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アリーフの日常 3

 僕は歩いて公園に向かった。公園と言っても遊具は塗装の剥げたブランコのみの実に小さな所だ。いや、あんまり文句ばかり言うのはやめよう。不平不満ばかり言ってると不細工な人間になってしまう。

 僕はそう思いつつ、おぞましい悪臭がするトイレで小便をしたけど、不愉快にも水道の蛇口が汚れて黒ずんでいたので、とてもじゃないけど触る気になれず手を洗えなかった。僕は指に引っ掛けなくて良かったと心底安堵した。

 ベンチにホットドッグと牛乳瓶が入った袋を置くと、僕は革手袋をはめてブランコの上部を掴んで20回ほど懸垂をした。ブランコは2メートルくらいの高さしかなかったので膝を曲げる必要があったけど、その方が負荷がかかるからかえって良い。20回やってもま

 だ行けたので更に40回続けて繰り返すと、流石に疲れたのでハンカチで額を拭った。


「….…チッ」


 ふと手袋を見ると、剥げた塗装の錆びがこびり付いて汚れている。僕は舌打ちして鎖に擦り付けた。

 子どもの頃はブランコに乗ると兄貴が背中を押してくれた。今思えば、あの時兄貴は受験生だったのに僕に付き合って遊んでくれたのか。今はもう、ブランコに座っても靴底をいたずらにすり減らすだけだ。

 僕は手袋を外して肩を回しながらベンチの方に戻り、温くなった牛乳瓶を開けてソーセージが隠れるまでマスタードを塗りたくったホットドッグにパクついた。粒マスタードがソーセージの肉汁と合わさった酸っぱい辛さが僕は好きだ。僕は味覚が貧しいから昔から味が濃いものを好む。ホットドッグは冷めてもうまいし、何より安く腹にたまる。

 少し食べると喉仏に焼け付くような痛みを覚えるので、その度に少しずつ牛乳を飲んで辛味を和らげては、またホットドッグを押し込んだ。

 なぜ店で食事を済ませないのかと言うと、あの店というか、喫茶店の飯は基本的に量が少なくて値段は高い。一度モーニングを注文したことがあるけど、半分に切った一枚の食パンとゆで卵とマカロニサラダとプチトマトとオレンジジュースだけだったのに対し、値段は僕が今着ているフランネルシャツが買えるほどだった。

 背景には物価とか卸値とかよく分からない厄介な問題があるのだろうけど、僕には関係ない。

 僕はホットドッグを胃袋に収め、残った牛乳を飲み干して瓶をゴミ箱の横に置くと、煙草を吸った。ゴミ箱の中にガラス瓶は入れてはいけなかったけど、かといって買った店に戻って店員に渡すのも七面倒くさい。別れたばかりのハーモニカ吹きに出会しても気まずい。

 煙草を燻らせていると、僕が来た方の反対側の入り口から60代ほどの浮浪者が来た。それが浮浪者という確たる証拠は無かったけれど、薄汚れたツナギを着て髭を無精に伸ばした姿は、僕には正に住所不定の典型例に思えた。

 僕は絡まれたくないので視線を合わせなかったけど、あちらもまた僕には目もくれずにゴミ箱に近寄り、ポケットに無理矢理押し込んだゴミ袋を広げて、ゴミ箱の中の空き缶を掴んではポイポイ中に入れていった。確か、どこかで廃品回収をやっていて、空き缶を持っていくと端金で買ってくれると聞いたことがあったので、僕はそれを思い出した。

 ただ、こういうのは正規の業者の仕事を奪っているんじゃないのか? それとも業者からしたら他にもやることがあるから、手間が省けてありがたいと思っていることなのか? そこがよく分からない。

 ゴミ箱の中にはそれなりに空き缶が入っていたようで、浮浪者は袋の中から缶が擦れ合う奇怪な鳥の鳴き声のような音を立てて公園から出て行った。

 外は寒かったけれど、食事をしたら少し眠くなってきた。寒風も柔らかく吹けば心地よいものだ。空は曇り空だったけど、寝ることに関して陽の光が現れないのは良いことだ。

 こういう公園は珍しくも何ともない。そして、何より至るところにありふれていて、そこに公園がある理由も利用する理由もなくていい。何の変哲も無いからこそ、僕はこういう空間が子どもの頃から愛おしい。こんな空間が一体大陸にはいくつあるかな。僕はそんなことを考えていたら、やがて瞼と涙袋に磁石がついたように、急激に目を閉じたくなってきた。財布をスラれないかが少し心配だけど、仕方ないしちょっぴり寝ることにするか。そうして、僕は寝た。


