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真夜中の森の中で 1

初めての投稿ですが、目を通して感想を頂けると幸いです。

「もしもし聞こえるか? 私はクランストロ陸軍中将だ。アルベルト法務卿と話がしたいのだが、彼は直通回線を変更なされたようだ。新しいものを教えてくれたまえ。あ?解任された? 奴は司法権限における最高責任者だろう。何故だ? 本件についても法務卿は関与してない……もういい! そちらのせいで真夜中なのにひどく忙しい。悪いが失礼する」


 ***


 あなたの子どもはあなたの子どもではない。子どもたちは、生命のそれ自身へのあこがれが生んだ息子や娘たちなのだ。


 ーレバノンの詩人、ハリール・ジブラーン


 ***


 1998年、12月8日。大陸にて。


 鉄柵に縁取られた湖畔に佇む哨戒兵達のブーツを、真冬の風に吹かれて揺れる雑草がしきりに撫で回している。草は霜を薄く身に纏い、草木からブーツに鞍を変えた霜は、兵士の足首から滲み出た体温で水へと変わり、垂れて大地に吸われていく。

 防寒具であるオーバーコートに身を固めているとはいえ、水辺は他の場所に比べて格段に寒く、手袋を擦り合わせたり、仕切りに足踏みをしては体を温めていた。

 湖も寒さに耐えているのだろうか。水面に写る真珠色の半月は、寒さにかじかむ人間が上下の奥歯を震わせるように、音も立てず静かに震えていた。今晩は雲が全く出ておらず、夜を導く月灯りはいつにも増して強かったが、それは兵士達には別段どうでもよいことだった。

 一人の兵士がおもむろにオーバーコートの中に手を入れる。そして、中指ほどの長さの長方形の箱を取り出した。煙草だ。哨戒兵は箱の尻を叩き、出てきた一本を口に咥えると、同じ動作で新たに出したもう一本を隣の仲間に差し出した。


「悪いな」


 仲間は礼を言い、口に煙草を咥えて、慣れた手つきでマッチ棒を用いて火を付ける。煌々と輝き揺れる火を今度は逆に煙草をくれた方に向けると、煙草を差し出した側の兵士は笑みを浮かべ、煙草の先端にそっと火を触れさせた。鼻腔に噛みつく硫黄の刺激臭に兵士は僅かに眉をひそめた。

 役目を終え、今にも手袋を食みそうなほど燃えているマッチ棒を兵士は無感情に水辺に捨てる。警備にややくたびれた二人の兵士はしばらく水面の月を眺めながら、ゆっくりと煙草を燻らせることにした。

 二人ともまだ若く、学生時代の名残りかあるいは育ちの良さか、口周りや顎に生える髭はきちんとカミソリで剃り、また剃り終わった後に残る鼻下の毛穴もまだそれほど目立っていなかった。

 季節は冬ということもあり、虫の鳴き声は一つも聞こえず、かといって野鳥の鳴き声も聞こえず、静寂を糧とする湖畔は、まるで世界の一切合切が消えてしまったかもしれん……とすら兵士達を錯覚させた。

 その時、水上の月に荒々しく波が刻まれ、水中を掻き回す滑らかな水音と共に、美しき月は突然の来訪者に掻き消された。


「どうも……」


「……?」


 どこから引っ張り出してきたのか、こんな真夜中に男が小さな木製のカヌーを漕いでやってきたのだ。林檎を切ったら中身も赤色だったくらい奇妙な出来事に、哨戒兵達は暫し目を瞬かせるだけだった。


「ここは軍の管轄下にあり、遊びでボートを漕ぐことは禁止されています、今すぐ引き返しなさい。というか時間を弁えなさい」


「いやぁ月が美しかったものですから、きっと船の上から見たらより素晴らしくなるだろうと思いましてね、居ても立っても居られなくなっちゃったんですわ」


 男は酔っているのか、やけに楽しそうにしわがれた声で話す。当たり前だが、酩酊状態でボートを漕ぐのはお世辞にも褒められた行為ではない。毎年何人かはそれが原因で溺死している。

