一騎当京のクランストロ 1
旗艦に帰還したアリーフはジェスタフと共に彼の自室に入った。部屋に入るなりジェスタフは、咳き込みながら乱暴にダッフルコートをベッドの上に脱ぎ捨てる。
もう十分分かりきっていることだが、彼のダッフルコートにはその手の商人よりも大量の武器が入っており、それはずっしりと重く、あまりの重さに置いた時にはベッドの足が軋む音を立てたほどだ。
彼は膝くらいのサイズの小さな冷蔵庫から冷えた瓶詰めの炭酸水を取り出すと、辺りをキョロキョロと見回した。
「アリーフ、栓抜き知らないか?」
「こんな汚ったない部屋じゃ見つかるもんも見つからないよ」
アリーフはそう返答した。
事実、彼の部屋はひどく汚かった。肥溜めが嗅覚に障る汚さなら彼の部屋は視覚に障る。醜さすら覚えた。
机の上には猥褻さを隠そうともしない風俗店の情報誌や新聞が乱雑に積み重なり、紙に染み込んだコーヒーと思われる茶色いシミが、焦げ臭いような奇妙な匂いを放っている。
スペースが無かったのか吸い殻をこんもりと積もらせた灰皿はベッドの枕元に鎮座し、今にも崩れ落ちそうだったが、崩れ落ちても掃除なんかしないだろう。ベッドも薄汚く黄ばんでチーズのような色と臭いがした。
床はさらに乱雑さを極め、足跡がついた無数の書類や雑誌(特に成人向けのもの)が、床を覆う面積を競うように散乱している。それだけでなく、森の草木ほどに多様性に富んだ品は、まるで敷き詰めたように床中に散らばっていた。
歯ブラシ、綿棒、パジャマなどの脱ぎ散らかした衣服、シルクハット、タンバリン、メスシリンダー、紙皿。数え上げたらキリが無い。まるで強盗が入った百貨店のようだ。しかも、どれもこれも真新しい。
片付けはできないが、次から次へと新しいものを買ってきては大して使わずに捨ててしまう。それでいて、きちんとした廃棄はできない。それは彼の粗野な人となりを端的に示していた。
だが、それでいて身なりには人一倍気を使っており、ダッフルコートを脱いだ彼の服装は淡い紫色の品のいいカッターシャツに、真紅と金のストライプのネクタイをきっちりと締め、その上に黒い防弾チョッキをスリーピースのように着込んでいた。
「しょうがねぇなぁ……また買ってこないと」
ジェスタフは足元のゴミの山を蹴ってみるが、栓抜きらしきものは出てこなかった。代わりに出てきたものは懐中電灯だったので、彼はそれに足の指を強かに打ち付けた。彼は痛みに耐える嗚咽を漏らし、涙目になって憂さ晴らしに柔らかい枕をドアに向かって蹴り当てた。
そして、机の角に王冠を当てて力任せに開けてしまった。机の脚を伝って溢れた炭酸水が茶色いカーペットにシミを作るが、彼はそんなことは気にもせず、喉を鳴らして炭酸水をうまそうに飲んだ。
ただの炭酸水なので別に床に垂れても跡は残らないが、彼はこれまでも栓抜きを失くした時には同じことを繰り返していたのだろう。机の脚からその周りにかけて、ぬるぬるした真っ黒い染みが付いていた。カビだろうか。
アリーフが何となく部屋中に視線を動かすと、そういったどす黒い染みは大小様々ではあるが、ものの数秒でたくさん発見することができた。アリーフはそれらを見て、真っ先に赤ん坊のよだれかけを連想した。
「ほらよ、アリーフ」
アリーフが俯いて染みを星と見て、それを繋げて頭の中で星座を作っていると、ジェスタフは3分の2ほど飲んだ炭酸水をアリーフに投げ渡した。
「自室だからってもうちょい清潔にした方がいいと思うんだけどな」
「あはは、うるせぇ」
封が開いた瓶を投げたら当然中身が口から飛び出す。アリーフはうまく口が自分に向いていない瞬間を見定めて瓶を掴んだ。それでも溢れた炭酸水は床をしっとりと濡らした。アリーフは僅かに残った炭酸水を二口で空にした。
「ちょっと軽く顔洗ってくる。どっかの誰かさんのせいで服も血だらけになったからな」
