不穏
コツコツと階段を上り、四階の最奥へと辿り着く。
そして扉をギィと開き、窓際の安楽椅子へと王は座った。
王と松尾が三度目の会話をした日の夜。白亜の王は悩んでいた。
魔神が復活し、衰えていく結界の力の取り戻し方も分からないうちに国がどんどん侵攻され、考えてもどうにもならず行き詰まったところで、藁にもすがる思いで召喚した信治がなんとも頼りなかったからだ。
召喚されてからの信治はというと、毎日図書館で呑気に勉強したり、ルーファスやクラリッサを侍らせたりする割に、騎士団の訓練には誘われても見学すらしようとしない。
痺れを切らして現状の考えを聞くと、実は元いた世界では平和な国で暮らしていたのだと明かした。
盲点だった。同じ国から召喚したとしても、時代が変われば人間も変わる。
戦いに関わったことのない人間が召喚されることも予想しておくべきだった。いや、それは同じ時代から召喚したとしても言えることだが。
王は実に悩ましげな溜息を吐き、チリンとベルを鳴らした。暗闇から一つの影が現れる。
「お呼びでしょうか、君主様」
「ルーファス、ワインを」
「かしこまりました」
彼の猫の目の様に光るオッドアイは、底知れぬ色をしていた。
ルーファスは王の眼前で、さも事務的に赤い液体を注ぐ。
「どうぞ」
月光に光るグラスの中で、ぐわんと赤い娘がよろめいた。
王は軽くそれを煽り、テーブルクロスの上に置くと、傍のルーファスを穏やかに撫でた。
「ルーファス、勇者殿とはどうかね。仲良くしておるか」
「はい。勇者様とは友好を築いています。見る限り、友人とさえ思ってくださっています。
ですが、勇者として守っていただける様ではありません。
私は上手くやれませんでした」
「ルーファス…」
王は悲しげに眉を下げ、青年を抱き寄せた。
「ルーファス、友情をその様に使うものではないよ」
「そうですか。ご意向に沿えず申し訳ありません」
ルーファスはゆさゆさと撫でられるままに委ねていた。
「だがルーファス、私はお前の友人を見放さなければならないかもしれぬ」
「勇者様をですか?」
「ああ」
王は悔やんでいた。
今のところ信治が勇者になってくれる見込みなど全くない。
仮になってくれたとしても、世界を救えるはずがない。
それならば、適当な住まいと金を与えて王宮から追い出してしまおうかとも思った。
しかし、やはり王にとって、そもそも勇者でもなければ異郷の者など王宮はおろか自国にさえ置きたくなかったのだ。
王がそう思い至った理由。
それは、王にとって異郷とはすなわち紅葉の国であるからだった。
王は、少なからず持っている異郷の者は悪者というイメージを、どうしても拭えなかったのだ。
もちろん、迷いもした。
しかし、王にとってそれ以外に方法はなかった。
信治を追い出そう。そう決断した。
そして、その残酷さを悔やんでいた。
王は悲しげにそのことを告げた。
ルーファスは口を開く。
「そうですか。お悔やみにならないでください。
結界が崩壊していく最中でも、勇者たる人物が現れたというだけでも世間は喜びます。
その間に我々が尽力して結界をどうにかすれば、結果的に社会は混乱せずに済みます。
必ずなんとかしてみせます。あなたのために」
「…ルーファス、友人を失うことは悲しくないか」
「多少残念な気持ちはありますが、まあお国のためと思えば」
「ルーファス…!」
王は更に悲しげに顔を歪めた。
そして、涙を流しながらルーファスを正面から抱きしめた。
「ルーファス、悲しんでもいいのだ。痩せ我慢はしないでおくれ。心を殺さないでおくれ。
私の大切な息子よ。…私の、大切な息子…」
「…はい、分かりました。すみません。あなたの息子として、私は不出来でしたか」
「そんなことはない。ないのだ。例えお前がどんな風であったとしても、お前は私の大切な息子だ。自分を卑しめないでくれ」
「…はい」
王は静かに泣いた。
そしてその背中を撫でるルーファスの手は、どこまでも意図の知れない哀愁を帯びていたのだった。




