて立ち上がった。見たところ外傷もないし大丈夫だろう。
――――その後、領民たちが水を持ってきて無事消火されるまで見届けてから、彼を馬の後ろに乗せて屋敷へと向かった。
屋敷に着いてからすぐに彼に湯浴みをさせ、屋敷にある新しい服を着させて、執務室に連れていった。
その間、彼は私の指示や質問に対しては首を振るか頷くかしかせず、声を発することはなかった。
「貴方、名前はなんていうの?」
彼は私の質問に返事をせず、困ったように俯いた。
「声が出せないの?」
彼が頷く。
「なら、文字は書ける?」
机の上に紙とペンを用意して差し出すと、彼は迷いなく手に取って筆を進めた。言葉が分からないわけではないし、読み書きもできることを踏まえると、声が出ないのは心因性だろうか。
渡した紙にはこう書かれていた。
『名前はない』
「名前がない……? ならどう呼ばれていたの?」
彼が私の質問を受けて書き足す。
『決まった呼び名はなかった。塔には俺の世話係がいたが、『あなた』としか呼ばれなかった』
つまり、彼は自分の名前を持っていないということだろう。
「そう……、じゃあ、私が貴方に名前を付けるわ。いい?……とその前に、失礼、私が名乗ってなかったわね。私はディレンカ・ナクリント。ディレンカと呼んで」
紙にディレンカ・ナクリントと書いて見せる。
『ディレンカ、よろしく。ディレンカがいいなら俺に名前を付けてほしい』
彼は紙にそう書いた後、彼はその瞳に私を映した。
彼の瞳をじっと見る。先ほど見た時は夜闇の中だったから深い青に見えたが、灯りのある部屋の中で見ると明るい青色だと分かる。まるで勿忘草のような、晴れた空の色だ。
「ミオソティス、はどう? 他国の言語で勿忘草という意味よ。貴方の瞳の色が、まるで勿忘草のようだったから」
それに、彼には私のことを覚えていてほしいから、とはあまりにも身勝手な理由だから伝えなかったけれど。
『ミオソティス、良い名だ。ありがとう』
彼は私の真意を知らずに、先ほどまで無表情だったその顔を少し綻ばせて目を細める。気に入ってくれたようだ。
「ミオソティス、明日から私は貴方に様々な教育をしていこうと思っているわ。それは、私がいなくなってからも貴方が一人で生きていくためでもある。けれど、嫌なら無理にとは言わない。どうする?」
彼は一度置いていたペンを再び取って即答した。
『ぜひお願いしたい』
そして暫し躊躇う(ためらう)ようにして筆を空で動かして、彼の中で言葉が纏まったのかやがて筆が進み始めた。
『ディレンカは一か月後にどこかに行くのか? 俺は一緒についていくことはできないのか?』
ミオソティスはそう書いて、迷子のような不安そうな双眸で訴える。塔の前にいた時はそんな目をしてはいなかったのに、どうして私にはそんな目を向けるのか。
やはり一か月後に死ぬワケありな家の女に拾われるのは迷惑だったかと罪悪感で胸が焦げ付くような痛みを覚えつつ、毅然とした態度を保つ。
「私は一か月後に死ぬの。死刑が決まっているわ。だからミオソティスのことを見守れるのは一か月間だけ。……ごめんなさいね」
ミオソティスは音もなく驚いて、視線を彷徨わせ狼狽えている。
彼は震えた手で紙にインクを落とした。
『貴女は何か悪いことをしたのか?』
「……悪いことはしてないわ。強いて言うなら、何もしていなかったのが悪かったのかもしれないわね」
両親や自分の無罪を証言してくれる人をもっと増やすことが出来ていたら、そのためにもっと善行を行っていたら違ったのかもしれない。
しかし、そんなことを考えたところで両親は戻ってこないし、私の死刑ももう覆せないところまで来ているのだから、後悔したってもう遅い。
『では何故ディレンカは死ななければならない?』
ミオソティスが眉間に皺を寄せて走り書きをする。その字は彼の怒りが反映されて幾分か荒くなっていた。
彼を宥めるために、私はミオソティスの髪を撫でる。月光色の彼の髪は手触りが良く、彼は狼のようだなんてふと思った。
「私のために怒る必要などないわ。ねえ、もう今日は疲れたでしょう?」
私は彼からペンを取り上げて片付け、彼の指についたインクを拭ってあげてからミオソティスを彼の部屋に案内した。
