一騎当京のクランストロ 2
森林の時と同様、アリーフはジェスタフの後ろにぴったりと張り付き、歩幅を寸分も変えずに歩いていた。それは彼の腰巾着というよりも、しっかりと背筋を伸ばして正面を見据える凛とした様は、どちらかと言うと古参の衛兵のようだった。
事実、彼の専門は今回の密偵や斥候ではなく兄を含めた上官の身辺警護である。
拳銃の所持は一般の兵卒には認められていない。理由は主に予算削減と、小銃に比べて射程と威力が低く、更に隠し持てるほど小さいと、犯罪抑止には頼りないからだ。
その中で彼が官給品でない、消音器付きの拳銃を所持していたのは、今日が偵察任務だったというのもあるが、彼の射撃の腕を見込んだ上官から下げ渡されたものだからだ。アリーフはもはや、これを持ち歩くことが癖になってさえいる。
また、護衛の作法だが、アリーフに限らず衛兵自身が1人の場合、護衛対象の行く先を先立って歩くことはあまりない。何故なら敵の多くは視界の開けた正面からではなく、背後から気配を消して近づいてくるので気付きにくく、完璧に守るのは至難の業。だから、いざとなったら衛兵自らが肉の壁になるためだ。
一応、護衛対象の前に立ち、敵が来たら腕を掴んで無理にでも腹這いにさせ、同時にもう片方の手で銃を抜くというやり方もあるが、ジェスタフは歩く時に自分の前に立たれるのを極端に嫌う性格であり、またアリーフもそれを理解しているので、ジェスタフより上から命じられない限りはやらない。
アリーフはいくつか護衛方法を会得しているので、人によってそのやり方を使い分けている。さらに、彼の見てくれは非常に目を引く。護衛対象は彼を伴わせることで女性達から羨まれるという、一種の優越感に浸れ、そんな美青年を従わせるという意味での征服感も味わえた。そういう俗物的な理由からも彼は護衛として重宝された。
「にしても眠い……脚が痛ぇし唇は切れたし……ブーツは使い物にならなくなるし……俺ブーツあれしか持ってねぇんだよな……あとバカな弟略してバカウトに撃たれたし」
「兄貴は足のサイズ30だから、注文して取り寄せないとないんだよね。ん? 誰がバカウトだって?」
「ああ......仕方ねぇーべ明日から革靴履こう。スラックスにスニーカーなんてゴミのように似合わないしな」
そう言うと、ジェスタフは眠そうに大欠伸をした。彼のとび色の瞳は睡魔によって輝きは失せつつも、知性の熾火はまだ燻っていた。
2人の会話は赤銅色の鉄板が張り巡らされた狭い廊下によく響き、おまけに互いに眠いせいかボソボソと小さな声量で早口に話すせいで、声は反響して増幅し、何か陰湿な陰口を言っているようだった。
歩く度に床は硬貨を床に落とした音に似た冷たく無機質な音を立て、それはどんなに足音を立てぬよう神経を尖らせても簡単には消せない、厄介な音だった。
機嫌の良し悪しが割と容易に読み取れるジェスタフと違い、アリーフの行動や表情にはどこか形式的かつ演技風なところがあり、別の意味でも人形のようだった。その甘いマスクの裏では何を思っているのか、兄のジェスタフにも分かりにくいところがある。
ただ、それが弟の生まれ持った中身なのだから、俺が口出しする権利はない。と、ジェスタフはどうでもよく考えいたし、むしろそこが可愛い点だと思っていた。
「あ、そうだアリーフ、一言言っておく」
ふと、ジェスタフが歩みを止めて振り返り、アリーフの耳元に口を近づけ、胸元に人差し指を突きつけた。同時にやかましい足音も止む。
「予め言っておくが、俺は今から将軍に思いっきりパチこくが、お前は自分からは絶対に喋るなよ、何か質問されてもはいかいいえ、それか俺の発言に合わせた言葉を返せ。苦しかったら俺が割り込むから安心しろ」
「……わかった」
アリーフは嘘を話すことを悪いことと思わぬジェスタフの言い方には釈然としていないようだったが、それでも首を垂れて頷いた。
彼が頷くと、ジェスタフはまたアリーフから精力を得るために彼と唇を重ねた。アリーフの長い前髪が邪魔に感じたのでキスの際に彼の前髪をかけ上げたら、先ほど自分が振りかけた香水の甘い香りがした。
それはほんの一瞬だけ彼の情欲を突き刺したが、すぐにネクタイを握り締めて抑え込んだ。
「さっさと行くぞ」
ジェスタフは再び歩き出した。だが、目的の場所までは1分とかからずにたどり着いた。
2人の眼前に控えているのは焦げ茶色の木製の扉。金メッキが施された荊模様の取手の上部には2羽の小鳥の飾りがよそよそしく取り付けられ、これにも真新しい金メッキが貼り付けてあった。他の部屋の扉は全て壁と同じ色と素材で、無論装飾もない。
今までに通り過ぎた部屋は全てが廊下を挟んで左右に向き合っていたが、この部屋は廊下の終点、つまり最奥の突き当たりにあった。
まるで、今までの部屋をあまねく管理して、この部屋の手中にあることを代弁するかのように、この扉の向こう側にいる人間の絶大な地位をこの分厚く2メートルを超える扉だけで隠然と証明している。
「……」
ジェスタフは一度ネクタイを解き、凄まじい速さで結び直して第1ボタンを結び目で隠すと、そのまま子どもが嫌いな食べ物を水で流し込むように、一気にドアを3回均一なリズムで叩いた。
「遅くに失礼致します中将殿。アンドレイ准尉です。ただ今帰投致しましたので、偵察についての報告に参りました」
「入れ」
「は……フン! グギギ……」
ドアの内側から、酒で潰したのか喉に風穴が空いたような掠れた声が2人の耳に届くと、ジェスタフは片方の取っ手を両手で掴み、歯を食いしばって下腹に力を入れて扉を引いた。実はこの扉、外側は木で出来ているのだが中心部には緊急時のバリケード用に鉄板がはめ込まれているため、とてつもなく重い。見かねてアリーフも手を貸した。




