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嵐の前の静けさ

「リウはお魚が好きね、その内ツテで養殖場連れていってあげようかしら」


「んー? そのよーしょくじょーってサメはいるの? いっしょにおよぎたいの」


「あら、いたとしてもサメはリウをおやつとしか思ってくれないわよ」


「えー? がんばったらゆめはかなうってにい(ジェスタフ)はいってたよ」


「アイツが言う真っ当なことは、常識や道徳がついてこないから皆等しく無意味よ」


「え……?」


 時は遡ること2時間前、レーゼはリウの子守をして時間を潰していた。ベッドに上がってリウの横で寝転んで、彼が熱心に読み込む魚類の図鑑を横目で眺めていたが、元より魚に対して食べ物以上の価値感を持ち合わせていないレーゼには、エイやヒトデの精巧な挿絵は何の感動も与えず、ただただ退屈でしかなかった。


「リウは何が一番好きなの? あ、このオニヒトデっていうのは踏んだら痛気持ち良さそうね。毒あるけど」


「アユ。わたまでおいしいし、いいにおいがするんだって」


「結局のところうまいかまずいかで決めるのねェ。私は昔から肉とか魚あんまり食べないから分かんないわ」


 レーゼは上半身を乗り出し、猫のように素早くベッドの下に手を入れると、アリーフの好物のチョコチップクッキーが輪切りのレモンのような仕切りで入ったブリキ缶を取り出し、蓋を開けて一枚こっそりつまみ食いした。


「ほら」


 そして口止めに、もう半分はリウの口に入れた。

 これといって幼児と触れ合うことのない人生を歩んできたレーゼだったが、あくまで個人の不明瞭な評価として、リウは他の4歳児と比較してやや内向的すぎる部分があると思っていた。

 基本的に彼女を除けば、アリーフやジェスタフのような兄弟を含む数人にしか懐かず、進んで外に出たがることもなければ、毎日飽きもせず図鑑を読み返したり、時にはジェスタフが置いていった法律書を引っ張り出し、数ページめくったと思えば、枕にして寝ている。

 アリーフが気を利かせて買ってきた鹿のぬいぐるみは、今ではクランストロ将軍に言われた小言に苛つくジェスタフが、度々壁に投げつけたり、警棒で叩いたりして憂さ晴らしに使っている。

 気に入ったものにしか見向きせず、新しいものを見つけて開拓するのが億劫な性分は、何となく重ねてみると自分と似ている気がして、リウに対して親近感を感じる。だから何となく気が合うし、リウもレーゼに対して疎ましさなどは見せていない。

 リウは正面から見るとアリーフに似ているが、こうして横顔を眺めて見ると、毒気を抜いて心を入れ替えたジェスタフにも似ていた。


「リウの髪は綺麗な白髪ね、下ろし立てのシャツよりも白く輝いてるわ」


 レーゼはポケットからブラシを取り出すと、起き上がってリウの髪を丁寧にとかした。この歳の子どもは皆一様に男女の区別が難しいが、その中でもリウは騙し討ちと言っていいほど女児にしか見えず、まるで子犬のように愛くるしく人々を盲目にさせて惑わせる。

 自分がどれほど華やかな容姿を携えているのか今は知らないが、いずれ禁断の果実を口にしたようにそれに気づいた時、リウが荒淫に溺れないことを祈るばかりだ。


「……」


 やがて、リウは髪をいじるレーゼの滑らかな手つきに眠気を誘われ、視線が図鑑から自分の腹辺りに下がると、並行して瞼も下がっていった。


「眠いの?」


「うん」


「じゃあ寝た方がいいわよ」


 そう言うと、レーゼは慣れた様子でリウを一度小脇に抱え、図鑑を端に置いて毛布を捲り上げると、うつぶせにリウを枕元に寝かせて、その上から毛布をかけてやると、早くも寝息を立てるリウの小さな肩を、労わるように撫でて寝かしつけた。

 レーゼはリウの呼吸音を聞きながら、本棚の空いた箇所に設置された目覚まし時計を彼女はじっと凝視する。寝静まって3分を過ぎた時、リウの身体が寝返りをうってレーゼから離れた。


「よし……頃合いね」


 レーゼはのっそりと四つ足になってリウの元に近づき、かけたばかりの毛布を彼から剥ぎ取ると、冷たい手で彼の寝相を仰向けに変えた。


「うぇへへ」


 瞬間、レーゼはやたら息遣い荒くジャージを脱ぎ捨て、下着姿で眠るリウの背に手を回して抱擁すると、何の迷いもなくリウにキスをして、下唇に吸い付いた。貪るように途切れ途切れに触れ合う唇を離し、火照る吐息に頬を紅潮させるレーゼは、口元を拭いながらこう言った。