彼は私の背後にぴったりと寄り添いついてくる。もう少し離れて歩いても迷子にはならないと思うが、彼がそうしたいならそうしていればいいと思ったので指摘はしなかった。
屋敷一階の突き当たって右側の扉を開ける。
ベッドやテーブルなど、一通り家具は揃っているなんの変哲もない客室だ。
「私の部屋は二階の階段上がって三つ目の右側の扉の部屋だから、何かあったら呼んで頂戴ね。明日は九時に起こしに来るから」
私がそう言い終えて部屋を出ようとすると、彼が私の服の裾を掴む。
「どうかした?」
ミオソティスは勿忘草色の瞳を瞬かせて、自分でも戸惑ったようにして私の裾から手を離し、首を振る。
何もないならいい。私は彼の不可解な動きを深く捉えず、「おやすみなさい」と言い残して彼の部屋を去った。
翌日の朝、私が起床して部屋の扉を開けると、彼は扉に寄りかかっていたらしく背もたれを失ってそのまま床に倒れたのだった。
彼を拾った日から二週間が経った。
あの朝なぜ彼が私の部屋の前にいたかというと、どうやら眠れなかったのだそう。かといって扉を叩いて私を起こすのも忍びなく、扉の前に座り込んでいたら寝落ちてしまったらしい。
床で寝させるわけにはいかないし、風邪を引かれても困るので、それからは夜はベッドが二つある客室に二人で寝ることにしたのだ。私がいると彼が眠れるようになる理由はよくわからないが、特別不都合はないし理由は追及しなかった。
毎日ミオソティスに勉強や武術や家事を教えながら、ナクリント家を畳む準備を進めている。
既に使用人たちには全員に他家への紹介状を書いて、全員が次の勤め先を見つけたので解雇した。そのため、この屋敷の家事は全て私とミオソティスでやらなければならないのだ。
私は花嫁修業の一環で習っていたため料理は元々できたが、他の家事は両親の死刑が決まってから使用人に教わった。最初の頃は不慣れで色々と失敗が多かったが、今ではそれなりに一人で生活できるくらいにはなった。否、今は二人だが。
ミオソティスも、私がいなくなったら仕事も住む場所も自分で見つけて生活しなければならない。
そのため、二人して慣れない家事にも取り組んでいるというわけだ。
晴れた日の昼下がり、昼食を食べ終えた後、私は自分の仕事をしながら彼に勉強を教えていた。
彼は読み書きや簡単な計算は私が教える前から既にできた。
それがなぜなのか、塔の中での生活が一体どんなものだったのか、気にならないわけではなかった。しかし、私がそれを知ったところで私が何かできるわけではないだろうし、私は彼と深い関係になるつもりはなかった。私のことを覚えていてほしいと思う反面、彼に『大切な人が死刑になる』という経験をさせたくはなかった。私が死ぬことに対して必要以上に恐怖を抱いてほしくはないのだ。
だから、私は彼に塔の中でどんな生活だったかを聞くことはない。きっとこれからも、死ぬまでないだろう。
彼が今勉強しているのはこの国の法学だ。平民として今後生活するなら必要ないかもしれないが、彼は平民として生活する程度に必要な学は全て身に着けてしまったのだ。
それに、私が生きている間なら私が紹介状を書けるから貴族の家の家庭教師として雇ってもらう道だってあるし、もっと勉強すれば隣国の宮廷の文官の一般公募を受けることだってできる。
「そろそろ休憩にしましょうか。ミオ、私はクッキーと紅茶を持ってくるから、その間にテーブルの上を片づけておいて」
私たちは愛称で呼び合うようになった。私はミオソティスをミオと呼び、彼は私をディーと呼ぶようになった。呼ぶ……と言っても、彼はまだ声を出すことが出来ず、紙に書くだけだが。
キッチンで紅茶とクッキーを用意して、執務室に戻る。
ミオは既にテーブルの上を片づけ終えていて、筆談用に常に手元に置いてある紙とペンだけがテーブルの上に残されていた。
『ディー、ありがとう』
「どういたしまして。お茶にしましょうか」
二人分の紅茶を注ぎ、クッキーを摘まみながらミオの話を聞くことにする。
「今日はどこまで覚え終わったの?」
ミオはクッキーを咀嚼しながら片手にペンを握る。少々行儀は悪いが、彼がコミュニケーションを取る手段はこれしかないのだから仕方ない。
『この国の法は全て覚えた。国際法はまだ手を付けられていないが、明日には取り掛かれるはずだ』
本当に想像以上のスピードだ。一か月も経たないうちに私が教えられることはなくなるかもしれない。
