御座すもの
金茶色の艶やかな古木の壁が荘厳にそびえ、精緻な模様の彫り細工が部屋の四隅をツルのように侵食している。
窓の一つもない大広間だ。天井から垂れ下がる巨大なシャンデリアに加え、古臭い風合いの小さな室内灯が壁から点々と伸び、薄黄色の強い光で重い室内を照らしているが、それで
もなお全体はぼんやりとしていてやや薄暗い。
両の壁際から少し離れた場所には、その薄暗さに身を溶かした中世ヨーロッパ風の兵士達が、物々しいシルエットを並べて微動だにせず整列している。
また、部屋の最奥には、大ぶりの布と金銀の装飾を全身に巻いた齢五十ほどの中年紳士が、玉座と思しき席に腰掛けている。
そして、その彼の手前から果ての壁にかけての長い臙脂のカーペットの上には、先の少年こと松尾信治が据えられていた。
彼はさながら岩のようであった。表情筋の肉の一筋に至るまでの全てが不動であった。
ここはどこだろうか。
驚きのあまり松尾は硬直し、静寂が場を包んでいた。
すると、目の前の紳士が口を開いた。
「お初にお目にかかります、勇者様。まず先に、突然本来の世界より召喚いたしました非礼を、お詫び申し上げます」
紳士の声は穏やかだった。
それは威厳を帯びつつも、松尾の見るからに張り詰めた緊張を和らげようとするもので、いかにも優秀な指導者然としていた。
しかし、松尾がそれを理解する由はない。
紳士は語り続ける。
「ここはあなた方の世界のお力を過去に賜りし世界でございます。
そして私は、この世界の現君主のアラン・ベルと申します。
この度はこの世界が私達では手の施しようのない程の存亡の危機を迎えてしまい、そこであなた様の強大なお力を賜りたく存じ、誠に勝手ながらこの世界へと召喚いたしました次第でございます」
「ですが、いきなりの召喚の後で、私ごとの説明を長たらしく述べるのは、大変失礼と承知しております。
ですのでまずは、私どもが用意いたしました勇者様のお部屋へと案内させて頂きたいのですが、よろしいでしょうか」
そこで紳士は口をつぐみ、松尾の返答を待った。
が、依然として松尾は混乱していた。
この突然の召喚と突飛な話についていけず、説明を求める意思と帰してもらたいたい気持ちが混線し、白む頭ではそのどちらを真に優先すべきか考えるのもままならず、話の内容を理解する余裕もないまま、提案への返答を求められたのだ。
口をついて出た返答は、もちろん大変頓珍漢なものだった。
「ぁ…?あっいやあの、その、大変恐縮なんですがこのままでは学校に遅刻してしまいます…なので、案内より先に元の世界に帰していただけませんか…?」
先にも何も、一度帰したら二度と呼び戻してほしくないのでこの言葉は真意ではない。
もっとも、それを言い終えた松尾は、窮地で混乱している割には上手く敬語で自分の要求を伝えられたと思い、多少安心していた。
少なくともこのときはまだ、松尾の心は平静であった。
なんなら、話によっては多少の人助けは喜んでしようと_そんな思いですら居た。
が、そんな松尾の思いとは裏腹に、紳士の顔は一気に曇る。
松尾はふと嫌な予感がして、まごまごと紳士が話し出すと、果たしてその予感は的中した。
「ああ、ええと…大変申し訳ございません。実は、勇者様が元の世界に帰られる為の方法は_ありません」
すみません、と歯切れ悪く紳士が呟いた。
松尾はショックに脳天を強打されたようだった。
何を言っているかわからない。
縁もゆかりもない世界を救ってくれと、許可も前触れもなく勝手に召喚された挙句、元の世界に帰る方法はもうないと?
そんな所業、通り魔も同然ではないか。
突然に若き青年の未来を奪っておいて、申し訳ございませんで許される道理はない。
ましてや、先程は聞き流したが_勇者ということは恐らく命をかけて、世界を救ってくれということだろう。
そんなの傲慢にも程がある。
松尾の心にはふつふつと怒りが湧いた。
本来松尾は人に怒るたちではない_が、情状酌量の余地を遥かに超えた蛮行に対しては決して容赦しない。
松尾は鋭く声を上げた。
「ふざけないで下さい!!いくら王様?とはいえ、そんなのあんまりです!早く元の世界に帰してください!!!」
「す、すみません、本当に申し訳ございません。
大変厚かましい話であることは我々も承知しております。
ですが、我々にはこうするしか方法がなかったのです」
「知りませんよ!!早く帰してください!!!帰して!!!」
松尾は半ばヒステリックで訴えかけた。
脳内を家族の笑顔が駆け巡り、焦る気持ちで四肢が冷えていく。
が、できないものは仕方がない。
それから状況は膠着した。
先程までとは一変し、王はひたすらに謝り、松尾はひたすらに怒りながら要求する、いささか狂気めいた掛け合いの雰囲気が場を支配していた。
主である王が責められている現状に、周りの兵達もざわめいていた。
が、王と自分達がどことなく悪の立場であるが故に、誰も松尾を止める勇気はないようだった。
「申し訳ございません。何卒、何卒お許しを」
「そんなこと言われても!!!!」
そんなやり取りが五分ほど続いただろうか。
いや、そのように感じられただけで本当はもっと短かったかもしれないし、長かったかもしれない。
が、少なくともそれを制した者が居た。
「「おやめ下さい!!お父様、勇者様!!!」
勇者様、君主様!!!」
その同時に重なった声の二つは、一瞬で場を静まり返らせた。
松尾が声のした方を見ると、二つの人影がすっと兵の隊列を抜けて、姿を現すところだった。




