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寝る前に聖堂の自室でその日に来た自分宛ての手紙類をじっくりと読むのが、「天の王」学園長たるアーシュの毎晩の日課。
各地に散らばっている彼の信頼するエージェント、即ち彼の眼になる者達からの報告はそれぞれに。
簡単な葉書でも分厚い封書であっても、アーシュはその文字に書かれている土地の情報を魔力で見通す。
写真付きなら尚良い。
空気さえ掴めそうな地であれば、気が向いたアーシュならすぐさま時空を駆け抜け…。
「ジョシュアの奴、またもや、危ねえ街にいるのかよ。まあ、デンジャラスを楽しむアトラクションと思えば…」
銃を構えた兵士たちが不敵な笑みを湛えながら写るフォトを見るアーシュには、写っていない背景も見える。
…危険度は高いが、ジョシュアに及ぶ程ではない。
「…成程、俺が行く程じゃねえな。ま、こういう情報は有難いんだよね。今度奴が帰ってきたら、たんまりとお礼をしてやろう。きっと嫌がるけどね」
アーシュはニヤリと笑って、最後の一枚に小さく写ったジョシュアの顔にキスをした。
アーシュ宛てに多くの写真を送るジョシュアは、最後の一枚に自分を忘れないでくれ、とでも言い気に、小さくでも自分が写った写真を挿む。
ラブレターは、いつだって、心を和ませる。
ジョシュアはアーシュのお気に入りだ。恋でも愛でもなく、信頼という極めて感情だけの絆に、心を寄せ合う。
だがそれは、ジョシュアにとって、切なくも宝物の感情。
彼はもうアーシュ無しでは生きて行く意味を得られない。
身体の半分はアーシュからの信頼で生きている。そしてもう半分は…一生叶えられぬ幼馴染みへの恋心…。
げに片恋は乱心。一時も穏やかには居られず、耐えるのみ。
ふいにドンドンと扉を叩く音。
「あ、アーシュ、夜分悪いんだけど…話があって…」
声の主はスバル。
アーシュはそのままに、ノブを回し、扉を開け、客を迎える。
他人には魔力を粗末に使うなと命じる魔王は、自分には是非もない。
元より、アーシュには今夜スバルが血相変えて、ここに来る事ぐらいはわかりきっていた。
「やあ、スバル。ちょうどお茶が入ったところだ。リリの手作りチョコクッキーもあるぜ」
「そ、そんな事より…神也くんをクナーアンに連れ去るって…。僕に一言の相談もなく酷いじゃないか!」
「連れ去るって…誘拐かよ。単なるバカンスだろ。と言うか、まあ、神也にとって、クナーアンの世界を知るのは、良い経験になると思って誘ったら、神也も乗り気でね」
「だ、だからって…。神也くんはまだ子供だし…、そんな異次元になんて…、保護者の責任ってものが…」
「素直に恋人として心配なんだって言えよ。…ったく頑固者」
君には負ける…と、思いつつ、おろおろと椅子に座ったスバルは出されたお茶と菓子につい手を伸ばした。
「だって…僕には自信がない。君が一番よく知っているだろう」
ズズと紅茶を啜るスバルは、先程の興奮から一気に急滑降。
アーシュはこういう裏表のないスバルが、大好きだ。だから意地悪を仕掛けたくなる。
「何の事?」と、知らぬ顔で。
「…この間の事件だって…僕は何も出来なかった…。それなのに神也くんの恋人だなんて。恥ずかしくもおこがましいよ」
「ああ、まだ根に持ってんのかよ」ククと嫌味に笑う。
ひと月ほど前の事だ。
クラスメートの悪ガキ三人に、古い物置小屋から珍しいコレクションを見つけたから探検しようぜ、との耳打ちに、神也は、興味本位で彼らの誘いに乗り、のこのことその場所までついて行く。
今は使われていない煉瓦で建てられた物置小屋の裏手に捨てられたアンティークな大箱は、一見すると価値があるように見えるが、ただの古い道具箱。
それを知らぬ神也は、箱の中をじっくりと見るべく身を乗り出し、そのまま、悪ガキ三人に押し込まれ、大箱に閉じ込められたのだ。
「おまえの棺桶には立派過ぎるぐらいだな、神也」と、詰る声と共に何本かの赤いバラが投げ込まれ、蓋を閉める音と鍵を掛ける音が、神也の耳に響いた。
神也は狭く暗い空間で、動くことも出来ず、ただ仰向けにじっと横になったまま…
悪ガキ三人に悪意があったとはいえ、裏を返せば神也への好意であり(思春期の心情は図りかねる…)、単純にアーシュに可愛がられる神也への嫉妬でもある。(アーシュを独り占めしたいと思わぬ生徒は、この天の王にひとりたり居まい)
勿論、一時経てば、ここに戻り、大箱の蓋を開け、神也を自由にする事は、三人共承知の上でのいたずら。
ただ、一時間ほど経って、三人が戻ってきた時、大箱の前に屈む人影を見た時、三人は震えあがった。
見間違うものか!