「すごいわ、ミオ」
素直にそう褒めると、ミオははにかんで月光色の髪をふるりと揺らした。
「ねえ、オラント国の文官の試験を受けてみる気はない? あの国の文官はいつも人手不足だから、優秀な人材ならいつでも受け入れているそうなの。ミオならきっとうまくやれると思うわ。どう?」
ミオは瞬きをして、私をじっと見た。
『文官になれば、ディーの死刑を覆せるか?』
「それは……」
私は黙って首を振った。視界の端に自分の黒く長い髪が映る。
ミオを隣国の文官にと考えているのだって、この国の宮廷とあまり関わらせたくないからだ。ミオには争いに巻き込まれない人生を歩んでほしい。だから、この国ではなく隣国のオラント国の文官をわざわざ選んだ。ミオはオラント語も既にマスターしたから、受けようと思えばすぐにでも受けられるはずだ。
しかし、私の思惑とは裏腹に、ミオは私が首を振ったのを見て顔を顰めた。
『ディーを救えないのなら意味がない。ディー、この屋敷に帝王学を学ぶための書物はあるか?』
ひやり、と嫌な予感が背筋を伝った。
私は目を伏せて、深く息を吐く。
それでも、彼が望むなら、きっと私に止める権利などないのだろう。私にできることは、ただ抗わず運命に身を任せることだけだ。
ゆっくりと目を開くと、私のバイオレットの双眼は、『王になりたい』と書かれた紙を映した。
彼を拾ってから三週間ほどが経った。
ミオソティスは一人で出かける日が増えた。午前中は私と剣術や馬術の鍛錬をするが、昼食を食べたらどこかに行ってしまうことが多い。私はあえて行先は聞いていない。夕食までには帰ってくるから身の危険を心配するほどではない。それに、なんとなく心当たりはあるし、私が知ったところで私には関係ないからだ。
ミオソティスは毎日出かける前に私に『行先を聞かないのか』と問いかける。
そのたびに私が「貴方の行動を縛る気はないわ」と伝えると、彼はむっとした顔をして、唇の動きだけで「行ってくる」と言って出ていくのだ。
私の死刑の決行日まで丁度あと一週間に迫った日の夜、ベッドに入り眠りに就こうとしたら、ミオが私のベッドの横に跪いた。
「なあに?」
ミオは私の手を掬い取って、私の手の甲に指で文字を書いていく。
『ディーは』
しかし、私の愛称を書いて彼の指は止まってしまう。
私はミオソティスの頭を撫でて、きゅっと寄せられた眉根を指先で解した。
「泣かないで」
『泣いてない』
ミオは慌てて自分の瞼を触って確かめてから私の手の甲に走り書きする。
「ふふ、そうね、泣いてないわね。……どうしたの?」
私は寝転んだまま彼に笑いかける。
ミオは私を眼を合わせて、無理やり決心をつけたようにして今度はゆっくりと丁寧に文字を綴った。
『ディーは死ぬのが怖くないのか?』
そんなの、私には一択しか答えを用意されていない。
「怖くないわ」
私が表情を変えず悠揚に明答すると、ミオは今度はくしゃりと顔を歪めて本当に泣きそうな顔をした。
「俺は怖い」
相変わらず彼の声帯が空気を揺らすことはなかったが、そう彼の唇が動いたような気がした。
私の死刑三日前の朝、屋敷に物々しい客が来た。
「ナクリント家息女、ディレンカ・ナクリントは貴女ですか?」
玄関扉を開けると黒い礼服を来た男が三人いて、私の前に立ち塞がった。
「そうですわ。……そろそろ、牢の方に行かなければならないのですね」
彼らが小さく頷く。
「犬にお別れをしてきても良いでしょうか? 逃げることを懸念されるようでしたら、付いてきてもらっても構いません」
犬、と貴族の女性が口にする時、言葉通りの犬という動物の場合と、召使や愛人を指して犬と称する場合がある。彼との関係を探られたとしても彼が殺されることがないように、私は今回そう濁した。
男たちは顔を見合わせ、視線で意思疎通をしたのか、一人の男が答える。
「いえ、私たちはここで待機しています。出口は全て塞いでいるので、くれぐれも」
「ええ、逃げませんわ。ああそれと、着替えなどはそちらで用意してくださるのかしら」
「簡単なものでしたら」
「じゃあ当日の着替えは持って行かないとね。最後くらいは華々しく美しく散りたいですもの。とびきりのドレスを持って行かないと」
由緒あるナクリント公爵家令嬢として、爪の先まで誇り高くあるように。