 ***


 どれくらい寝ただろうか。僕は横で泣き叫ぶ赤ん坊の声で半ば強引に叩き起こされた。顎まで垂れたよだれを拭い、袖をまくって時計を見たらまだ19分しか経っていない。眠気はまだしっかりと、漁網に貼り付くワカメの如く脳にまとわりついているというのに、こうもうるさいと再び寝付くなど難しい。

 これは僕の持論だけども、どんなに熟睡したとしても怒鳴られたりして最悪の目覚めを迎えたら、それは一睡もしてないのと同じだと思っている。終わり良ければすべて良しならば、その逆もあっていいはずだ。

 いつの間に横に座ったのか、赤ん坊は母親に抱き抱えられて忙しなく揺すられている。でも、一向に泣き止む気配がない。赤ん坊の泣き声に怒るのは小物の証。しかし、安眠を妨害されたら流石に苛つきもするが、それを顔には出さなかった。

 素晴らしいな。どうせ来るならホットドッグを食べている時、または眠くなる前に来ればいいのに。

 母親は隣に他人、つまり僕がいるからか、人の目を気にして一刻も早く泣き止ませようとしていて、表情はいささか冷静さを欠いていた。僕が横目で母親を見ると、彼女と不幸にも目が合った。


「申し訳ありません……」


「いや、お気になさらず……はい」


 ずっと赤ん坊の絶叫を聞いていたら、遠い昔のことを思い出してきた。ちょうどこんな寒い時期だったか。何かした覚えもないのにいきなり母親に首を鷲掴みにされて、庭に放り出されたことがある。まだ一桁の歳だった頃だ。あの時は大袈裟に泣いたら家に入れてくれると思って、演技風に泣き叫んでも一向に窓が開かなかったから、カーテンの隙間から中を覗いてみたら普通に食事してて本気で泣いたっけ。

 あの時は学校から帰ってきた兄貴がやってきてドーナツを奢ってくれた。確か、兄貴は甘ったるいものが苦手だったから、周りの粉砂糖を吹き落として食べていたのが妙に印象に残っている。

 兄貴のことは家族として大好きだし、尊敬している。だが、兄貴は口を開けば他人の悪口、僕には説教しか言わない上に、結構な割合で自分を棚に上げて僕を叱る。掃き溜めのような部屋で寝食している癖に、僕にもっと身なりに気をつかえと言ったり、何と言いますか、自分の身の丈に合った発言をしない。

 僕も腹立つから、昨日の偵察任務で見聞きしたことは兄貴に伝えてやらないと決めた。何でもかんでも情報を共有するのもいいけど、多少は交渉に使えそうなカードもあった方がいいと思うし。

 後、一流大学を主席で卒業していることをちょくちょく自慢する。でも、僕は知っている。面接で失言して肝心の弁護士資格を持っていないことを。だから軍では法務部ではなく外交担当の外務部に所属していた。

 その点、クランストロ将軍はブレーカーが落ちるように突然怒ることもないし、細かなことではケチもつけない。何より「アリーフ、お前は有能な人間だ」「アリーフ、お前は俺にはないものを持ってる」と、僕のことを認めてくれる。僕にはその方が性に合っている。彼は男として全てにおいて完全無欠の存在。雨宿りする時には必ず大樹や高い建物を選ぶように、今の僕はああいう大物の軍門に下っている方が居心地がいい。

 しかし、赤ん坊がいるせいで煙草が吸えない。僕はやむなしと思い、立ち上がって公園から出て行こうと出口に目を向けた時、何やら足元で破裂音に似た音がした。見ると、母親が痺れを切らして赤ん坊の頬を叩いていた。酷いことをするな。と、僕は目を細めて売られた顰蹙を買い、同時に込み上げるものを感じた。

