鉄伊左衛門
「面白い本、ですか。では、こちらなどいかがでしょう」
そう言って差し出されたのは一冊の分厚い伝記だった。
「この本には、先の勇者様の旅路と伝説が事細かに書かれておりますの。
旅仲間のある女性が書かれたものと言われておりまして、中々にまろやかな筆致で読みやすく面白いものですわ」
「これはあなた様が勇者として呼ばれたから、という理由で勧めている訳ではありませんわよ。
私自身この本が小さい頃から大好きで、何度も読み返したものなのです。
だから、初めて誰かに御本を勧めるときには必ずこれをお勧めしますの」
なるほど。時々話題に上がっていた先代の勇者のその紀行は、この文学少女のお眼鏡にかなうほど面白いものなのか。
興味が湧いた松尾は、喜んでその本を受け取り、3時間ほど図書館に居座って読み耽った。
内容は、果たして素晴らしいものだった。
かの少女は否定していたが、この本はこの世界へ呼び出され右も左も分からない自分が読むに、実に有意義なものだった。
というのも、この本はまるでこの世界の入門書のようで
、作品内の物事を通した歴史的背景や生物学的解説が親切に書き記されているのだ。
作品のあらすじについては、次のように。
『ある所に、鉄伊左衛門という武器鍛冶が居た。
彼は巨刀【クロガネ】を相棒に旅をする中で、沢山の街の危機を救った。
旅の最後、彼は白亜の国と対立していた紅葉の国との間に不可侵の結界を作り、この世界の英雄となった。
しかし、紅葉の国の人間が召喚した魔神との戦いが結界の外で行われた後、伊左衛門は帰って来なかった。
伊左衛門がどうなったかは誰も知らない。
ただ、魔神の姿が雲の狭間に消えた瞬間、伊左衛門の着ていったはずの武具一式が結界を貫き、焼き切れた状態で白亜の国に降ってきたことが全てを物語っていた。
四十年前の出来事だった。』
そして、読み得た知識は次の四つである。
・この国は白亜の国である。
・結界の力は伊左衛門により世界各所に荒々しく突き立てられた四本の武器こと、【四神】が保っている。
・紅葉の人々は古の時代に白亜の人々を食用家畜として飼育していた。
・白亜の国は魔法技術、紅葉の国は科学技術に長けている。
そして、どちらの国も互いの技術を忌み嫌っている。
いずれも松尾にとって新鮮な知識であった。
ましてや魔法など、実在するというだけで心が躍る。
読み終えてわくわくした気持ちのまま本を閉じ、顔を上げると、クラリッサがじっとこちらを見つめていた。