アーシュだ。学長だ。この世界で一番怖い魔法使い。天の雷を持つ魔王…
三人は本気で怯えながら、物置小屋の角で、行方を伺った。
「おい、神也。そろそろ出てこないか?おまえが出たいって一言言えば、すぐにでも開けてやるからさ」
アーシュはいつもの調子で、箱の中の神也に語りかける。が、一向に返事がない。
「寝たふりはやめとけよ。おまえの心臓の音は聞こえている。それとも眠り姫には王子さまのキスが必要かい?」
「…ここから出たい」
「わかった」
アーシュは手も使わずに鍵を、蓋を開け、中に居る神也を覗いた。
バラを胸に神也は「…バラってこんなに良い香りがするんだね。初めて知った」と、目を閉じたまま、おっとりと。
「じゃあ、おまえが死ぬ時は棺桶にバラの花束を入れてもらうように、頼んでおけ。だがな、おまえにはまだまだ先の話だ」
アーシュの言葉に神也は目を開け、じっと見つめ。
「私の死ぬ時が、アーシュにはわかるのか?」と、尋ね、応える方は「わかるもんかよ」と、素知らぬ顔。
「そらよ」と、差し出す手を、少し躊躇いながら握り返す少年の儚さよ。
いじらしさに微笑みながら、「憎く思うなよ。悪ガキ共もおまえが心配でお迎えだ」と、影に隠れる三人を手招き。
事の次第に怖れを為した三人は、もはやこれまでとばかり、土下座覚悟。
頭にひとつ拳骨と一週間の学長室の掃除の罰は、三人には甘いが、アーシュには愛し子たちには違いない。
その帰り道、神也は「スバルには言わないで」と、アーシュに頼んだ。
「何故?」
「スバルにいらぬ心配をかけさせたく無い」
アーシュはこの小さき子に何かを言おうとして、口を噤んだ。
たとえこの子の頭の中のすべてを知ったとしても、彼を理解したとは言えない。たとえ全知全能の神であっても、今のこの子に必要な言葉は見つけることはできない。
神也の事件は隠しおおせる事もなく(当事者三人が、アーシュに拳骨を貰ったという名誉に有頂天になり、話を広げた)、一週間後、スバルの耳に入る。
スバルは仰天し、何故すぐに話してくれなかったのかと神也を責めた。
「そんなに嫌じゃなかったから」
神也の答えにスバルは又もや仰天。
何故なら…山の神だった神也は、十二歳になった時、山の神としての使命を終えたとして神官たちにより、生きたままその身体を土の中に埋められた。
一度は死を覚悟した神也だったが、スバルとの約束を思い出し、命の限りの声で、助けを呼ぶ。
その時、スバルは神也のすさまじい絶叫を聞いた。
土の中から救い出した神也の、泣きじゃくる声に、その震えるか細い身体に、彼を埋めた連中をどれほど憎んだろうか。生まれて初めて、人を殺したいと思った程に。
それから、随分の間、神也は暗闇を怖がり、ひとりで寝る事も嫌がった。
だから、単なるいたずらだとしても、箱に閉じ込められたと聞かされ、スバルは本気で青ざめたのだ。
それなのに、
そんなに嫌じゃなかった、って?
もう、あの時のトラウマは消えたってことなのか?
それはそれで喜ばしいには違いないけれど…
もう…僕の助けはいらないって…事?
少年より十二歳も年上だとしても、不器用な大人は恋にも弱腰。
空になったティーカップを撫でながら、しょんぼりと。
「閉じ込められた時…神也くんが本気で助けてほしいと願ったのなら、僕にはすぐわかるはずなんだ。なのに…一切神也くんの危険は察知できなかったし、話してもくれなかった。結局、生徒から聞かされるまで何ひとつ、知らないってさ。間抜け過ぎる」
「問題はそこだ、スバル」
「え?僕が間抜けだって事?」
「ちが~う!神也は助けを求めていなかった。閉じ込められたままでも構わなかった。ずっとあのままで良かったって事だろ?まあ、俺は超天才魔術師だからすぐに、神也に何が起こったのか、気づいたんだがね。(たまたま通りがかっただけだが…)」
「僕を呼んでくれなかったのは…かなりショックだ…」
「神也は…懐かしんでいるのかもな。山の神であった頃の自分を」
「そんな事があるはずがないよ。君は知らないだろうけど、寸前で神也くんは死ぬところだったんだ。まさか、あのまま死んだ方が良かったなんて…」
「それはねえよ。全然、全く、欠片もないね。あいつほど生きるのを楽しんでいる奴はいない。たださ…」
「ただ…何だよ」
アーシュはスバルを指差し、
「恋人に飽きたんじゃねえか?」と。
「……」
ガーン!ガーン!ガーン!ガーン!
