銃剣と薙刀 12
「あ、どうも……」
一階は綺麗なままだったが、二階に上がった途端に死体と出喰わし、彼は少し気が滅入った。
死体は鋭利な刃物で手首を切断され、仕上げに心臓を一突きして斬り伏せられている。一目で兄の仕業だと弟は気づいた。
「残りものに注意しなきゃな……兄貴結構やるなぁ」
アリーフは死体を蹴って仰向けにさせると、軽く背広を弄ってみたが、彼は小銭入れの他にはペンとハンカチしか持っていなかった。
「煙草吸わない人か」
アリーフはがっくり肩を落とし、思い出したかのように銃剣を取り出してカービンに装着すると、滑らかにボルトを引いた。
ふとアリーフは真横の扉が僅かに開いていることに気づき、それを訝しんだ。こういうことをわざと放置することは後味の悪いものを胸に残すので、アリーフは昔から無視できなかった。
「にしても同じような扉がたくさんあるな、ずっと暮らしてたら迷わないものなのかな?」
ドアの隙間に銃剣を差し込み、極力静寂を保てるようドアを開けたが、人1人通れるくらい開けた時、アリーフはまるで霧雨が吹雪に変わるように荒々しくドアを蹴り、ガバを抜いて正面に向けた。
「……何だ、誰もいないのか」
しかし、部屋には誰も確認できない。ここは私兵らの寝室だろうか。部屋には二段ベッドが左右に2つ置いてあり、ドアの横にはかなり大きなクローゼットがある。下には箪笥が備わっていたので、アリーフは第一にそこから開けた。
「おお、靴下がある。ありがたい」
箪笥の中には靴下や下着がたくさん押し込まれており、アリーフはクリーム色のものを掴むと、ブーツを脱いで今履いている血だらけの靴下を脱ぎ捨てた。
そして、ハンカチを手に窓に近寄って結露で湿らせると、足を拭って血を落とし、まだ真新しい靴下で冷えた足を温めた。
「こうなるとブーツ履きたくないな……どっかに革靴は無いのか」
そう言うとアリーフは四つん這いになって、二段ベッドの下を覗き込んでみたが何もなかった。アリーフはため息を吐き、最後に流石に無いだろうと思いつつクローゼットを駄目元で開けてみた。
「うひゃっ!」
瞬間、青い塊がアリーフの腹へと飛びかかり、咄嗟のことに不意を突かれた彼は思わず舌を噛んでしまったものの、すぐさま塊のどこかを掴んでベッドへ放り投げた。
「痛い!」
「いてて……何だよ、ん?」
痛む舌を出して、アリーフがカービンの引き金に指をかけた時、まだクローゼットの方から物音がした。ちらりと見ると、何かがネクタイに埋もれて蠢いている。
「子犬……?」
そこには、黒く艶のある毛並みと丸みを帯びた体が特徴的な、可愛らしい子犬がアリーフを円らな瞳で見つめていた。
アリーフは小銃を背中のホルスターに収め、クローゼットの中で丸くうずくまる子犬に歩み寄ると、首筋を鷲掴みに持ち上げた。
「やめて!殺さないで!」
アリーフが子犬の肉球を物珍しそうに摘んで見ていると、再び背後から塊が、今度は足首を掴んで暴れてきた。
「ひ……」
「しつこいな、何も取って食ったりはしないから落ち着こうか? ね?」
アリーフは黒光りするガバを眼前に見せつけ、されど自分は犬を見たまま、有無を言わせず少女を黙らせた。
*****
「兄貴め、薄々察してはいたけどやっぱ子どもがいたのか。君も災難だねぇ」
「どの口が言うのよ……」
アリーフは二段ベッドに登って梯子に足をぶら下げ、膝に子犬を載せて背中を撫でていた。少女は1段目に座って膝の上で拳を握り締めている。
「まぁ僕は野蛮な犯罪者じゃない。軍人さ。僕はその気になれば君に馬乗りになって、死ぬまで殴り続けることもできるけどやってない。それどころか君と今話している。そこは理解してほしい。話は変わるけど、この子は君の?」
「そうよ」
「大切?」
「ええ、捨てられているのを拾ってきた私にすごい懐いてるの、家族同然よ」
アリーフの生まれつき備わる瀟洒な容姿と、艶めかしくも温もりのある声が、少女を包む敵意を徐々に隅へ追いやっていく。
この世にあからさまに殺人鬼に見える人間など0に近いが、その中でもアリーフは怪奇なまでに堅気にしか見えなかった。その所業を見てからも同じだ。
「そう、僕達もペット飼ってるよ。もっとも大陸広しと言えど、あんなのを飼育してるのは僕らだけだろうけど。まぁ何はともあれペットを愛する気持ちは僕も分かるね」
アリーフはのど飴を噛み砕いて咀嚼すると、ホルスターからガバを抜いて安全装置を解除した。次に身体を反転して蝙蝠のように梯子から上半身をぶらさげると、逆さに持ち替えたガバのグリップを少女に近づけた。
「え……?」
「じゃあこれで試しに自殺してみて? 家族同然なんでしょ? できたらこの犬は責任持って僕が飼うよ。ほら。今時拳銃の撃ち方くらい本や映画で分かってるでしょ?」
アリーフが彼女にそう告げた時、少女は彼が本気で言っているのか目を瞬かせて顔を見回したが、アリーフは笑ってるのか真顔なのか分からない表情をこしらえており、判断がつかなかった。
「急かしはしないけどこの体勢、頭に血が上るから早めにね。僕なら家族のためなら指だって平気で詰められるし、自分で自分を斬首すらできるよ。まぁ口では何とでも言えるけど」
