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悪魔になりたい天使

 外に出て、靴紐を結び直しつつ空を見上げると、空はいつのまに淀んだ乳白色に染まり、視線の先では幾つもの綿毛のような白雪が左右に揺れて舞い落ちてきた。


「雪……か」


 僕が前の方に掌を出すと雪粒が降ってきて、冷たさを感じたと思ったら、その時にはもう溶けていた。幾つになっても雪は好きだ。

 11歳の時、顔見知りが雪に埋もれて死んだけれど、だからといって降り積もる雪に畏敬や恐怖を覚えたことは一瞬たりとてない。

 子どもの頃、練乳をかけて兄貴と一緒に食べたり、雪だるまを作ったりした。背後から兄貴に背中に雪を入れられて大泣きして、慌てた兄貴が自分でパンツの中に雪をしこたま押し込んだことを思い出す。

 しかし、ただ雨が凍っただけなのに、どうしてこんなものにこれほど心が躍るのだろう。僕は手についた雪解け水を何となく舐めた。

 そんな時、庭の方からレーゼが回ってきた。身震いする寒さに身体を強張らせて、落ち着きなく両腕をさすっている。彼女が落ち着きがないのはいつもだけど。


「やれやれ、靴履いたまま上がったのに、それを忘れて靴履こうとしゃがんじゃったわ。それにしてもさっむい!」


 レーゼは脚の形がくっきりと見える黒いジーンズにパーカーを着ているだけだったので、確かにとても寒そうだった。それにしても彼女らしくない、やさぐれた中学生のような服装をしている。きっと、いきなり兄貴に呼び出されて、嫌々慌てて着替えたんだろう。


「僕はレーゼからもらったレインコートのおかげであったかいよ、雪も防げるし。それじゃあ行ってくるね」


「待ってよ、私も途中までついていくわ。転送用のゴミ箱を置いたのが、この下の辺りなのよ」


 僕が街に向けて歩き出すとレーゼも真横にくっついてきて、パーカーについたトンネルのような両開きのポケットからドロップ缶を取り出し、口に飴を放り込んだ。


「なんだか2人とも黒い服着てるから、喪服を着てるみたいだね」


「そうね、というかそれ皮肉? あなたはこれから葬儀屋の懐を温めにいくのよね。飴舐める?」


「いや、いいよ。というか本当に薄着だね。ほら、手袋貸してあげるよ」


 僕はレインコートのポケットから焦げ茶色の革手袋を取り出すと、彼女の手を取ってはめ込ませた。彼女の腕は骨と皮だけで、腕を下に下ろしたら手袋がずり落ちて、地面に落ちてしまいそうだった。


「アンタは執事が向いてるわね。ありがとう、霜焼けにはなりたくないから助かるわ。でもいいの?」


「だって窃盗とかするわけじゃないもん。指紋だって残したって別にいいさ。極力私物以外には触れないようにするけれど。というかレーゼ痩せすぎ。甘いもの好きなのに太らないんだ。太れない体質なの?」


「まぁそういうのもあるわね。私昔から食べた物がほとんど身長に行くのよね。ここ最近は何かねぇ……たくさん人が死ぬところを見てるから、食欲減退気味で朝にトマト一つ食べたら、後は板チョコかじったり飴舐めるくらいで大分満足してるわね」


 僕は呆れて嘆息した。一食抜いただけでも体重はごっそり落ちるというのに、毎日をそれだけで済ませていたら緩やかに餓死に進んでいるようなものだ。言われてから彼女の身体を改めて見てみると、初対面の時よりも痩せこけているような気さえした。

 このまま放置させたら、年を越す頃には収穫時期を過ぎた、黄色く萎びたキュウリのようになりかねない。


「今度、一緒にご飯食べに行こうよ。奢るから」


「あら嬉しい。それならリウも一緒に連れていきましょうよ。あの子、いつもにぃたちはぼくをおいていっちゃうって今日私にぼやいてたわ」


「好き好んで置いて行ってるわけじゃないんだよね……」


「一応、働いてて忙しいのよってフォローはしておいたわよ。私とリウは25歳差の友達だからね。たまには絵本でも読んであげたら?」


「……ありがとう」


 ふと、正面の花屋に並ぶ色とりどりの花が目に留まり、僕はそこでラベンダーと赤のバラで花束を作ってもらった。店員の男性には、閉店してもしばらく店内にいた方がいいと告げて。