 暴力に訴えて傅くほど赤ん坊は賢しくはない。案の定、一段と激しく火がついたように泣き出した。すると、母親は慌てて再び赤ん坊を額を指で弾いたり鼻をつまんだりするが、それで泣き止むはずもない。悪循環。せっかくの休みなのに嫌な気分にさせられる。自分の子どもが可愛くないのか? こういう無抵抗だと分かっていたら、何であろうとぞんざいに扱う人間は嫌いだ。育てられた子は僕みたいにろくな人間にならない。もっとも、僕は成人できただけ運の良い部類かもしれないけど。


「……? あっ、やべっ」


 気づくと、僕は懐からガバを抜いて母親を射殺していた。銃口をもみあげに擦り付け、こちらを向く頃には殺していた。消音器付きと言えど閑静な場所ではそれなりに響く。何か気配はするが、まぁ彼女以外誰もいないようだし良しとしよう。

 そして、崩れ落ちる身体から咄嗟に赤ん坊をひったくって抱き抱えると、赤ん坊は僕の腕の中で暴れるも小指をしゃぶらせてみたら大人しくなり、頬を擦りつけたら次第に泣き止んだ。まったく、この年の子どもは可愛い盛りで牛乳みたいな匂いがする。こんな愛くるしい子を打つ親がいるとは世も末としか思えない。


「レ・ミゼラブル」


 やがて、血生臭い悪臭が漂い出し、僕は親指の先を噛んで傷を作ると、傷口から琥珀色の体液を遺体の口に垂らした。僕の血は赤くない。これには治癒効果があり空いた銃創を塞ぐことができる。無論、消えた命は戻らないけど証拠は隠滅できる。これで傷跡が無い射殺死体が完成し、事件は迷宮入りだ。夕立の水たまりで溺れ死んだ人間がいたとして、誰が溺死と気づくだろう?

 僕はガバをホルスターに戻し、赤ん坊を抱えたまま公園を出た。僕は昔から子どもに好かれるらしく、赤ん坊はさっきから僕の目を見て笑っている。だけど、困ったことに兄貴に死ぬほど怒鳴られるから旗艦には連れていけないし、父親を探す術もない。診療所か保育園を探し、この子を玄関に置いてピンポンダッシュするしか無さそうだな。

 僕が赤ん坊につられて笑うと、ふと周りの視線が気になった。街行く人が皆、流し目で僕を一瞥しては陰口を叩いて去っていく。なるほど、僕を若くして子どもを作った破廉恥な男と侮蔑しているらしい。素晴らしい、心が貧しいことだな。僕もまた彼らを侮蔑した。大学を出て働いて年を取らなきゃ所帯を持つことも許さないのか?

 赤ん坊を抱き抱える腕に力を込めないよう気をつけながら、人混みを掛け分けて歩いていると、道端で変わった人を見つけた。老人がジュースの自販機にぴったりと身体を密着させて、片手で自販機を撫で回している。サングラスをかけているが、目が見えないのだろうか。さっきから目当ての飲み物の位置を探っているようだけど手こずっているようだ。周りを見ても立ち止まる人間はいない。僕は思い切って話しかけてみた。


「すいません、僕で良ければお手伝いしますが」


「ああ、すいませんね......コーヒーを押していただけるとありがたいんですが......」


「構いませんよ、無糖ですか?」


「いや微糖のを……すいませんができたらお金も……」


「構いませんよ」


 僕が出てきたコーヒーと小銭入れを男性の手を取り手渡すと、男性は僕にこちらが申し訳なくなるくらい、しっかりと頭を下げて雑踏の中に消えていった。僕は彼が杖をついて消えていくのをぼんやり眺めた。人助けをすると気分がいい。これでさっきの不快な場面に遭遇したことも帳消しになった。だけど、同時に人の無関心さにも胸むかつく。主婦が困っている人を助けることに割く時間さえ惜しむほど多忙とは僕には到底思えないのだが。


「おーい」


 その時、誰かが......いや、それが誰なのかは分かっているが、とある人物が僕の肩を叩いた。反射的に振り向くと、冷たい人差し指が僕の頬を押した。小学生がよく友達同士でやる可愛いイタズラだが、鋭利なマニキュアが突き刺さって痛いことこの上ない。


「さっきの見てたけどアリーフ。その子どうする気? ちょっとこっち来なさいな」


「レーゼ......」

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