心労
いたたまれない大広間からは脱したものの、その途端に三人が砕けるようなことはもちろんなく、依然として静粛な雰囲気のまま一行は廊下を進んだ。
ぐねぐねと帰り道も分からぬような途方もない道のりを経て、松尾はようやく件の部屋と相見えた。
そこは広い木造の部屋だった。
厚いカーペットのようなカーテンが半開きの大窓、飴色に艶めく木製の家具類、大粒の宝石の調度品、部屋中にのびのびと豪勢に広がったエジプシャンな絨毯。
それら全てが松尾をくらくらとさせた。
本当に自分がここに住まわされていいのかという恐怖。
豪華酔いとも言うべき目眩。
松尾は現実を確かめざるを得なかった。
「あの、本当に僕がここをお借りしてよいのですか。本当に僕、大した者じゃないんですけど…」
「もちろん、ここが勇者様のお部屋でございます。
先の勇者様がこのお部屋をお使いになって以来、ここは勇者たるお方に限りお貸しする部屋と決められており、いっ時も清掃を欠かしたことはありません。
むしろ、そういうしきたりで残されているものですので、使っていただかないと困ります」
そう言うとクラリッサは苦笑する。松尾はそんな話を聞いて更にこの部屋への遠慮が増した。
が、その上で強情にもてなしを拒む非礼もまた憚られたもので、結局松尾はゆるゆると流されてこの部屋を借り受けることになった。
天蓋付きの柔いベッドにどこか呆然と座り込む松尾。
ちらりと入ってきた扉を見やる。
あの扉一枚隔てた先には、かの騎士であるルーファスが居る。
先程別れ際にクラリッサから聞いた話によれば、どうやら彼は松尾の為に当てがわれた人物らしい。
食事の世話からこの部屋の番人まで、なんでも彼がやってくれるらしい。
また、この世界の人間に慣れる為の練習相手にもなってくれるとのことで、この世界初めての友人と思ってくれていいのだとか。
しかし、正直なところパーソナルスペースのすぐ近くで他人に常駐されるというのは中々に緊張する。
先程から心のざわつきが治まらない。
むしろ、悪化しているまである。
なにせ、突然の異世界で帰れない現実を突きつけられたのだ。
到底、即座にスキップでその環境の新鮮さを楽しめる筈がない。
松尾は糸が切れたようにバタンとベッドに転がった。
そのまま掛け布団を巻き取るように引き寄せて、うつぶせに顔を埋める。
…帰れないだなんて、本当にどうしたらいいんだろう。
どれだけ考えても答えはただ「どうしようもない」、それだけである。
しかしながらも希望を求めて何度も繰り返し考えているうちに、どんどん「どうしようもない」の裏付けばかりが強まってくる。
それに伴って、どんどん絶望感も増していった。
空虚だけが心臓を苦しくさせる。
ズンと沈み込むような心の闇に追い込まれ、遂に悲しみが現れた。
一粒生み出された悲しみの雫はあっという間に松尾の心一帯を支配し、青い大海原へと変えた。
その波が目の淵にせり上がってくる。
そして無抵抗のままにボロボロと流した涙は止まるところを知らず、無限のように溢れ出てくる。
ひっくひっくと声を押し殺して泣いた。