「これ、確か兄貴の机上に花瓶があったはずだから、飾っておいてよ。リウは花の香りが好きなんだ」


「なんだ、求婚されたかと思ったわ。構わないけど、こういう金に物言わせるんじゃなくて、今言ったでしょ? 一緒にゼリーとかパンケーキ作ってあげた方が喜ばれるわよ。こういうの口悪いけど、キャバレーの女の子を振り向かせたいから高い酒入れるようなものよ」


「嫌な例えだなぁ……わかったよ。今度一緒に牧場でも行ってくるよ」


「家族は大事にしなさい。私も家族いるけど、できるなら二度と会いたくないわね」


 僕がそう約束するとレーゼも納得したようで、煙草に火を点けて雪に混ぜ込むように、雲霧と同じ色の煙を吐いた。


「話は変わるけど、アリーフ。アンタ、やりたくないことならやらなくていいのよ。前歯へし折ってもいいから、ジェスタフにも言ってやりたいことは言いなさい」


「……」


「私の人生は後悔によって成り立ってるわ。あの人にあれを言っておけばよかった。あれをやっておけばよかった。買っておけばよかった。私とアリーフの人格の違いだろうけれど、物心ついた時から物事の結末には鈍色の悔いが浮かぶわ。

 あーあ......って単語はひらがなで3文字、でも、私の人生にはこの、あーあが背後霊のように常について回っている。

 そりゃあ人間なんだし後悔はするわ。人生は分からないものよ。私だって明日には死体になってるかもだし、この街の人も......。まぁ、逆に自家製ワインを売り出して、突如金持ちになった輩も大学の講師にはいたけどね。

 いい? アリーフ、私はあなたにやめろとは言わない。ただ、後から虚しい気持ちになりそうなら……ねぇ?」


 レーゼは僕に返事を求め、僕はしばらく考え込んだ。レーゼもそれを察して、僕を遮って言葉を続けるようなことはせずにじっと黙っていた。道は空いているのに、レーゼは妙にぴっちり擦り寄ってきて怖かった。


「そうだよ。人生は短い。だからこそ後悔しないよう、この世の春を謳歌するためにも生きなくちゃいけないと思う。この花も1週間もすれば萎れてしまうと分かってるけど、人が萎れて枯れるのは大同小異というわけにはいかない。人間の人生が花のように、誰も彼もが終わりが皆一律に区切られていたら、いいだろうね。でも、そうはならないから、僕は成すべきことだけに集中しなくちゃいけない……と、思います……」


 レーゼはまだ吸えた吸い殻を街路樹の下の溝に捨てて、僕の肩についた雪を払い落とした。


「アンタスピーチ下手ねぇ。ポエムをそのまま音読してるみたい。いいわよ。アンタは絶対的に信頼してる兄様の元で頑張ったらいいじゃない。全くなんでアンタみたいな美男子が軍人になっちゃったのかしら」


「そりゃ家族だし。まぁ絶対的ってほどじゃないよ。僕だって兄貴に迷惑してるところはあるし。 あっそうだ」


「皮肉通じないわねー」


 僕は彼女の両肩を掴んで顔を近づけると、そっとさっきレストランで起きた一連の出来事を耳打ちした。側から見たら往来で熱く求め合ってるように見えたらしく、実際通り過がりの紳士風の老人が、僕らをからかうように口笛を吹いて行った。言い終えた時、レーゼは露骨に不快感に顔を歪めた。


「アイツ13歳にまで手を出したの?アンタに指まで詰めさせて?ちょっと戻って1発殴ってもいいかしら」


「ちょ待ってよ」


 そう踵を返しかけたので、僕は慌てて呼び止めた。そして、ラベンダーの花を一本花束から抜き取ると、舌先を噛み切ってそこに唾液混じりの血を垂らした。


「何やってんの?」


「一応あの場は納めたけどさぁ、何か兄貴、娘さんをボコボコにしちゃったらしいからさ。それが後に尾を引くと困るし、レーゼなら警備とか関係なく建物に侵入できるでしょ? ちょっとこれ食べさせてきてよ。事務所はここだけど、詳しくはヤクザの家とか街の人に聞いたらすぐ分かるからさ」


