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銃剣と薙刀 6

「すいませんお婆さん、このオモチャのピアノは何なんですか?」


 店から出たジェスタフは、煙草を蒸してアリーフにどこへ向かっているのか行き先も告げずに歩いていた矢先、塗装の剥げた黒い小さな子ども用のピアノが、こぢんまりしたアパートの階段の側にぽつんと置かれているのが妙に気にかかって、通りがかりの老婆にそれを尋ねた。


「ああ? これかい……これはね、今はここは小さなアパートだけど、昔はここに家があってね。お鍋を空焚きしたのが原因で火事になったの。その時にまだ小さな女の子が亡くなってね。その子がすごくピアノが大好きだったっていうから、誰かがここに供えたのね」


「それは……なんと痛ましい」


 ジェスタフは膝をつき、指先で黒ずんだ鍵盤を押してみたが音は鳴らなかった。


「雨風に野晒しだからね、ピアノとしてはもう使い物にはならないね。じゃあね」


「ご親切に」


 ジェスタフはのっそり立ち上がると、煙草を近場の花壇に放り投げ、歩き去る老婆の海老のように曲がった背中をじっと見つめて、彼女が傍に曲がった瞬間。


「ケッ」


 一切の躊躇いも見せずにピアノを革靴で踏み潰した。すっかり痛んだピアノは内側から腐っていて、ジェスタフのほんの一撃でパンの食べかすのようになり、粉々に粉砕された破片は一陣の風に吹かれて飛んでいった。


「フン、ゴミはさっさと片付けろよ。アホのやることは誠に理解に苦しむな。行くぞアリーフ」


「......新品が供えられるかもと思えば善行かな」


 ジェスタフを追随するアリーフは黒いレインコートを身に纏い、煙草を吸っては口の中に紫煙を溜めて、一気にジェスタフの髪に吹きかけるという行為を何度も繰り返す。言うまでもなく、動機はさっきの憂さ晴らし以外に存在しない。


「やめろ、俺を燻製にしたいのか?」


 ジェスタフは振り向かずに歩きながら苦言を漏らすが、アリーフはやめるどころか彼の肩で煙草の火を潰して、更にもう一本喫んだ。


「まだ痛みが残ってるんだけど、痺れて指先が震えるよ」


「あ? そうか、俺も唇の裏の口内炎が1週間も治らん。お互い強く生きていこうな。おい! 背後で撃鉄を起こすな、だから悪かったって何度も言ったろ? それにお前だって裏社会とパイプできたじゃんかよ。喜ばしいことだろ?」


別に裏社会とパイプがあっても上手く利用できるほどアリーフは賢しくない。


「兄貴、そういう態度は漱石枕流って言うんだよ。てゆーか何でそんな居直れるのかな? 兄貴は僕がいなかったら今頃は頭に灯油か塩酸かけられてたよ」


 そう言うとアリーフは彼に飛びついて、さっきヤクザを人質にした時のように、ジェスタフの首筋に左腕を絡めて喉笛を挟み込み、その腕を身体ごと後ろに引いて彼の足を浮かせた。


「青いな我が弟よ」


 だが、ジェスタフは造作もなく体重をかけて地に足をつけると、前屈みになって逆にアリーフを背負い上げて尻に手をやり、軽々彼を持ち上げてしまうと、小さく跳びはねておんぶの体勢を作り、何事もなくまた歩き始めた。


「こんなことで僕の機嫌が良くなるとでも思ってるの?」


 アリーフは、この歳にもなっておんぶされることに微笑ましく見る周りの人間の目もあって、気恥ずかしさを覚えたが、次第に慣れてされるがままにジェスタフの背中に頬を押し付けた。


「しかし、まさか絡んだ女が筋モンの親玉の娘だとは全く考えが及ばなかった。事実は小説よりも奇なりとは、全くその通りだな」


「兄貴は見境ないから、同じことをまた繰り返しそう。へへへ」


 アリーフはいかにも無垢そうに破顔して、口に溜め込んだ紫煙をジェスタフのダッフルコートの襟を掴んでシャツに向けて一気に吹き込んだ。湧き上がる煙がトッグルの隙間から溢れ出し、たまらずジェスタフは涙目になって咳き込んだ。


「お、お前なぁ〜……まぁいい。見境はあるさ。俺はしっかり選別してから事に及んでるぜ。例えば、今横切った酒屋を振り返って見てみな。赤いマフラー巻いた女がいるだろ?」


