銃剣と薙刀 5
アリーフは口の中で舌を震わせ、虫の羽音より小さい声量で、頭の中で思うのと変わないくらいか細くそう呟いた。とてもじゃないが俯いた顔を上げることなど怖くて出来ない。いっそジェスタフを見捨ててこの場から今すぐに去りたいとすら思った。
だが、ジェスタフは言い忘れたことがこの期に及んでまだあったらしく、足を組み直して一言付け足した。
「ああ、あの子の名前忘れたんで教えてくれません? 人生は長い。今後彼女が自殺とかしない限り、この狭い大陸では必ずまた会うことでしょう。その際は一言挨拶した「死ねこんガキャァァァァァァ!!!」グギャァァいってェェェェ!! 何すんねやこのブタがァァァァァ!!」
瞬間。我慢の限界などとうに飛び越え、完全に我を忘れたリッケンバッカーは、ベルトに挟んだ拳銃を抜くと、即座にジェスタフの胸めがけて撃った。
ああ、素敵な土曜の夜仕様か。とアリーフは火薬の香りに包まれて、不思議と冷静にリッケンバッカーの握り締める小型リボルバーを見つめた。
暴力団の資金源の一つの粗悪な密造銃で、軍用とは比較にならないほどちゃちな性能だが、同時に軍用とは比較ならないほど安く、民間にかなり出回っていて軍部警察を悩ませている。休日の夜は毎週のようにこれを用いた銃撃事件が頻発し、怪我人が担ぎ込まれて病院、あるいは葬儀屋が儲かるのを皮肉って、素敵な土曜の夜の銃と言われている。
「このクソガキが……土下座の一つでもすりゃ不問にしてやっても良かったが、とことん人を舐めくさりおって!! 筋モノに喧嘩売ったこと後悔させたらァァ!!!」
「首領、落ち着いてください!」
「うるせェ!!」
リッケンバッカーは駆け寄って銃を奪おうとした部下を膝で蹴り飛ばすと、震える手つきで銃を両手で構える。
本当に殺す気だったのだろうが、劣悪な品質のせいもあり、近距離で撃っても着弾した箇所は大きく外れてジェスタフの左腕に当たった。
ジェスタフの着用する大枚叩いて買ったダッフルコートは、鋼のワイヤーを編み込んだ最高品質の防弾繊維で出来ている。38口径弾程度なら全く問題ない。
「うぅぅぅ……痛くない痛くないフーッフーッフーッ……痛く……ない……」
ただ、それはあくまで弾を防げるというだけで、撃たれた衝撃は感じるし、当然激痛も走る。それが神経の集まる肘辺りなら尚更痛く、彼は悶絶して椅子から転げ落ち、その時無意識に掴んだ紙コップを握り潰し、ひっくり返ったクモのように四肢をバタつかせる。
「あ、兄貴……」
アリーフは20年生きて、これほど典型的で絵に描いたような醜態というものは初めて見た。それが尊敬する兄だというのは少しばかりショックだったが、同時に自分ですら我慢して17歳で抑えてるのに、軽々と13歳に手を出したジェスタフに微かな憤りを覚えていたので、ちょっとだけ清々した。
少しだけ痛みが緩和したのか、ジェスタフは何とかして腹這いになると、血走った目でアリーフに向かって途切れ途切れに命じた。
「アリ、リーフ、い、今だ……アレを、やれ」
「……結構待ったけど、レーゼ来ないな……」
アリーフはジェスタフとほんの一瞬だけ目を合わせると、さっきまで気にも留めなかった視界の隅の観葉植物が妙に鮮やかで美しく映えているように思え、ずっと見ていたくなった。
「銃で人を撃ち殺すのは戦争以来だが、お前なら夢でうなされる心配もないな」
しかし、リッケンバッカーはジェスタフの頭の前で屈み、銃をつむじに押し当てたのを見て、やるしかないと諦観の念を持って腹をくくった。
「死ねい!!」
「オラァァアァァァァァァァァァァァァァァァァァァッッ!!!」
リッケンバッカーが今にも引き金を引こうと指をかけた刹那、その背後でアリーフが甲高い雄叫びを上げた。
「な、何だ?」
リッケンバッカーが反射的に振り向くと、そこには。
「うぇぇぇ……」
目からボロボロ大粒の涙を流し、自らの指を紫色の唇に咥えるアリーフの姿があった。その左手には中指薬指小指の計3本が、歯形の跡を残して食い千切られ、残る右手は断面を握り締めて圧迫止血をしている。
「な、何……してる?」
リッケンバッカーの今の今まで憎悪に身を乗っ取られ、真紅に顔を染めて猛り狂っていたが、その顔色は一瞬で緑がかった蒼白となった。
アリーフは自ら噛み千切った指を冷や汗を拭いながらリッケンバッカーの革靴に吐き捨て、深々と頭を下げた。