幼い頃厳しく教育されたことを思い出しながら、黒服の男たちに嬌笑を見せ、長い黒髪を翻した。
ミオはキッチンで食器を洗っていた。
彼は私がキッチンの入り口に立ったことに気づくと、食器を置いて手を拭き私に駆け寄ってくる。
「ミオ、ごめんなさい。もう時間切れみたい」
ミオは激しく動揺し、ポケットに入れていたメモ帳とペンを取り出すと何かを走り書きした。
『死刑は三日後なはずだ。なぜもう行かなくてはならない?』
「死刑は三日後で合ってるはずよ。三日前から行かなければならない理由は私にも分からないけれど、おおかた前日になって逃げられたりしたら困るから、とかじゃないかしら」
ミオソティスはもう一人で生きられるくらいなんでもできるようになったから私がいなくても大丈夫だし、一か月の猶予だって元々なかったはずのものだ。私としては、あと三日死刑を早められたとしても文句はない。
ミオソティスは焦燥や怒りを露わにして、拳を固く握りしめて彼の褐色肌を赤黒くしている。
「ミオ、貴方は気にしなくていいのよ。私の死刑は決まっていたことだもの。最期までミオの声を聞くことができなかったのは少し残念だけれど、最期の一か月間を貴方と過ごせて良かったわ。ありがとう、ミオソティス」
ミオは私の腕を掴もうとして、それが得策ではないことを悟り、ゆっくりと腕を下ろした。
そしてミオはその手を自分の喉に持っていき、声を出そうと力んだが、彼の喉はひゅうひゅうと空風の音を鳴らすばかりで、ついぞ空気を振動させることはできず咳き込んだ。
「ミオ、いいのよ、充分だから。……じゃあ、私はドレスを取ってきてから屋敷を出るわね。それじゃあ、さようなら。もし私のことを嫌いじゃないのなら、私の死刑を見に来ないでくれると嬉しいわ」
ふふ、と茶化すようにして笑みを貼り付けて彼の勿忘草色の瞳を見つめた。
何故だか、気を抜いたら泣いてしまうような気がした。死ぬことを怖いなどとは思っていなかったはずなのに不思議だ。
眉根を寄せていた彼が唇を動かして沈黙を発した。
私はその言葉を拾うことが出来ずに、ただ目を伏せてミオソティスの前から立ち去った。
牢は質素な作りだったが、しかし夕食は豪勢だった。最期の晩餐というものだろうか。だとしたらやはり死刑の決行日が早められたのだろうか。
「あの異端児、やっぱり死んでなかったのね……! 早くあの小娘を殺さなきゃ、早く!」
「殿下、ですから明日には……」
「今すぐよ! 今すぐ!」
少し遠くから甲高い女性の声と困り果てたような男性の声が聞こえてくる。
女性の声には聞き覚えがあった。第二王妃だ。
しかし、漏れ聞こえてくる話の限りでは、どうやら状況が変わったらしい。
「ナクリント嬢、出てください」
「あら、もう行かなくてはならないの? せっかくドレスを持ってきたのだから着替えたいわ」
悠長に、ともすれば能天気なほどに。死を恐れない気高さと自分のペースを崩さない傲慢さを見せ、私は公爵令嬢らしさを演じる。
男は渋る。あのヒステリックな王妃の反感を買い、自分まで巻き添えで殺されるのではと怯えているのだろう。
「ねえ、いいでしょう? どうせ逃げられないわ。すぐ済むから待っていて頂戴な」
私は男が何か言う前に牢の中にあるカーテンを閉め、着替え始める。
男は大きな溜息を吐き、「早くしてください」と吐き捨てた。
勿忘草色の光沢のある生地に銀色で刺繍をしてあるドレスを着て、手錠をつけられて断頭台のある広場へと連行される。
夜だというのに広場には民衆が大勢集まっていて、公開処刑というのは庶民にとっての娯楽なのだろうとぼんやり思った。
断頭台への階段を上る私を何十対もの目が刺す。その中にミオソティスの目がないことに私は安堵した。
喧騒が鼓膜を揺らすけれど、粗雑に混ざり合っているせいで個々人が何を話しているのかまでは聞き取れない。
断頭台が良く見える最前列の中央には豪華な椅子が置かれており、そこには第二王妃が焦ったような表情で座っていて、周りを近衛騎士が取り囲んでいる。
私が断頭台の目の前までくると、でっち上げられた私の虚偽の罪状が読み上げられる。
「そんなのいいから早く殺してしまってよ! でないと」
「ディレンカ!」
背後から、滑らかで低い声が私を呼んだ。