「へへへ……そりゃこんな無垢でかわいい子と毎日一緒にいたら、性癖に異常も来たすわよね……あ、鼻水垂れてる」


 レーゼは舌先でリウの鼻の先っぽを舐めとると、寝て起きない彼を抱き抱えて頬擦りし始めた。幼児特有の湿った高い体温が素肌に触れて、次第に股座が熱くなった。


「ハァハァ……これでリウが起きたら私は破滅するわ。しかし、そのスリルも含めてやめられないわねぇ」


 レーゼの欠点その35、性犯罪者予備軍。


 リウのことを愛らしく思っているのは紛れもない事実だが、それが行き過ぎた結果、奇妙な方角に湾曲してしまったのがこのレーゼである。この病はリウを風呂に入れた際、石鹸で彼の身体をくまなく洗った時に発症したようだ。

 アリーフがジェスタフの尻拭いに指を噛みちぎっていた頃、レーゼはリウの足首を撫で回していた。

 リウは本格的に寝ると、横で爆竹を鳴らそうがシンバルを鳴らそうがまず起きない。これは兄二人も同じだ。レーゼはその深い眠りに就く頃合いを見極めており、リウと2人きりになると、彼女はさっさとリウを寝かしつけては彼に悪戯している。

 最近では罪悪感すら湧かなくなった。寝てる最中に起きたことで、本人も誰もそれを認知していないなら、それは何もないことと一緒だと片付けてしまっている。いや、彼女に限らず、何かに夢中になる人間というのはいつだって、誰も彼も歯車が正常に作動せず、油を注し忘れて我も忘れてしまうものである。


「スキンシップなら何ら非難される言われは無いわよね。うふふ。お腹柔らかい」


 悲しいかな、レーゼは悪人ではないが痴女なのだ。大した恋愛経験も無いまま29歳にまでなってしまった人間の、哀れな末路と言える。


「あん?」


 鼻の穴を膨らませたレーゼが更なる危険な行動へ移しかけた時、ジャージと共に床に投げ捨てたトランシーバーから着信音が響いた。レーゼは舌打ちしてトランシーバーを拾い、忌々しそうにもう一度舌打ちして起動した。


「チッ、やっぱりアンタねジェスタフ。私今手が離せない状況なのよ。悪いけど茶々入れないでもらえる? え? あら、そんないいものくれるの? 分かったわよ仕方ないわね。何? 召集かけるのと武器庫から弾薬と火器を取ってきたらいいのね? はいはい、ちゃんと約束は守りなさいよ」


 レーゼの顔は不機嫌に曇っていたが、ジェスタフが何やら提示した条件がまんざらでもなかったらしく、途中から満点の答案を親に見せる子どものように唇から笑みがこぼれていた。


「ま、楽しみは小分けにして取っておくのも悪くないわね……いや、一瞬で終わらせてまた続きに取り掛かればいいんだ……」


 レーゼは歪な微笑みを浮かべながら両肩を回し、脱ぎ捨てた衣類を再び身に纏うと、もう一度熱烈なキスを食らわせ、リウの寝間着を正して最初の姿に戻した。


「リウ? お姉さんちょっと行ってくるわね。まぁ起きるわけないか」


 そして、彼の耳元で小さく囁いてから出て行った。


 *****


「何だ。鍵空いたままじゃないか。施錠してから出ろといつも言ってんのに」


 レーゼとちょうど入れ替わるように、部屋に新たな来訪者がやってきた。


「しかもリウしかいねぇのか」


 団結軍の指揮官。クランストロだった。

 彼は高い身長のためドアを潜って中に入り、内側から鍵をかけた。そしてベッドに腰掛けると、リウを起こそうともせず煙草を咥え、銅色のライターで火をつけた。


「......」


 視線はリウに向いていたが、彼は話しかけようとはせず煙草を燻らせていた。リウの顔を覆う前髪が邪魔そうに見えたのか、時折木の皮のような硬くひび割れた指先で払う様子が見受けられた。

 数分経ち、クランストロが口から煙を吐きつつ吸い殻を捨てる灰皿を探していると、眠りながらも嗅ぎ慣れない煙草の異質な香りに違和感を感じたのかリウが起き上がった。


「あれ? おじさん?」


「よう。お前の兄貴達はどうした? アイツもいないのか?」


 クランストロは吸い殻をスリッパに押し付けてシャツの胸ポケットに入れると、リウの脇下を持って抱き抱え、膝の間に乗せた。


「んー? おばちゃんはどっかいっちゃったのかな? ふたりはやまのぼりにいったよ」


 羆と餓狼を足して割ったような強圧的な風貌のクランストロに対して、一切臆することなくリウは額を彼の胸板に擦り付ける。


「山? 健康的だが何でまた登山になんかに行ったんだ?」


「よくわかんないけど……デカいヤマをやるっていってふたりともいっちゃったの」


 クランストロはリウと目を合わせて静かに頷いた。


「そういうことか。あのガキめ。俺に隠れてコソコソ良からぬことで泡銭せしめようって魂胆か。リウ、どこに行ったのか教えられてないのか?」


「うん」


「そうか、あの女が帰ってきたら教えてもらわねばな。度合いによっては俺も行く」


「やだ、ひとりこわい」


「安心しろ、帰ってくるまで待っててやる」


 リウに服を掴まれたクランストロは、打って変わって猫なで声とも言える柔和な声を作り、照明を浴びて銀糸のように煌めくリウの髪を指に絡めてとても愛おしそうに撫でた。


 ****


「あー嫌だクソッタレ、煙に巻かれて腹は蹴られてひっどい目にあったわ」


 そう長く待つこともなくレーゼは憔悴した様子で悪態をついて帰ってきた。朝に壊した換気扇を直すために工具箱を持っていたが、爆発の黒煙に包まれたのか、青白い顔をアナグマのように黒く染め、湿らせたハンカチで神経質に拭っていた。