「え? うん、いるね」


 ジェスタフが親指の先を向ける方向に振り返ると、確かに酒屋の横の粗末な掲示板の前で、魚のような顔の20代くらいの女が何かをするわけでもなく、脚を20センチほどの間隔で開けて突っ立っているのが見えた。

 あまりに微動だにしないので、背負われて無関心に辺りを眺めるだけだったアリーフは、言われるまでその存在に少しも気づかなかった。

 ジェスタフは言葉を続ける。


「ああいう隅で郵便ポストみたいに何か立ってる女はだいたい春売る女さ。だが何か服装が無頓着で色気がねぇ。多分男のアレに溺れてるとかじゃなくて、何か理由があって大金がいるんだろうな。知らんけど」


「何か」といういい加減な単語をしつこく多用する辺り、彼がこれに関して冷淡なまでに、魚鱗一枚ほどの興味がないことがよく分かる。痛ましいとか嘆かわしいといった言葉が、その本来の意味を伴って彼の口から出ることは滅多に無い。アリーフもよく「素晴らしい」を皮肉で使う。


「よく見てるね、昔からつまらないことには誰よりも頭が回る」


「黙らっしゃい。つまることにも回ってるわ。まぁ俺が手を出すのはああいう感じの連中だ。知っての通り売春は法律違反だろ? 世間様に顔向けできねぇことやってるヤツはいいぞ。何やっても出るとこにゃ出られないからな。まぁ今回みたいな一周回って開き直ったヤツらもいるのだが」


「ああ、兄貴って中坊の頃にシンナー中毒者に瓶だけシンナー中身灯油で売りつけたって言ってたね」


「そう、それがお前の給食費や授業料諸々になった。あのアマ、お前にはびた一文金を出さないから俺が代わりにお前を育ててやったようなもんだぜ」


 ジェスタフは先ほどまでとは違って穏やかにそう言うと、アリーフが咥える煙草を器用に側面だけ唇に挟んで抜き取り、そのまま火が触れないよう舌先だけ使って煙草を回し吸いした。


「うん、ありがとう兄貴。感謝してる、嬉しいよ。だからといって13歳に手を出すのは流石にどうかと思うけど...」


「痛いとこ掘るな。いや、お前はあのガキを生で見てないからそんなナマ言えるんだ。ありゃ18か19にしか見えなかった。胸は突き出してて背は170近かった。あの親父娘可愛さに逆サバ読んでたんじゃねーの? ブハハハハハハハハ!!!」


「……」


 彼はアリーフを置いて1人豪快に笑い飛ばし、それはアリーフに怖気立つものを覚えさせた。空は青く、白い雲は風に流され千切れゆく。鳥はその下を自由気ままに飛んでいき、山の彼方へ消えていく。

 少しの間、ジェスタフは壊れたようにケタケタ笑っていたが、これも何となく笑いたいから笑っていただけで、何か楽しいことがあったわけでもない。だから飽きて終わる時は滴り落ちる雫のように、一瞬で笑うことをやめた。


「まぁ、世の中不慮の事態は起こるもの。今日の出来事は例外中の例外だよ。だが、俺も次からはこういう面倒事に巻き込まれないよう注意するさ」


「僕も巻き込まないでね、もう未来永劫やらないからね。てゆーかさっきからどこ向かってんの?」


 アリーフがジェスタフにそう質問すると、ジェスタフはぼんやりと返事を返した。


「あ? 俺さっき言ったろ? ガス抜きさせてやるって。この先の廃屋で運送屋と待ち合わせしてんだよ」


「運送屋? ああレーゼか。何の用で?」


「これからデカいヤマをやる、お前には飛び切りいい役をやらせてやるよ。というか運送屋でレーゼって分かるのなお前な」


 ジェスタフはさばさばした口調で不穏なことを言うと、アリーフの足を結ぶ己の腕を解いて彼を優しく降ろし、眼前に現れた不動産管理の立て札が門前に突き立てられた空き家の中へ、彼を連れて入っていった。

 また、何かよからぬことに加わらねばならないのかと思うとアリーフは少し気が重くなったが、最近は鬱憤が色々と溜まっていて、それを発散できる機会を設けられたと思うと、不思議と少し胸が弾む思いを感じたが、己の気持ちの矛盾を説明できる言葉をアリーフは持たなかった。

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