 2人は兵士らしく、堅牢そうなボルトアクション式小銃を携行していたのだが、無抵抗の民間人に対して銃を向けることは控えろと常々上から言われていた。

 一応、柵にモールス信号機も兼ねたスポットライトも取り付けてはあったが、今晩は月光があるので使う気になれない。ついでに言うなら、点灯中にレンズの縁に触れて火傷する事例が後を絶たないので、これを使いたがる兵士が少ないのだ。

 哨戒兵は対岸の連中は何してるんだと呆れたが、自分達が隠れて喫煙しているんだから、作戦地域からさらに遠く離れた向こうでは、きっとここより更に怠けているのだろうと思い、嘆息こそすれあまり気に留めなかった。


「全く……我々が軍警なら罰金の徴収と指紋、それと掌紋を取るところですが、悪気はないようですし今回のみ見逃しましょう。さっさと帰りなさい」


 哨戒兵は煙草の煙を吐き出しながら、ボートの男に対して注意を促した。流石に離れた位置から顔が識別できるほど明るくはないが、声をよく聞くと年寄りと思っていたが、男は自分らと年齢が近そうにも感じた。


「はぁぁぁぁぁぁぁぁ……」


 その時、男はうなじを左手でかきながら俯き、あからさまに演技の入った非常に挑発的な溜息を吐いた。それを何事かと哨戒兵は目を細めて訝しむ。10秒ほど経ち、やっと頭を上げた男は先程の陽気でしわがれた話し方から一転、冷ややかな声で一言呻くようにつぶやいた。


「程度も練度も低い連中だな……」


「何?」


 ただならぬ気配を感じた2人の哨戒兵が、柵から身を乗り出して男に銃を向けた瞬間、2人の首にぬるりと弾力ある何かが巻きついた。ただならぬ気配とは男ではなく、背後から発せられていた。


「ん!?蛇か?」


 それは柔らかくてひんやりと冷たく、ゴムホースが何周にも渡って首に巻き付けられているようだった。だが、ただ巻き付いているだけであり、首を締め上げているというわけでは無かった。だから兵士は混乱こそすれ慌てているような素ぶりは無かった。

 兵士達は首に絡みついたそれを引き剥がそうと指をかけたと同時に、彼等は衣擦れのように静かにその生涯の幕を閉じた。

 湖に大きな塊が二つ、どぼんと落ちて波を生み、男の乗るカヌーを微かに揺らす。兵士達は自分らに何が起きたのか、自分らはこれから死ぬのかと悟る猶予すら無かった。2人は首を落とされていた。

 大脳を盲いた胴体は前のめりに崩れ落ち、身体は大地に根を下ろして、数多の草木に土に恵みの鮮血を与えた。


「赤と緑のコントラストか……月よりこちらの方が、鮮やかなことだ」


 男は船体を静かに柵に寄せ、先端に着いた金具に荒縄を通して柵の鉄棒の一本に結び付けると、立ち上がって柵を掴み、悠然と陸に侵入した。


「にして一体この国は兵にどういう指導をしてるんだ? 薫陶が足りてねぇなぁ」


 道化をやめた男は辺りが暗いことをいいことに兵士達に対して酔いどれの演技をしていたが、実際はまだ若く、涼やかに整った精悍な顔立ちを微笑と共に秘めていた。

 男にしては全体的に髪を長く、例えば後ろ髪は背の肩甲骨に届くくらいに伸ばしていたが、若白髪の割合は恐らく地毛であろう黒髪を遥かに上回り、それは頭を工場の排煙の如く燻んだ灰色に染め上げていた。


「ほら付いて来い」


 男は着込む栗色のダッフルコートの裏地に手を伸ばし、刃渡り30センチほどのマチェットナイフを取り出した。反射を防ぐために刃は黒く塗り、握りしめた木製の柄には使い慣れた証左に汗の跡がくっきりと染みついている。

 呼ばれた得体の知れない蔓は遺体の首元に群がって毛玉のような一つの塊になると、絶えず溢れ出る生温かい血を血だらけになってその身に馴染ませていたが、男の声に反応すると、そのまま蛇のように這って男に近寄り、靴の爪先に巻き付いて何かを訴えた。


