真夜中の森の中で 2
青年アンドレイ・アリーフについて語るならば、何を差し置いてもまず彼の容姿について語らなければならないし、語るべきだろう。
それほど彼は美しかった。鼻は小さく瞳は大きく、それでいて無垢な少女のような顔立ちはどこか憂いを帯びている。
髪型はいわゆるマッシュルーム・カットだったが、切ってから月日が経っているようで全体的に髪は伸び、前髪の先は眉の下に垂れ下がり、柔らかいもみあげは浜辺の白い巻き貝のような耳を静かに覆い隠していた。
きめ細かい柔肌は、処女雪の如き純白さをたたえ、まつ毛に護られた瞳は艶かしく潤み、桜色の唇は舌で舐めるとしっとり濡れた。それが彼のマダムキラーな顔立ちに更に拍車をかける。
彼はそれほど魅力的な美男子だった。彼の前では役にのめり込む女優は公演中だろうと彼に見惚れ、幾人もの男を破滅に導いた手練手管の高級娼婦も彼が何もせずとも、いや何も接点が無くとも彼の好意欲しさに様々なものを貢ぐだろう。
もう一つ特筆すべき点として、彼は頭髪を眉毛も含めて、黄緑色と中々に不可思議な色に染めていた。瞳には最近流行っているカラーコンタクトをはめている。無論、これも黄緑色だった。恐らく彼が最も好きな色なのだろう。黄緑色と言っても色々な黄緑色があるが、彼の髪色は牧草のように明るい。
かといってそれが彼の容姿に傷をつけているというわけことは一切無く、むしろ髪が奇抜な色ということで、美貌にどこか浮世離れした幼さが加わり、彼への獣欲を焚き付け、掻き立てた。
とにかく彼は綺麗だった。アリーフがひざまづいてブーツの紐を解いて結び直していると、切り株に座り口を閉ざしていた男が彼の頭に掌を置き、髪に指をくぐらせた。
「何?兄貴」
アリーフは顔を上げて彼に頭を向ける。この2人は兄弟だ。一見すると少しも似てないが、生え際や鼻などの顔の部品に両者の面影がある。
兄の方は名を、アンドレイ・ジェスタフと言った。28歳。
愛くるしい顔の弟のアリーフとは対照的に顔付きには確かな気品があり、教養人然とした知的な印象も見受けられたが、それは冷ややかな目つきと合わさった副作用で彼を冷酷な人間と思わせた。そして、それは決して誤った評価でもない。
ジェスタフはアリーフの頭に置いた掌の指を起こして熊手のようにして、そのまま彼の頭を爪を立てないよう気を遣って前の方に梳いた。
「頭が土まみれだ、そんなんじゃいい男が台無しだぞ」
そう言われると、アリーフはすぐさま乱暴に髪を掻きむしって頭についた土などのゴミを払い落とした。
確かにジェスタフの指にはまだ湿り気のある土がこびりついていたが、それは月明かりに晒してみると紅色がかっていて、指と指を絡めるとぬるぬるした不快な感触がした。ジェスタフは鼻から小さく息を吐くと、ブーツに指を擦り付けた。
「にしても兄貴、よくたった1人だけで包囲網を突破できたねぇ。まさか誰もいなかったとか?」
「あ? ンなわけねぇだろ、一人二人は老いも病もない場所に行かせてやったよ。隠すの面倒だから草むらに放置したのはまずかったかも」
そう言うと、ジェスタフはダッフルコートのトッグルを手刀で乱暴に外し、脇に手を入れて鮮血に塗れたボウイナイフをアリーフに見せつけた。ボウイナイフとは、刃が柄に比べて長く作られた大型の狩猟用ナイフである。
ジェスタフが脇ならアリーフは腰に手をかける。そして、あるべき何かがそこに無いことに気づき、彼は手袋をはめているのかと思うくらい純白な手をジェスタフ差し出した。
「ん?あぁ……」
頭の回転が速い兄はすぐにそれが何なのか気づいたが、悠長にポケットに手を入れて潰れた煙草の箱を出し、一本咥えて火を点けた。
火はとても目立つ。周囲に悟られぬよう着火の際は掌で炎を覆い、更に喫む時には丁度手を拡声器にするように、両手の親指と人差し指で煙草ごと口周りを包み込み、仕上げに軽く俯いて火を隠した。
これは切迫した状況にあっても安全に煙草で精神を落ち着けるよう、職業軍人が上から下に語り継ぐ独特の喫煙方法だ。つまりは、この兄弟もまた屠られた先程の2人と同じ軍人なのだ。何も軍人が皆、十把一絡げに軍服や迷彩服を着ているわけではない、
「やるか?」
ジェスタフは大きく息を吸って一気に煙草を燃焼させると、吸い殻を吐き捨てて踏みつけつつ彼に尋ねた。アリーフがうん。と頷くと、ジェスタフは箱から1本引き抜いて、子供っぽく窄めたアリーフの唇に戸締りで戸に鍵をかけるように煙草を差し込むと、ライターから鈴虫の鳴き声に似た玲瓏な開閉音を立て、火を灯してあげた。
アリーフは兄と同じ動作で火を隠しながら吸っていたが、兄と違って煙草をこれが今生最後の一服と言わんばかりにゆっくりと紫煙を吐き、うまそうに煙草を吸っている。
20歳にして煙草の極意を熟知しているそれは、彼が未成年の時には既に煙草に手を出していたことを示している。
「兄貴、そろそろ僕の道具をくださいな」