アリーフが投げ返した瓶を机の端に置くと、ジェスタフは洗面所とトイレと浴室が一体化した部屋に入っていき、ドア越しに水音を立てた。
「はぁ……」
アリーフは混沌とした床下を見下ろし、とりあえず服だけでもと、ベッドの上のダッフルコートを掴んでクローゼットに運んだ。衣服なのに家具のような重さがした。下手な持ち方をすると内側に縫い付けられた皮袋から刃物がずり落ちて足に刺さる。いくら再生すると言っても、男に見抜かれたように痛いものは痛いし、怖いのだ。
何とかしてダッフルコートをハンガーにかけてクローゼットにしまい、ついでにジーンズや背広も中に畳んで入れてやった。
足拭きマットのように洗面所のドアの前に打ち捨てられた式典用の真っ青なブレザーを掴んだ時、アリーフは下に何かを見つけた。
「これは……」
避妊具だった。半透明で正方形の袋に入っており、内部は乾燥防止の液体が封入されたままだった。アリーフはそれを手に取ると、迷わずフランネルシャツの胸ポケットに入れた。
創作物の世界から参上したような可愛らしい容姿の男だが、こう見えて彼はまだ諸事情により異性とまともな恋愛を経験していなかった。
だから、足元にあった風俗店の情報誌を反射的に掴み、ページを適当にめくって好みの女性を探してみたりした。だが、ほとんどは年増で彼の好みではなかった。それに、もし彼と寝ることができたら、その女はむしろ代金を支払う側だろう。
「そういうのを利用するのはちゃんと純粋恋愛で済まさん限り、俺は許さんぞ」
いつの間にか身支度を整え終えたジェスタフが背後に立っていたことにアリーフは気付かず、食い入るように情報誌を眺めていた彼は顔を羞恥に染め、しかし表情は冷ややかな憮然さを装って、雑誌を元の場所に静かに戻した。
ジェスタフは防弾チョッキを脱いで汗を拭って髭を剃り、長い頭髪を整髪料をつけて後ろに撫で付けて、狭い額を露出させている。こうして見るとどちらも端正な顔立ちではあったが、身綺麗にすると役人のような雰囲気で先程のぶっきらぼうな男とは全くの別人に見える。
「まぁ……こんな生活じゃ出会いなんて期待できないよな、お前ももう20、これから老けるだけだ、何なら俺が抱いてやろうか」
「うるさい、僕はただ好みがいないか見てただけ。兄貴みたいに出禁になるほど通い詰めたりなんかしないよ」
「……まぁいい、とりあえずお前が早く結婚するのを願ってるよ、もう式で読む挨拶は考えてある。ま、ちゃんと見てくれじゃなくてお前の義侠心を見てくれる女じゃないと俺は殺すけどな。ほれ、じっとしてろ」
「わぷっ」
そう言うと、彼は濡れたタオルでアリーフの頭を湿らせて頭についた土や固まった血などの汚れを拭き取ってやると、仕上げに菱形の洒落た小瓶に入れられた半透明の液体を彼の脇と頭に振りかけた。
アリーフが無意識に鼻をひくつかせて飛沫を嗅ぐと、爽やかな柑橘系の香りが胸を満たした。香水だった。それも、相当値の張るものだ。
「いくら将軍がお前に甘いと言っても、あんまり小汚いまま連れて行ったら絞りすぎだって俺が殴られるからな、これいいだろ、人気だったけど社長が未成年者淫行で捕まって販売停止になった希少品なんだぜ」
アリーフは驚いた顔をジェスタフに見せた。
「えっ事後報告って僕も行くの?」
「そりゃあな、まぁお前はただ立ってればいい。俺が煙に巻いてやる」
そう言うと、ジェスタフはネクタイを結び直しつつ扉を開けて、アリーフも仕方なくそれに続いた。
将軍とは、中核幹部であるジェスタフの更に上の上官であり、プライドの高い傲岸不遜な彼をして嫌々にも敬意を払わなければならない最高位の軍人ある。そのため、彼の表情は強ばっていて硬い。
ただ、アリーフの方は全くそのような様子は見られなかった。むしろ、どこか嬉しそうですらある。なぜか同じ行動を共にしたはずのジェスタフと真逆の反応だった。