「本当に……兄に代わって心から、いや心底から謝罪します。お嬢様の苦痛に比べたらこんなの甘えたことでしょうが...こんな器の小さい下等動物以下の男でも...僕にはこの世でたった1人の兄なんです。もう、兄には二度とこのような馬鹿な真似はさせませんから、この場は僕のケジメで……収めていただけませんか!?」
「え? そうか? あ、は……ああ」
「3本じゃ足りませんか! ちくしょォさらばだ僕の全左指!!!」
混乱と罪悪感のあまり、何を言えばいいのかというより、何を考えればいいのかさっぱり分からないリッケンバッカーの前で残る親指と人差し指を口に押し込んだ。
ジェスタフがアリーフに頼んだアレとはこれのことだ。アリーフのパトロン「レ・ミゼラブル」はどんな傷だろうと治せる。ジェスタフはこれを逆手に取り、自分がこういった反社会勢力との揉め事を解決する際、アリーフをその場に連れて行って、自らその指を切断させて手打ちにさせることを考えついた。
無関係のカタギにここまでさせてしまった罪悪感。いきなり指を噛み千切って渡してくる恐怖。だいたい人間は今すぐこの場から立ち去りたくなり、またこんなことされて尚許さないようでは狭量のレッテルを貼られるので許す他無い。
アリーフは再生能力がある代わりに、身体の耐久性は常人に比べてやや脆く、手首などは包丁を押し付けて体重をかけたら切断できるほどだ。しかし普通に痛みは感じるので、アリーフがこれをやりたがらないのは当然の話である。
「わっわわわわ分かった!! 分かったからそんな真似はするな!! 分かった!! 君の兄を思う気持ちには感服した! 分かったから落ち着け!」
「うぉぉぉ痛ェよぉ……」
その証に、溢れ出るこの涙は演技などでは無い。耐え難い痛みにそれでも直向きに耐えることで必然と流れ出すものだ。首を刎ねられたことも蜂の巣にされたことも何度もあったが、痛いものは痛いし、全然慣れない。
「くそっ何でこんな子が……」
リッケンバッカーは気持ちを落ち着かせようと一服したが、手の震えは先ほどの比ではない。煙草を摘む以前に箱を掴むことさえままならなかった。
「……お前とは比べ物にならん優しい弟を持ったな……胸糞悪い。帰る」
ジェスタフに対してそう言うと、リッケンバッカーは憔悴した表情で足元の指を摘んでハンカチに包み、ポケットに入れた。縫合させてやろうかと思ったが、それはかえってこの青年の誇り高き意思に泥を塗る行為に思えた。
当のジェスタフは白目を剥いて気絶の振りをして、自分に火の粉がかからないようにしていた。放火したのは間違いなく自分だが。
「何かあったらいつでも事務所に来なさい」
去り際にアリーフの胸ポケットに名刺を入れると、彼に続いて部下達もいたたまれなくなり、何人かはえづいて店から出ていった。だが、アリーフを哀れに思った1人は、彼に遠くにあるという義指の店を教えてくれた。
最後の1人が出て行った時、アリーフは左手を握る右手を周りを見てからゆっくりと離した。言うまでもなく、そこには再生した3本の指がある。
「ったく痛すぎて脳が沸騰するかと思ったよ。おい兄貴、これで本当に最後だからな? 弟に泣きつくなんて恥を知りたまえ」
アリーフは目元を拭い、乾いた涙を爪で削ぎ落としながらジェスタフに近づくと、彼の脇腹を強く蹴った。
「分かってる……もうしない、ところでアリーフちょっとだけ屈んでみてくれ」
アリーフが言われた通りに屈むと、ジェスタフはがばっと起き上がってアリーフの頬をべろり、尖った舌で舐めた。
「前からちょっと気になってたけど、お前の涙ってシソみたいな味するな。やっぱ植物だからかな」
「……反省してます?」
アリーフは真顔で彼に問いかける。ジェスタフはアリーフの頭を撫でつつ、粘液質な口調で答えた。
「してるに決まってるだろ?」
「さっき兄貴が力説してた献花台とか人の道の件だけど、多分あの人の方が兄貴の5000倍人の道を弁えてると思うよ」
ジェスタフはそう言うと、仰向けになってアリーフの顔を見上げた。アリーフは腹癒せに彼の鼻をつまむ。それと同時に振り子の時計がけたたましく10回チャイムを鳴らし、今の時刻が午前10時であることを告げた。
「否定はしない。ところでアリーフ。肘痛いから治して」
「……」
アリーフは何も言わずに言うことを聞いた。自分は小さな時、たくさん兄貴の世話になったから、大人になった今、その恩を返さなくてはならないという気持ちはある一方で、恩義の返済にしては高額な利息だなと内心思っていた。