自分には合わない銘柄だったのか一度煙を気怠げに吐くと、彼は煙草の火を自分の指で押し潰して捨ててしまった。そして、指に薄く生えた産毛が気になるのか、中指を猫のように尖った舌で舐めながらジェスタフに催促した。
ジェスタフはダッフルコートの裾をたくし上げて腰の後ろに手を回すと、スラックスとジーンズの間に挟んでいた消音器付きの拳銃を抜いてアリーフの手首を掴み、まるで王が兵士に褒美を下賜するかのような神妙な手つきで掌に静かにそれを置いた。
「ありがとう」
それは、ガバメントと呼ばれる大口径拳銃だった。彼は木製のグリップまで黒く染め上げたこの無骨な軍用拳銃を愛用している。その銃は至ってシンプルな形で、真上から見たらただの筒に見えた。
ジェスタフからガバメントを受け取るが否や、アリーフは真っ先に簡単な点検を始めた。銃身と同じ長さの消音器を締め直したり、弾倉を抜いてスライドを引き、動作に嫌なものが無いかを真剣に確認する。
ジェスタフは2本目を吸いながらアリーフに話しかけた。
「アリーフ君はここに今日何しに来たか分かってるかな?」
「知らない、生きることに理由が無いようにそんなもん知らない」
そうアリーフは元から少年のように高い声を、もっと甲高くして銃に視線を向けながら悪戯っぽくジェスタフに答えた。彼は20歳だがまだ変声期が到来していないらしい。
「バーカお前将軍の話を聞いてなかったな? もっかい説明してやる、いいか? 今回の作戦の目的は視察だ」
「刺して殺す方?」
「いや、視て察する方の視察だ、暗号の解析班によると連中、俺達の領土を土足で踏みにじるだけに飽き足らず、何か新兵器の開発テストをこの中島で行なってるらしい。まぁ確かに視察ではあるが、運用実験には調整のために当然兵士だけじゃなく学者やエンジニアも多数立ち会う。場合によってはちょっとした妨害工作をやっても構わないそうだ……」
そう言ってジェスタフはほくそ笑むと、懐から飲みかけの酒瓶を取り出した。さっきボートに乗っていた時に飲んでいたものだ。中に琥珀色の液体が入っていたので、中身は多分ブランデーだな。と、アリーフはぼーっと思った。それと同時に、兄貴のダッフルコートにはドライヤーや絵本とか何でも入っていそうだとも思った。
「俺達の領土を土足で踏みにじるなんて、兄貴にそんな愛国心があったとは知らなかったよ、それ火炎瓶かい? 手榴弾をそこは使うべきなんじゃないの?」
「いや、妨害工作は民間人か学融連みたいな政治団体の嫌がらせに見せろとの命令だ。手榴弾は軍人がやったと思われるからな、虜囚の辱めを受けている同志達が濡れ衣で拷問を受けるのは忍びない……それに人が火だるまになって泣き叫んで死ぬのは……経験上、手榴弾でバラバラになるより恐怖を植え付ける」
ジェスタフは唇をほとんど動かさず、呻くように喉を震わせて粘液質な声色で、俯いたまま鳶色の瞳だけはアリーフを見上げつつ喋った。彼には長々と喋る時は早口に切り替える癖があるようだ。しかし呂律はしっかりしており、その早口はかえって彼を邪智深く見せた。
アリーフはガバの点検を終えた証に弾倉を入れてスライドを引き、つつがなく射撃準備を完了すると、ベルトに装着したプラスチック製のホルスターにガバをしまった。
ホルスター側のダウンジャケットを肘打ちで背後に向けて払い、マントのように翻してから、まるで水鳥が小魚を人が瞬きする間に捕らえて丸呑みしてしまうかのように、彼の銃を素早くかつ滑らかに差し込む動作は華麗で、それがまた様になっていた。
そして、ジェスタフの言葉に付け加えた。
「フラッシュバックだっけ?トラウマになった記憶が発作的に脳裏をよぎるアレ」
「そうだ、よく知ってるな、読書家め」
ジェスタフは墓石のように地面に突き立てていたマチェットを引き抜き、煙草をガムのように乱暴に吐き捨て立ち上がって尻を叩くと、アリーフの下唇を指先でなぞって白い頬をやんわりつねった。
「じゃあさっさと終わらせて帰って寝るぞ、もう11時だ、どんなに寒くても眠気はちっとも和らがないのが辛いところだな」
「寝ても僕は起こさないよ」
歩き出すジェスタフの後ろをアリーフは付いていく。まるで大きなサメに付着するコバンザメのように。蔓の姿でも人間の姿でも兄の背中にくっついていくことに変わりは無いらしい。
「ところで兄貴」
「あ?」
アリーフは歩くジェスタフの硬い腕に自分の腕を絡め、子犬のように親しげな顔で胸板を当てながら尋ねた。
「その酒、高そうだけどいくらしたの?」
「……11万」
「無駄遣いするのほんと好きだね」
「うるさい、これも俺達が返り咲く『血と銃の革命による体制打破』のためだ。俺もお前もこのまま行くと末は射殺か終身刑のどちらかだ。甘く考えてるだろうがムショはキツいぞ? まぁ若い時の苦労は買ってでもしろと言うが、俺はオススメしないな」
「流石経験者は違うな」




