真夜中の森の中で 5
「ん? お前ら若いな、無抵抗なら撃ちはしないが」
男は器用に左右の瞳を二人に別々に合わせると、飽き飽きした様子で投降を勧告した。外に出歩くには気が引ける下ろし立ての藍色の襟詰を着込み、紐の無い革靴を履いた怠惰そうな男だった。歳は恐らく40代近辺だろう。
兵卒は所持できないリボルバーを構えていることは、彼が軍の幹部、あるいはそれ以上の地位にある中核的存在だということを示している。
髪は赤茶けているが、白髪染めを使用しているようで、頭頂部の周りには輪が囲うわざとらしい光沢がある。頬は深くこけて灯りに照らされ、顔の印影がくっきりと浮かび上がっているが、決して瘦せぎすな風ではなく、首筋など血管が浮かび上がってがっしりしている。やや大きめの襟詰のせいで痩せてみえるだけだ。
「あ、そう……やはり降伏なんてしないよな、一応形式に則って聞いてみただけだ」
「!」
突如、男は視線はジェスタフに向けつつ、リボルバーをアリーフの喉に向けて発砲しようとした。しかし、すでに構えていたアリーフの方が速く、彼は冷静に男の手の甲を撃ち抜くと、力無く地面に落ちたリボルバーの撃鉄にも弾を撃ち込み、予め言われていたかのように円滑に銃を破壊した。
「……痛えな」
男は無感情に壊されたリボルバーをぼんやりと視界に収め、あてつけのように蹴ってアリーフに当てた。アリーフは銃口と視線は固定したまま、ゆっくりと屈んでリボルバーを持ち上げてみたが、それはありふれた種類だったので、戦利品の価値無しと見なして後ろに放り捨てた。
アリーフは引き金から指を離すと、火の消えた煙草を吐き捨て、指を振ってジェスタフの気を引き、撃った反動で銃が跳ね上がる仕草をジェスタフに見せた。
(また撃つ?)
ジェスタフはマチェットナイフを両手の親指と人差し指の間に挟んで刃を水平にすると、首を横に振って返答した。
(いや待て)
アリーフは深く頷いて再び男に視線を戻した。妙なことに男の手には確かに風穴が空いていたが、血は一筋の赤い線が指を伝うほどしか流れていなかった。ジェスタフもそれに気づいていたが、特に気に留めなかった。
そして、ジェスタフが男に刃を向けて詰問する。
「おいアンタ、綺麗に掃除して行ったのはいいけどな、一体ここで何をやってた? ちゃんと言ったら半殺しで済ませてやる」
「ハッ言うねぇ」
男は飄々と薄ら笑いを浮かべ、口をもごもご膨らませると、何かを吐き捨ててジェスタフのブーツにへばり付けた。彼が嫌悪に顔をしかめると、へへへと彼は歯を見せてジェスタフを嘲笑する。
彼の前歯は不潔な茶色に染まっており、吐き出したのはフィルターに入った嗅ぎ煙草のようだった。黒いブーツに黒ずんだ唾液が垂れ、ティーパックのようなフィルターから染み出すのをジェスタフは心底から嫌そうに、爪先で地面を叩いて払い落とした。
「……死にたいようだな」
「冥土の土産にとか言ってくっちゃべって逃げられたら減給になるんでな。まぁ一つだけ言うなら、俺が今来た道を少し歩いてみたらいい。後片付けに困るもんがある」
夜空を眺めながら男は両手で拳骨をこしらえると、二人に気づかれぬよう何気なくそれを袖の中にしまった。
「俺を倒せたらの話だが」
男はそう呟くが否や、袖口から自らの腕の長さを優に超える純白の大鎌を抜き、それを両手に携えると白霧の吐息を纏った刃を交互に擦れ合わせ、赤子が泣き叫ぶような摩擦音を上げて火花を散らせた。
「え、あ......?」
そして、振り返って呆然としていたアリーフの首筋をマフラーごと斬り落とし、一太刀に付した。
「アリーフッ! 貴様ァッ!?」
そして、すぐさまジェスタフの方に首を回し、それまでとは打って変わって険しく鋭い眼光で彼を睨めつると、地面に足跡をめり込ませて怪物じみた速度で飛びかかり、右手の鎌を脳味噌をすくい取る為に振り下ろしたが、ジェスタフはそれをどうにか躱し、彼も彼でポケットからアイスピックを取り出すと、満身の力を込めて彼の心臓があるはずの部分に突き立てた。
「多分、それ使い道が違うぞ」
「あ、あれ?」
だが、引き抜いた針はダウジングロッドのように折れ曲がり、使い物にならなくなっていた。
男は涼しい顔でジェスタフの腹に膝蹴りを叩き込んで一旦離れると、身体を三片にぶつ切りにしようと鎌を真横に薙ぎ払うが、防弾繊維のコートを着てるため事無きを得た。そして、マチェットを男の脇腹に突き立て背後へ飛び跳ねる。