「何だ? ああ……忘れてた」


 ふと何かを思い出した男は振り返り、柵を跨いで船に乗り、積荷のナップザックを担いでまた戻ってきた。すると、柵と船に巻きつけた荒縄の真ん中辺りを彼はマチェットで切断し、陽動にボートを蹴って対岸側に流した。

 彼は無造作にその中に手を突っ込んで、藍色の靴下を取り出した。彼はそれを鼻先に近づけて一度鼻腔をひくつかせると、そのまま蔓に向かって鯉の餌やりのような手つきで、どこかものぐさそうにそれを放り投げた。靴下は蔓の物らしい。

 靴下を放り投げると彼は背筋をしっかり伸ばして前へ歩き、蔓は靴下を妙に愛らしく上に載せて彼の後を追う。葉は残らず落ちているが、幹は硬く筋骨隆々な男性を思わせる、ヒビ割れた逞しい木々に囲まれ、地面から飛び出た根元に男は一度つまづいた。

 歩きつつ、彼は小脇に抱えたナップザックから様々な衣類を取り出しては蔓に向かって放り投げる。

 黒い光沢のあるスラックス。

 灰色のボクサーパンツ。

 真っ白なヒートテックの肌着。

 オリーブ色の簡素なフランネルシャツ。

 青と赤茶の二色の横線が入った真新しいマフラー。

 ファー・フード付きの高価そうな迷彩柄のダウンジャケット。

 サイズまで男と同じ漆黒のコンバット・ブーツ。

 ブーツを最後に、男は空になったナップザックを真後ろに放り捨てた。蔓は受け取った衣服を順番に順番にその身を手早く袖やズボンに通す。一番最初に取り組んだのはやはりパンツだった。

 男は蔓がフランネルシャツのボタンを留めるのに手間取っていることに気付き、一度足を止めて、横にあった手頃な切り株の上に腰掛けて居丈高に足を組んだ。

 移動と着替えを同時進行せずに済んだ蔓は、焦らずに服を着る速度を上げた。その瞬間にそれまでは蛇かミミズの群れのようだった蔓は、特定の場所に別れて、固まって、変色して、白く滑らかな人間の手に変化し始めた。

 靴下の部分も最初の僅かな間は靴下の中で蔓はグロテスクに蠢き流動していたが、徐々にそれも収まり、どこにでもいる有象無象の足首となった。両足も同じである。左右で太さや長さが違う訳でもない。

 蔓の正体は人であり、この人間は蔓に変身していたのだ。

 やがて残った蔓は首を型取って頭部を生成し始めた。頭部の完成は速かった。一瞬で蔓は頭の輪郭に着手すると、その痕跡を追跡するように桃色がさした美しい肌ができた。鼻が出来たら温かみのある瞳が生まれ、瞼が出来れば愛嬌のある長い睫毛が生まれた。眉毛は細く艶があり、指で撫で回したくなるほどだった。


「しかし、いつ見ても気持ち悪くなる過程だな」


 男は一言苦笑しながら呟くと、彼へ伸ばされた手を掴んで蔓の集合体を起き上がらせてやった。


「やっぱり服っていいね、蔓のままだと冷えて肺炎になりそうだよ」


 彼はどこかエロチックで可憐な笑みを浮かべながら、二つに折り畳んだマフラーを首を軸にして巻くと、右袖からダウンジャケットを羽織った。


 アンドレイ・アリーフ。20歳。


 これがこの細く美しい青年の名前だった。かつては柔和で他人を尊重できる穏やかな性格の人間であり、それそのものは今も変わっていないが、そんな彼がなぜ銃を持ち、言われるがまま人殺しに手を染めなければならなかったのか。これは、そんな彼の救いを求めて彷徨い続ける、数奇な人生を描いた物語だ。

もし少しでもお楽しみ頂けたなら評価、ブックマーク、気が向けば感想が何よりの励みとなりますので書いて頂けるととても嬉しいです。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 相変わらず安定した丁寧な文章。比喩表現、心理描写、情景描写もしっかりとしていて、どのような風景なのかや登場人物の心境が簡単に想像できました。特に「リンゴを切ったら中まで赤かった」は巧いなぁ…
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