その声の主が誰かを確かめようと振り返る前に、声の主は私を腕の中に引き寄せて抱きしめた。
「第二王妃、第二王子、およびビオンド家当主は、虚偽の罪状をでっち上げナクリント家当主夫妻を殺害、ナクリント家令嬢を殺害しようとした。さらに十五年前、第一王妃を暗殺し、私、第一王子レイフィリオ・バスティゲートをも暗殺しようとした。その証拠は全てここにある!」
ミオソティス、否、レイフィリオ第一王子は彼の片手にある分厚い紙の束を掲げる。
レイフィリオ王子の鋭い声が広場を一瞬沈黙に落とし、一拍置いて第二王妃を囲んでいた近衛騎士たちが第二王妃を捕らえた。
もしかして、私がここに来る時には既に手回しが済んでいたのだろうか。
鮮やかな逆転劇に思考が追い付かず、彼を見上げる。
「ミ……、いえ、第一王子殿下。これは一体……」
「ディー、君にはこれまで通りミオと呼んでほしい。それと、詳しい説明は王宮に行ってからする。混乱させてしまってすまない」
「いえ……」
私は彼にジャケットを掛けられて、抱き寄せられたまま広場を立ち去った。
ナクリント家を陥れようとしたのは第二王妃である。つまり、第一王妃が他にいるということになる。否、正確には”いた”。
第一王妃は大国の姫で、その国の人種は褐色肌の人種が多数を占めていた。
現国王陛下は王太子だった頃外交でその国を訪れ、第一王妃と出会ったらしい。
王族では珍しい恋愛結婚だったが、身分のつり合いも取れていたため周囲から祝福されたそうだ。そして生まれたのがレイフィリオ王子だ。
しかし、ビオンド家はそれを良しとせず、現第二王妃との結婚をしつこく打診し、結果国王陛下は現第二王妃とも政略結婚をすることになる。
第一王妃は大国の姫といえどもこの国の中ではアウェーだったため、第二王妃から嫌がらせを受け続け、最終的には暗殺された。
当時五歳だったレイフィリオ王子もその毒牙にかかりそうになったが、ナクリント家が彼を塔に匿ったらしい。
塔で彼の世話をしていた使用人が、私の両親から死刑の日の直前に「娘を救うために王子に賭けたい」と連絡を貰い、そしてあの塔の火事に至ったそうだ。
彼が声を出せなかったのは、お母様である第一王妃が「余計なことを言っては駄目よ。殺されてしまうわ」と死ぬ間際に彼に言ったことが原因だ、と医者には診断されたらしい。つまり心因性だったということだ。そして彼が声を出せるようになったのは断頭台に立つ私を呼んだ時だそうだ。
一連の真相を王宮の応接間でレイフィリオ王子から聞き、私は心の奥底に閉まっていた彼の出自への予想が当たっていたことを知った。
応接間には国王陛下と私とレイフィリオ王子、それと彼を今まで世話していた塔にいた使用人だという老年の女性がいた。
「ディーのことは、塔の上からずっと見ていたから知っていたんだ。可愛いな、ずっと話してみたいなと思っていた。話してみたら、思慮深くて優しくて益々好きになった。それなのに生きることを諦めていて危うくて、守ってあげたいとも思った。ずっと、こうやって話したかった。ディレンカ・ナクリント嬢、俺と結婚してくれますか?」
「えっ……と」
展開が早くて、彼のプロポーズに即答できない。だって私にとっては自分が首を斬られていないことから予想外なのだ。
「レイフィリオ、そう焦らんでもよいだろう。お前たちにはこれから沢山時間があるのだから」
国王陛下がそう口添えしてくれたため、私はそっと息を吐く。
「レイフィリオで、」
「ミオと呼べと言っただろう?」
国王陛下の前でそんな無礼、と言おうとしたけれど、彼の勿忘草色の目があまりにも真摯だったから、私は言葉を飲み込んだ。
「……ミオ」
「うん」
「助けてくれてありがとう」
そう、飾り気のない言葉で感謝を述べると、ミオはその凛々しい顔を綻ばせた。
今回の陰謀の首謀者である第二王妃と第二王子、それとビオンド家当主は極刑を受けた。
三年後、褐色肌の王子と昔悪役だった公爵令嬢の結婚式が華々しく挙げられ、国中の人々から祝福され、彼らの話は脚色されて劇などにも使われるようになる。
王子はやがて王になり、彼の王妃は生涯彼女ただ一人だったという。
お読み頂きありがとうございました。
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