真夜中の森の中で 6
その頃、首を刎ねられて息絶えたアリーフの身体に、無数の細い紐のようなものが四方八方から群がっていたが、格闘する2人はそれに気づかない。
それは最初に哨戒兵を始末した、あの抹茶色の蔓だった。どれも数十センチほどの長さだったが、中には10センチに満たぬものや他と比べてかなり太いものもあった。
それらはアリーフのダウンジャケットの袖を自宅の扉と言わんばかりに潜り込み、どんどん詰め込んで入っていった。やがて空っぽだった袖が、肩の辺りから空気を吹き込まれたように盛り上がっていき、それが徐々に伸びて中間の辺り、つまりは肘の箇所で折れ曲がると、そのまま侵入した袖口から出てきたそれは、言うまでもなく人間の手だった。
「……」
そして、完成された手は手探りで自分の生首を鷲掴むと、撫で回してどこに鼻があるかを確かめて自分の胴体に強く押し付けた。
「ふぅ……びっくりしたぁ」
数秒経ち、何事も無かったかのようにアリーフが生き返って瞬きした。彼は命のありがたさを噛みしめるように深呼吸をすると、ガバを拾って立ち上がる。立ち位置と視線に少しズレを感じたが仕方ない。切り離された断面からは樹液に酷似した琥珀色の粘液が流れたが、すぐに乾いて消えてしまった。
これが彼の権能。瞬間再生能力。彼はこれを『レ・ミゼラブル』と呼んでいる。彼の身体は毛筋一本、皮膚の薄皮一つまで完全に植物蔓で構成されており、どんな致命傷だろうと彼を殺す決定打にはならない。毒も体内で分解してしまい、身体を粉々に吹き飛ばしても、再生に時間がかかるだけで、全く問題はない。
「おや? あれは……誰だ? あっ兄貴か!」
ただ、首が取れると一時的に記憶障害を起こすらしく、彼は涙目になりながらも必死の抵抗を続ける兄が誰なのか一瞬分からずに首を傾げたが、すぐに真っ青になってガバを構えると、男の右手の肘と両膝を撃ち抜いた。
「うおっ……テ、テメェどうして……」
肘に続き、両脚に力が入らなくなった男は力無く崩れ落ちて膝立ちになり、苦い顔で銃声の鳴った方を振り向いたが、それが確かに自分が殺したはずの人間だったので目を丸くして狼狽した。
「ボケが死にやがれェーッ!!」
それでも、男は真後ろから警棒で殴りかかったジェスタフを裏拳で叩きのめす。顎を殴られたジェスタフは額を石碑に打ちつけたせいで、とうとう伸びてしまった。
男は立ち上がって指についたジェスタフの血を上着で拭うと、大分汚れ傷が目立ってしまった新品の詰襟の第2ボタンまでを外した。男の裂けた頬からよだれが溢れ、喉を伝って襟首を湿らせる。
「あーあーお前らのせいで、この軍服もう買い替えた方が安いくらいだぜ」
「次からは普通にツナギとベストを着てくることをオススメします」
「肝に銘じよう。まぁいい。まさかこんなところで俺と同類に出くわすとはな。アリーフだと? それにそこのアイツの顔を見てまさかと思ったが、お前ら、ウチの主任外交法曹の倅だな?」
「……」
アリーフは押し黙った。男はそれを図星と受け取ると、足元にあるジェスタフのマチェットを地面から抜き取り、一振りして土を落とした。
「仕方ない。殺す気だったがお前ら2人とも捕虜だ。今すぐ銃を捨てて腹這いになり、地べたとキスしろ。さもなくばお前の兄貴を今目の前で殺してやる」
男はベルトポーチから手錠を抜き、アリーフに近寄った。だが、アリーフは男の呼びかけには応じず、それどころかジェスタフの腹を迷わず銃で2発撃った。
「ファッ!?」
男は驚愕して振り返り、腹部から血を流すジェスタフを見つめた。
「あちゃーこれで兄貴ももう助かりませんね。残念ですが、僕はクランストロ将軍から他に鞍替えする気はありません。何より父に借りを作る気は更にありません。僕は人を裏切るような真似はしません」
男は口は達者な割に足が小刻みに震えているアリーフを仏頂面で睨み、もう一度ジェスタフの方を見ると、眼はそのまま唇だけを僅かに歪めてほくそ笑んだ。
「女みたいな面の癖に漢見せてくれるじゃねーか。気に入った。今から生まれてきたこと後悔させてやる」
そう言うと、男はジェスタフの獲物のマチェットの先をアリーフに向けて突き出した。アリーフは顔を引き締め、すぐさま男に向けてガバの残弾を全て発射し、その全てを顔面に当てた。