 僕が花と名刺を渡すと、レーゼは普通に嫌がった。


「はぁ? 何で私がアイツのケツを拭かなくちゃならないのよ。だいたい今に大騒ぎが起きるから私さっさと帰りたいんだけど」


「じゃあ今日帰ったら背中流してあげるよ」


「仕方ないわね。一瞬で終わらせるわ」


 レーゼがごねたら、だいたいこれか添い寝すると言えばやってくれる。これは機嫌が悪い犬に骨付き肉を与えたら、途端に尻尾を振り始めるのと似ている。


「じゃ、アリーフも頑張ってね。ほら、せめて顔は隠しなさいよ」


 レーゼは僕のレインコートに付いたフードを被せると、そのまま猛烈な速さで坂を駆け下りていった。レーゼはあの貧相な身体でも、不思議と身体能力はやたら高いのだ。


 ***


 僕自身も彼女を追うわけではないが、レーゼと同じ道を歩んでいる。レーゼは僕が今から街に連なる建物を爆破し、銃を乱射することは兄貴のために嫌々やるのだと思い込んでいて、僕もそれを匂わせる風に答えた。

 だが、実際は違う。僕は好き好んで今から無辜の人々の血をアスファルトに吸わせ、やがて来る救護のトラックに散乱する臓物を轢かせようとしているのだ。

 小説で自分の居場所なんてずっと無かったという、いかにも温室育ちの孤独を知らない人が書いたような安いセリフがあるが、ほとんどの人は居場所なんかどこにもない。

 子どもが死ぬならやりたくないというのは本心だけれど、同時に普通の人間なら何人死のうと構わない。

 所詮、この世は無関心。対岸の火事。兄貴も僕も他人の死を悼むことに関しては意味を見出していないけど、僕が思うに兄貴のやり方は嫌味ったらしくて回りくどい。兄貴は自分の知能を活用することも好きだから、別にそれを否定はしない。

 ただ、僕は同じ意見じゃない。僕は人が死に、火が街を包む阿鼻叫喚の度し難い世界を練り歩き、顔も知らない連中の人生が大勢狂っていくのが間近で見たいだけだ。オーラという言葉があるけど、それは瞬きすら忘れるほどの絶望の中でのみ露わになると思っている。僕に言わせたら兄貴のは地味だ。

 兄貴が子どもの頃の僕に喪服を着せて、うまいものが食えるからと社会経験も兼ねて兄貴が死に追いやった人間の葬式に参列させたことがあった。その時に会ったこともない母親が泣き崩れる。

 そして、その背中を見て涙する人達を見て、子供ながらに実に馬鹿馬鹿しいと思った反面、母親から鮮やかな海のような蒼い靄が見えたのが、全ての始まりだ。だが、僕のこの性癖は兄貴も知らない。

 騒乱が昔から好きだ。子どもの頃から殴り合いが起きたら違う学年でも走って見に行ったものだった。騒乱を見れるなら、自ら騒乱を起こしたって構わない。どうせ別の地方の人間なんてこのことを認知すらしないし、知っててもすぐに忘れる。

 兄貴も僕ももうこの世界でしか生きれないが、それでも別に後悔や苦しみは感じていない。むしろ、運命が選んだ天職とすら思っている。むしろ、戻れないなら自分を説き伏せて、何でもいいから快楽を見出さなきゃやってられないじゃないか。

 自分の居場所がないなんて誰でも同じだけど、僕の場合は、ずっと孤独を抱えて生き、今でもその思いは消えない。しかし、僕はもうハタチ。大人なら居場所は与えられるものではなく、自ら見つけるものだ。ならば兄貴のいるここが、きっと僕の居場所なんだ。

 死を悼むことが生者の使命なら、死を冒涜することもまた、生者の特権なのだ。僕はあの畜生の兄貴の弟だ。そんな純朴なわけがない。

 そんなことを考えている内に、僕は警察署の前に立っていた。


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