「やるなら顔にしてくれ、制服は新調したばかりなんだ」
「確かにいい詰襟だな、ボタンはアワビの殻か? 戦利品にしたいからそうするよ」
「あ? チンピラが公務員に減らず口叩いて生き延びた話はあんま聞かねぇな」
それでも刃は通らない。奇怪なことにジェスタフは突き刺した時には確かに押し返してくる腹筋の弾力を手首に感じたのだが、明らかに骨にまだ届かぬ箇所で刃は硬直して動かなくなってしまった。
おまけに抜くこともできず、マチェットは男の腹にアスファルトを割って出てきた雑草のように突き刺さったままだったが、次の攻撃が来るのを恐れてジェスタフは離れざるを得なかった。
ジェスタフはマチェットを失ったので、コートのトッグルを外して懐から予備の短剣を抜いた。ジェスタフが短剣を抜いたのを見届けたかのように、突き刺さったまま動かなかったマチェットが乳歯のようにあっさり抜け落ちた。
男は左手の鎌を袖に戻すと、肩に手を置いて首を鳴らした。そして、ひとっ飛びでジェスタフとの間合いを詰めるや否や、腰を捻って回し蹴りを繰り出した。その蹴り込みの速さたるや小さなそよ風を立て、樹木の葉を舞い落とすほどだった。
ジェスタフは咄嗟に腕を出して蹴りをガードしたが、衝撃で腕がビリビリと悲鳴を上げた。男は着地と同時にジェスタフの髪を掴んで頭突きを見舞った。ただの頭突きのはずが、工具で殴られたみたいに脳まで痺れた。
「うおっ......やりやがったな!!」
ジェスタフは短剣を瞬時に逆手に持ち変えると、そのまま殴るように男の顔面に鈍色の刃を押し付けた。頬が裂けて奥歯が剥き出しになり、彼の風貌を極めて凶悪なものに変える。だが、例によって血はほとんど流れていない。
「ぐむむ......」
だが、流石にこれは効いたようで、男は苛ついてジェスタフを肘打ちで突き飛ばすと、鎌を袖に収めて新たに同じ短剣を取り出し、共に間髪入れずに立ち向かい、剣戟を持って挑む。干戈を交えるというにはあまりに生々しい鈍重な音が鳴り響き、弾けた火花が地に堕ちる。
やがて男が振り下ろす刀剣を食い止めたジェスタフの短剣は男の腕力に負けてへし折れ、慄いたジェスタフは背を向けて走り再び距離を取ると、男は黙って鎌を再び両手に携えた。
ジェスタフが息を切らしながら、ポケットからバネ仕掛けのナイフを抜き取り、跳ねた刃を光らせた。
「何かの特異体質かお前……しかもその鎌どうやって袖に忍ばせてんだ? 明らかに収められるサイズではないはずだ」
「さぁなぁ。ところで死ぬ前に早く向こうに行ってみろよ」
男はジェスタフを嘲笑する。そして、ジェスタフの視線が自分から僅かに逸れた瞬間を見計らって鎌で地面を叩いて土を巻き上げ、土塊を彼の顔面にぶつけて視界を奪うと、死角から近づいてうなじへ鎌を振り下ろした。
ジェスタフは焦って顔についた土を拭うが、男の斬撃に間に合わないと悟ると、己を斬首せん鎌を甘んじて受け、死なば諸共ナイフを喉笛に突き刺す気で刃を星空に見せるように高く掲げた。
「なッ……?」
「悪いが、少し遊びすぎた」
だが、首に刃が通る冷たい感触をジェスタフが得ることはなく、逆に男に手首を掴まれてしまっていた。左手の鎌はいつのまにかどこかに消え、しかも万力のような握力で暴れることさえできない。
「ふん、じゃあな」
苦悶の表情を刻むジェスタフを一瞥した男は、死に際にまで侮蔑的な態度を取ることは無礼と思ったのか表情を硬くすると、右手の鎌を腰骨に向けて斬りかかった。
「うぉ......うぉぉ......」
だがジェスタフは諦めず、ブーツの底で鎌を食い止めた。思うようにトドメがさせず、男は忌々しそうに舌打ちする。
「チッ......無駄な足掻きはやめたまえ。そのままだと土踏まずのあたりから膝関節、いや股関節までを縦に切断することになる。いらん苦痛を味わうぞ。しかもそれではすぐには死なないから、改めてお前を処刑しないといけない」
「ぐっ...…むむむむむ......」
しかし、ジェスタフは顔を赤黒くし、玉のような汗を噴き出してもまだ再起を図っている。それを見た男はすっかり呆れて嘆息した。
「ならそうするまでだな、だいたいその格好間抜けだぞ、ヤケクソになったストリップ嬢みてぇだ」
「うぁああぁあああああああっ!!」
そのままブーツを裂く力を強め、徐々に靴底に入れた切れ込みを深めていった。