「全く効かんな」
亜音速で射出された45口径の弾丸を男は微動だにせず鼻っ面に受けたが、常人なら顔が破裂しているところを、恐ろしいことに男の顔に銃創らしき傷は一つもなく、ただ殴られたように軽く仰け反っただけだった。彼は涼しい顔で指先で頬をかき、早足でアリーフとの距離を詰めた。
「う、嘘だろ!?」
アリーフは怯えつつも、効かぬと知りながら予備の弾倉を込めようとするが、それより早く男が来ると分かると、逃げずに果敢にナイフで接近戦を挑んだ。
「うっ」
アリーフが先に仕掛けたが、それはあっさりと躱され、男はマチェットをアリーフの頭に向けて振り下ろす。彼は紙一重で食い止めたが男は力任せに刃を押し切らず、すんなり攻撃を別の箇所に切り替えた。アリーフを狙う度に毎回腕を大袈裟に振り上げ、急所など関係なくしっちゃかめっちゃかにマチェットを振り回す。
「話にならんね」
「……ッ!」
剣術の心得はあるのだろうが、わざと一度に制圧せずにアリーフが疲弊し、音を上げるのを待って楽しんでいた。彼が後退ると男はそれに歩幅を合わせて着実に追い詰めていく。
「いってぇぇッ!!!畜生!」
そして、その読み通りアリーフは疲れて男の攻撃を捌き切れず、ついにナイフを弾かれると同時に手首を指の間から肘まで垂直に切り裂かれた。だが、斬られた箇所がすぐに塞がると、男は尻餅をついたアリーフを見下ろしたまま、マチェットで彼を指差しこう言った。
「読めたぞ。お前の本心は痛みを恐れている。他人を殺めることはできても自分への苦痛は許容できない。やる気になれば火中だろうとどこだろうと平気で突撃できると頭で分かっていても、痛みに怯えて踏み出せずにいる」
「……うるさいですね」
男は目を細めると、膝を曲げてアリーフの首を掴み、足が浮くほど高く持ち上げた。その手は素手なのに氷のように冷たく金属のように硬い。
「まぁいい。俺が直々にカタにハメてやる。そしたらお前も立派な公務員になるわけだ。だがその前にたっぷり苦しめ」
そう言うと、男の空いた左手が指先から手首にかけて音を立て白く変色し、5本指の爪先が針のように細く鋭利な凶器となり、更に指先ごと爪が膨れて何倍もの長さに伸び、より武威を誇るものと変わり果てた。今からこれで貴様をズタズタにすると言わんばかりの物々しさだ。
その恐怖にアリーフが身震いしたその時、男の背中に火がつき、瞬く間に全身が炎に包まれた。
「アアアアア……ウグァァァァァァァァ!!!」
男はアリーフを地面に叩きつけ、手負いの獣のような唸り声を上げて暴れ回った先にある電灯に衝突して頭から倒れた。それが決定打となったのか、そのまま火だるまのまま大の字になって動かなくなった。
アリーフはしばらく魂が抜けたように目を瞬かせて男を見ていたが、足元にある酒瓶の破片を見ると、さっと視線をジェスタフに移した。
「アリーフ……寒気がしてきた……早く」
ジェスタフは青白い顔でアリーフを不安そうに見つめていた。四つん這いになって、アリーフに撃たれた患部を血だらけの手で押さえていたが、何とか弟のため死力を尽くして火炎瓶を投擲したらしい。
アリーフはジェスタフが事切れる寸前だと気づくと、駆け足で彼の元に近寄り、自らも四つん這いになってジェスタフの紫色の唇を奪った。そうすると、次第に彼の血色が良くなって出血も止まり、20秒も経つ頃には致命傷だった傷はほとんど癒えた。『レ・ミゼラブル』は他者を癒す力も備わっているのだ。回復したジェスタフはしばらく動けず、アリーフに腕を引っ張られて石碑にもたれかかった。
「誰だよ俺撃ったのは? お前ちゃんと銃破壊してたよな? え? お前が俺を撃ったの?」
「ごめん、流れ弾が」
本当は敵に舐められたら負けと思ってパフォーマンスで撃ったのだが、弾がトッグルの隙間から防弾チョッキの範囲外の腰回りに当たり、人体を傷つけてしまうとは誤算だった。
「アリーフ!! お前俺を殺す気か!? お前は鬼畜か!」
「あーヤダヤダ、程度の低い人間ってすぐ死ぬ殺すみたいな過激なことしか言わないよね」
「程度の低いって俺死ぬ一歩手前だったんだが?」
「まぁまぁ助かったしいいじゃない」