四方八方から、デカいハンマーで殴られた気がした。
ガシャーン!と、スバルの手から高級ティーカップが床に落ち、スバルもそのまま椅子から滑り落ち…哀れ失神。
一方その頃、神也は同室のレイ・ブラッドリーに訝られていた。
「なあ、神也。おまえ、今日はやけに機嫌いいな」
「そうか?」
「終業式も結局遅刻して先生に怒られたのに、全然凹んでないし…。なんか良い事でもあったか?」
「え?別に…」
慌てた神也は目を逸らし、深呼吸をして、着替えた寝衣の帯をゆっくりと締める。
レイは元々クナーアンの星の住人だ。
複雑な過去があり、八歳の時にこちらの星にアーシュに連れられた事情を持つ。
幾らこちらに愛する恋人が居ようと、為すべき宿命があろうと、レイの故郷を想う気持ちは今も変わらない。
それを知っているだけに、神也はクナーアン行きをレイに知られるわけにはいかない。元よりアーシュに口止めされている。
されてはいるが…神也は嘘がつけない性質。
しかもレイは人の思考を読み取る魔力に優れている。
焦りは禁物だ…
「折角の休暇だし、来週からセシルと一週間の旅行を計画中なんだけど…」と、レイは窓のカーテンを閉めながら、横目で神也の様子を伺い。
「え?旅行?…い、いね。行ってらっしゃい」
「うん、ほら、去年セシルが居なくなった時おまえと探しに行ったろ?あの街やら、セシルの故郷やら、もっと遠くにね、行こうかってさ」
「いいんじゃないか。行ってらっしゃい」
「神也も一緒に来ないか?」
「へ?わ、私?」
「うん、どうせ暇だろ?」
「いや、無理だ!」
「…」
「私にも用があってだな…。そう、スバルと旅行するんだ。遠くへね。だから折角誘ってくれてありがたいけれど、無理だ」
「そう…なんだ」
「そうだ!ルオトに行くのなら、あのパン屋でクロワッサンを買ってきてくれないか?」
「いいけどさ。おまえ、その頃、旅行から帰ってきてるの?」
「え?…え~と、どうかな~(どれだけクナーアンに居るのか、アーシュに聞いてない)」
「持ち帰っても、おまえが居なかったら意味ねえだろ?」
「そう…だな。わかった。クロワッサンは諦める」
「それより、おまえこそ、スバル先生と珍しい場所に行くのなら、俺へのお土産、楽しみにしてもいいのか?」
「そりゃもう、イー…(ルと言いそうになったじゃないか!馬鹿馬鹿!)」
「え?」
「な、なんでもない。疲れたから私は先に寝る」
これ以上、私には無理、とばかりに、神也はそそくさとベットに潜り込む。
慣れない嘘に必死な神也が気にならない理由はないが、レイは神也の頭の中を覗こうとはしない。
今のレイには、神也の嘘など、彼への信頼に何ひとつ傷をつけることもない。
だが、レイもまた例の事件が神也にどんな傷を負っているのか、気になって仕方がなかった。
レイは一年ほど前、まだ神也を良く知らない頃、魔力で神也の過去を見てしまった。そして、生き埋めにされ、苦しむ神也の心情と一瞬だが同化した経験を持つ。
レイもまた、愛する家族を目前にて無残に殺され、その魔力で復讐し、そのまま死のうとした。それを救ったのがクナーアンの神、 アーシュとイールだが、未だに、あの地獄を思い出したいとは思わない。
神也も同じじゃないのか?
アーシュから無力な神也を守るように言いつけられたのに、それが叶わなかったのもアーシュの手前、口惜しい気がする。
事件の夜、アーシュからいち早く聞かされ、神也に問いただした時、彼は言った。
「怖くなかったよ。バラの所為かな。香りが恐怖を忘れさせたのかもしれない。私自身も驚いている。何故だろうね。…少しも怖くなかったんだ」
いつものように淡々とした神也を、レイは畏怖した。
「時々、おまえの事がわからなくなるよ」
すでに安らかな寝息を立てている神也に「おやすみ」と、囁き、レイは部屋の灯りを消した。