アリーフがいかにも軽薄な口調でそう言うと、少女は生唾を飲んで目の前の拳銃とアリーフを怯えた様子で交互に見つめた。垂れるアリーフの黄緑髪にふと目が留まり、その生え際を追えば彼の地毛の色は亜麻色なのだと気づいた。切羽詰まった時はどうでもいいことばかり気付くものだ。
「本当にその子は助けてくれるの?」
「男は嘘をつかない」
赤みが差した顔でアリーフは頷く。その言葉は少女は覚悟を決めたのか、微かに俯いて胸に手を置き、自らの心の臓腑が脈打つ鼓動の速さを感じた。そわそわと耐えず唾を飲み込み、そうして震える両手を徐々に上げると、すすり泣きつつも振り絞った勇気で力なくガバを掴んだ。
「はい終わり」
だが、少女がグリップを掴むと同時にアリーフはガバをさっと取り上げた。そして少女の視界から一度消えると、子犬を小脇に抱えてベッドから華麗に飛び降りて、犬を少女に手渡した。
「ほら立ちな。もう行っていいよ」
すると、アリーフはカービンを肩に乗せて屈み、白い歯を見せて笑った。とても子どもに自害を強要する男とは思えぬチャーミングな笑みだった。
「私を……からかった、の?」
「そう。座興ってヤツさ。でも子どもって純粋だねぇ。僕なら絶対ペットのためなんかに死なないもん。というか、僕の兄なら屁理屈ごねて絶対銃を掴まないよ。ほら、その兄貴に見つかったら危ない。さっさと行きたまえ」
「……」
アリーフが腰の前で小さく手を振ると、少女はアリーフに対して、どこから出したのか万年筆を額に投げつけた。
「いてっ」
彼女はそのまま数歩後退り、彼の変心を恐れて扉を開け放しにして速やかに走り去って行った。アリーフは廊下に頭だけ出し、足をもたつかせて走る少女の背中を眺めた。
彼も幼少期親の愛情を受けず、孤独で辛い目に遭った。彼の場合は生まれた時から受けられず、彼女の場合は後から奪われた違いはあれど、この場で殺した方がむしろ幸福かと思ってガバを向けたが、リウの顔が脳裏をよぎって結局やめた。
アンドレイ・アリーフは子どもには甘い。
***
3階に上がると、一際目を見張る赤みがかかった木材で出来た両開きの立派な扉があり、その前でまた私兵が倒れている。
階段の手すりに彼の物と見られる背広がかけてあったので、内ポケットに探りを入れてみたら、どういうわけなのか本物のリボルバーがねじ込んであった。
「コイツ、兄貴と戦って負けたらしいけど何で道具を使わなかったんだろ。兄貴のヤツはちゃっかり僕があげたエンフィールド使ってるし」
もう一つおかしなことに死体の脇には鞘があったが、肝心の剣の方がどこにもない。戦闘後に誰かがここを通って拾っていったということだが、戦利品なら鞘を忘れるはずがない。
つまりは、護身のために持ち出した。
「近いな」
アリーフはほくそ笑むと、紐の結び目を解くようにするりとリボルバーを分解し、後方に投げ捨てた。
***
目的もなくのろのろ数十メートルほど歩いたところで、アリーフはかじかむ足を止めた。
「変な構造だ。最上階に浴室があるのか」
アリーフが立ち止まった所には、他の部屋と比べて一回り大きな扉があった。扉の横には浴場と彫られた青銅のプレートが埋め込まれている。
アリーフはカービンを脇に挟んでじっと両手を見た。極寒の中、血煙を浴びて闘った後遺症で、こうして屋内に入った今でも手先が細かに震え、そのせいか力もあまり入らない。さっきトイレを借りたらスラックスの留め金が中々留められなくて苦労した。
「……」
蜜に吸い寄せられる蜂のように、アリーフは武装はしていても頭は無鉄砲に取っ手を掴んで脱衣所を通過し、土足で浴場の中へと踏み込んだ。
広大な正方形の浴場には薄茶色のタイルが敷き詰められ、中央でくり抜かれたように位置する丸い湯船だけ赤いタイルが貼られていた。何となくアリーフは、燻した鮭の切り身を載せたクラッカーを連想した。
壁際には縁取るようにシャワーと鏡が間隔を空けて置かれ、豪勢だがどことなく大衆浴場を思い起こす内装だった。
湯船に近づいて手を入れると、湯はまだ温かく白い湯気が濛々と立ち上っていたが、天井に取り付けた大型の扇風機によって視界は曇らず良好だ。
アリーフはカービンを壁に立てかけてブーツと替えたばかりの靴下を脱ぎ、裾をまくってふくらはぎまで足を剥き出しにすると、猫のように慎重に湯の中に爪先を入れ、ぐったりと縁に座り込んだ。そして染み渡る湯の快楽に気持ち良さそうに息を吐いた。傷が治ると言っても、やはり磨耗した精神までは自力では治し難い。
「あー生きる喜びを感じる」
アリーフは両手でお椀をこしらえて湯をすくうと、顔も洗って身なりを整えた。一番厄介なのは血だらけ穴だらけのレインコートだが、レーゼからの貰い物を捨てるのも悪いし、正直彼自身気に入っていたので扱いに困っていた。
「ん」
3回ほど顔を洗い終えた時、アリーフは指の爪の間に血が詰まって汚らしく黒ずんでいることに気が付いた。なので、立ち上がって脱衣所から石鹸を借りようとした、その時だった。
「ぐぶっ……」
彼は突如背後から何者かに喉を貫かれた。顎の下で鈍く輝く刃の光沢を瞳に映し、背骨を蹴られて湯船の中へ叩きつけられたアリーフは琥珀の血反吐を吐いて沈んでいった。