 そんな彼女だが、ドアノブを回して鍵がかかっていることに気付いて訝しみ、鍵を取り出して室内に入ったら、更に目を丸くして慄いた。


「ク、クランストロ将軍? いらっしゃってたんです……か」


 言わずもがな、そこでクランストロがリウと戯れていたからだ。まさかいるとは夢にも思わなかった男の存在にレーゼは面食らったが、彼女の尊敬すべき点はこのような事態でも石膏で固めたような真顔を貫けることだ。

 一方で、リウはクランストロの肩に手を置いて立ち上がり、肩たたきの真似事をしていた。


「おう、ダメだろ。寝てるとはいえ4歳児を放置して外出は。何かを誤嚥したとして、ここには適切な処置が出来る奴がいない」


「お詫びの言葉もございません。以後気をつけます」


「随分と顔が汚れてるな」


「は、お目汚し失礼致します。つまらないことで服を汚してしまいまして」


「……ほーいい歳の女がそんな煤だらけになるようなことというのも、興味あるがな」


 レーゼは何故クランストロがここに現れたのかが分からず困惑していたが、現実的に物事を図る彼女は、もしかしたらさっき私がリウにむしゃぶりついていたことが密告された? と邪推した。


「ところでリウに聞いたんだが」


 クランストロが切り出した言葉に平静を装っていたレーゼの唇が鮮やかな藍色になった。やばい。殺される。レーゼは落ち着きなく瞬きしてそう思った。


「リウと遊んでたらしいな」


(リウを弄んだ!?)


「リウが言ってたぞ、お前ともっと喋りたいって」


(リウでイッてた!? しかもしゃぶりたい!? いつのまにか私はリウを開発してたのか……)


 錯乱したレーゼは見事な勘違いをして1人勝手に怯えていた。徹底してシラを切るべきかと思ったが、そうすると露呈した後の罰が恐ろしい。

 僅か20余年で小市民から将軍にまで上り詰めたクランストロは、その華々しい功績から敵国にも一目置かれる一方、花びらをめくれば毛虫がいるように、勲を挙げる為には苛烈な行為と命令も辞さぬ上、虐殺にも肯定的だったことで知られていた。


「ところで知りたいん「すいませんでしたぁーーーっ!!!」


「は?」


 なので、観念して土下座して謝る方がまだ得策かと思った。


「悪いこととは分かっていましたが、自分を抑えきれずについついエスカレートしてしまいました!! 私が悪いんであって、リウは悪うございません!! 全て私が悪いんです!!」


「……」


「ねぇおじさん、おばちゃんはなんでないてあやまってるの?」


 リウがクランストロの横で尋ねると、彼はポケットから小粒のリンゴを取り出してリウに手渡した。


「お前、これ持って厨房か談話室に行ってこいや。俺の名を出せば切ってくれるはずだ」


「わーいリンゴだ、おじさんありがとう」


「おう」


 真っ赤なリンゴを渡されたリウは顔を綻ばせてレーゼの横を通った。そしてドアノブにぶら下がって器用にドアを開けると、小走りで走り去っていった。

 後にはリウが去ると同時に足を組んだクランストロと、土下座したまま動かないレーゼが残った。

 一服しながらクランストロが口を開く。


「お前は何か思い違いをしているな。俺はアリーフとジェスタフの居場所と何してるのかを聞きたかったんだが」


「え?」


 それを聞いてレーゼは電流が走ったように顔を上げ、硝煙の匂いを纏い歩み寄ってくるクランストロの相貌を視界へ入れた。


「だが、聞きたいことが増えたな」


「さて、ボイラー係の晩の餌を用意して参りますので私はこれにてギャァァァァ!!」


 レーゼはすぐさまフナムシのように土下座の姿勢のまま、反転して開け放しのドアから逃げようとしたが、クランストロに襟を掴まれて強引に立たせられると、そのまま衣服の上からでも脈動伝わる腕に挟まれ、首を締め上げられた。


「まぁそう慌てるな、たまには俺も若い女と話したいしな。何、俺の腕の中でも会話は弾むだろう?」


「むぎぎ……」


 レーゼはクランストロの足首を蹴って抵抗するが、まるで重機に押さえつけられたように何もできない。力の差は歴然だった。レーゼのか弱い戯れなど気にもとめず、クランストロは蹴ってドアを閉めると、口から煙草を抜いて火口をレーゼにチラつかせた。


「アリーフがいて良かったな。多少手荒くしても五体満足は保証できる」


「いっいやァァァああァァああァァァァァ!!!」


 その後には、絹を裂くようなレーゼの絶叫だけが残った。

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