ジェスタフはアリーフに恨み節を言うが、アリーフはそれをニコニコして受け流す。ジェスタフも喉元過ぎれば熱さを忘れると言った様子で、さっきまで死にかけていたのに、今はダッフルコートの血の汚れを気にしている。
ジェスタフはアリーフに腕を掴まれて立ち上がると、彼が駆け出して持ってきたマチェットを受け取り、まだ燃え盛っている男の元に近寄った。
「何かコイツこれじゃ死なないような気がしてならないんだが」
「多分その通りだと思うよ。気絶してるだけだと思う。この人自分と僕を同類とか言ってたし。しばらくしたら起き上がるんじゃないかな」
「マジかよ。やっばこういう場には精鋭が駆り出されてるもんだな……」
そう言うとジェスタフは懐の内ポケットに手を入れて、中から平べったい金属のスキットルを取り出し、中に入った酒を飲んだ。
本当、懐に無駄にたくさん物入れてるよな、なのに銃の類は一つも無いのか。と、アリーフは内心思った。
「確実なトドメを刺したいが装備が弱いな」
「RPGとかいるよね、多分」
アリーフはどうでも良さそうに、もみあげを指で弄って欠伸をしながら答える。
「まぁそんな感じかもな、ちょうどいい、鼻かんだティッシュも燃やしとこ。お前もなんかいらないもんあったら捨てとけ、このゴミを焼く紅蓮の炎がゴミを浄化してくれるぞ」
ジェスタフはそう言いながら掌いっぱいの丸まったティッシュを男の後頭部に放り捨てた。アリーフは敗れたダウンジャケットに手を突っ込んでいたが、特に無さそうだと判断したジェスタフはスキットルの中の酒を男に浴びせかけ、そこに点火した煙草を軽く咥えてから指で弾いた。
男の臀部に落下した吸い殻を火種に、衣類に染み込んだアルコールは細菌が爆発的に繁殖するように瞬く間に燃え広がり、火は男の体格を縁取ってさらに激しく燃焼した。着火の時に火柱が上がることもなく、思いの外音の一つも立てずに静かに燃えた。
男も生きたまま焼かれているはずだというのに、転げ回って喉から血が流れるほど叫び散らすことも無く焼かれたので、ジェスタフはもしや死んでたか?と、疑った。
「そういえばマフラー、あれお前が買ったのか?」
ふと、ジェスタフは屈んで炎に手をかざしながら、男に駄目にされたアリーフのマフラーが気になり、彼に尋ねる。
アリーフはまだダウンジャケット中をまさぐっていたが、ようやく何か捨てるものを見つけたのか、取り出した拳大の大きさの球体を火の中に置くように投げた。
「いや、父さんが前に会った時にくれたヤツ、戦争中に愛用してたんだってさ」
「ほう? そりゃズタズタにされてよかったわ。その割には綺麗な見た目だったな、ところでアリーフ、今捨てたの何だ?」
「使用期限切れの手榴弾」
「ほーん手榴弾……」
「そう」
「……」
その時、初めて火の中で小さな破裂音が鳴り、ジェスタフのダッフルコートに何かが突き刺さった。手榴弾のピンだった。
「うわぁぁああぁぁぁぁぁあああぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁ!!!」
瞬間、ジェスタフは悲鳴を上げてアリーフを抱き抱えて真っ正面へと駆け走り、広場から敷地外の草むらにアリーフを投げつけ、自らも大慌てで飛び込んだ瞬間、火の中から白煙がもわっと立ち昇った。
「バカだな、煙幕手榴弾だよ、あんな場所で破片の方をやるわけないじゃん。でもちゃんと煙出たな」
「……そりゃ火薬に直接やったらな」
疲れてこれ以上怒る気にもなれなかったジェスタフは低く呻くと、ダッフルコートについた泥を叩き落としつつ立ち上がった、
「帰るぞ」
「あ、そう? そういえばあの人、石碑の裏側歩いてみたら何があるって言ってたけどいかがしますか?」
ジェスタフは鼻で笑った。
「フン、どうせブービートラップでも仕掛けてあるだろうよ、行くだけ無駄だ」
「ふーん……」
アリーフがジェスタフから顔を背け、そっと鼻で笑ったことを彼は知らない。
ジェスタフは木の幹に寄りかかって無線機を取り出すと慣れた手つきでどこかの周波数に合わせ、すっきりと通る面接時のような声質で口を開いた。
「俺だ。レーゼ、帰投するから迎えに来い......来て頂きたい」




