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天の軌跡と少年の声  作者: 結城カイン
12/16

12

挿絵(By みてみん)


12、


 翌日、朝食を終えた神也たちは、神殿へ帰る準備をした。

 農場主のレイモナールの家族や村人との別れを惜しむヨキ達の中に、エノクの姿は見えない。

 神也はエノクを探しにと畑へ向かった。

 朝日に照り返った刈り取られた広大な麦畑は、少しだけ哀れに見え、数日前までのキラキラと揺れる波の穂が懐かしい。

「来年も同じように黄金の穂をなびかせるさ。そして、また僕たちがそれを刈るんだよ」と、いつのまにか後ろから歩いてきたレントが神也の肩を叩く。


「神也の姿が見えたから、追いかけてきたんだ」

 神殿に居る間、レントとはあまり接触の無かった神也は、思わず神妙な顔をした。

「そんなに警戒しなさんなよ」と、レントが苦笑する。

「警戒しているつもりはないけれど…。私に何か用か?」

「うん…」

言いにくそうなレントの様子で、理由がわかった。

「もしかしてエノクの事?…昨晩から様子が変だ」

「昨日エノクが外へ飛び出して行っただろ?僕もあの後、様子を見に行ったんだけど…。皆で収穫した麦が、窃盗団に大量に盗まれてね」

「捕まったって、エノクが言ってた」

「ああ、あちらも中々の浅ましさでね。あんまり欲張るから荷車に持ちきれなくて、不審に思った村人がお役人に知らせて。近頃、倉庫荒らしが頻繁にあっていたから、お役人も動きが早かったってわけ」

「そう…」

「で、その窃盗団の中にエノクの両親が居て、さ…」

「え?」

「最初エノクの方は気づかなかったんだけど、あちらがエノクの顔を見て、騒ぎ始めて、それで…。可哀想だった…」

「そう…」

「エノクには何の責任もないけれど、相当に青ざめていたから…ショックだったのだと思う」

「うん…」

「だから、神也に傍に居て欲しい」

「私?」

「うん。僕はこれから先輩が担う教会に一緒に付いて行くんだ。予定では三月ばかり修行をするつもり。来年は神殿を出て独り立ちしなきゃならないからね」

「そう、なんだ…」

「こんな時だから、本当はエノクの傍に居てやりたいんだけどね。でも、神也が居てくれるなら、心強い」

「そんな…私はまだ神殿に来て日も浅い。エノクは親友だが、私にできることは少ないと思う。今のエノクを慰めるなんて…」

「なんだろうね…。神也を見るとホッとするんだ。不思議だな。まだ神殿へ来てからひと月も経っていないのに、ずっと前から一緒に過ごしてきたみたいに…穏やかになれる。だから君にエノクを任せたい」

 風に靡く灰褐色のレントの髪が、麦の穂のように輝く。

 好きな景色だと、神也は思った。


「…わかった。頑張ってみる」

「頑張らなくていい。傍に居てくれるだけでいい。多分、僕が神殿に戻る頃には君は居ないだろうからこれでお別れだと思うと、とても残念だけど、アーシュ様は気紛れだから、仕方がない」

「あ…」

「アーシュ様のお気に入りは、僕達も大好きだよ。会えて嬉しかった、神也。また、会える事を信じて…。さようなら」

「レント…ありがとう。またきっといつか…会いに来るから」

 別れの握手をするレントの気持ちが、神也に伝わってくる。

 いつまでも元気で、健やかに…

 その優しさに涙ぐんだ。



 帰りの馬車の中では、エノクに話しかけても眠たいと言うだけ。子供達も疲れたのか、静かにしている。

 仕方なく神也は手綱を取っているヨキの隣に座った。


「疲れたかい?神也」

「ううん、そんなに疲れてはいない。それよりも何もかも初めてで楽しかった。いつも食べているパンは、こんなに色々な手を掛けて出来上がるのだと初めて知った。他の食べ物も同じように時間と手を掛けて生産されるものなのだろう。あ、そうそう、あちらでもね、すごく美味しいパンがあるのだ。クロワッサンというのだが、こちらの皆にも食べさせてあげたい。作り方を習っておくべきだった。そうだ。将来パン屋さんになるのもいいな。何にせよ、何かを生産することは意義のあることなのだな」

「ふふ…神也は面白い。そうだね、食べ物も着る物も住む場所も、すべて人の手によって為されているんだね。それが判っただけでも、神也には良い経験だったね」

 いつもと同じ様子のヨキに、エノクの事を聞いていいのか、神也は躊躇したが、やはり何も言わずにいるのは嫌だった。


「ヨキ、エノクの事なんだが…」

「ん?…知っているのかい?昨晩の事」

「うん、レントに頼まれた。エノクが心配だからって…」

「そうか…。うん、親御さんの事は仕方ない。子供も親も自らの手で選ぶことはできないからね。でも親が悪人だからって、子供は別物だからさ。上手く切り捨てればいい」

「…」

 神也はヨキにしては厳しい事を言うと思い、顔を見上げた。

「神に仕える者らしくない言葉って思った?」

「そうじゃないけれど…」

「…僕もね、父親が極悪人だった。それで、母も僕も父に殺された者達に惨い仕打ちをされ、殺されかけた。残された者の気持ちを考えると、僕らへの仕打ちは仕方ないものだとは思うけれど、当時は僕も子供だったから辛かったよ。結局、母は殴り殺され、僕も死ぬところだったんだけど、アスタロト様に救われた」

「…知らなかった」

「幸運だと思うよ。イール様とアスタロト様、それに新しく生まれ変わられたアーシュ様にお仕え出来て、これ以上ない程に僕は幸運だ。母には見せてあげたかったと思うけれど、父親への恨みは消えることはない。この歳になっても…。それが人間という生き物の本質なのかもしれないね。…もう少しアスタロト様が早く見つけて、母も助けてくれたら…と、昔は考えない事も無かったのだけれど、それが僕の未来だったのだから、仕方がない。諦めるしかない。上手く諦める方法を導くしかないんだと…。きっと…痛みを知らない人間より、私はいくらか幸せなのだろう…なんて自分を慰めたりもね…」

「ヨキ…」

 神也は手綱を握るヨキの手を両手で握りしめた。苦しみを越えてきた年配者への労わりと尊敬を込めて、その手を握った。


「優しい同情は好きだよ。ありがとう、神也」

「私はまだヨキを慰める言葉を知らない。でもどんな形で育ったにせよ、今のヨキを私は尊敬している。ヨキに会えて良かったと心から思っている」

「私も神也に会えて嬉しいよ。思えば…アスタロト様もアーシュ様も、不幸な子供を拾われるんだ。気紛れだと言われるけれど、選ばれた私やレイ…もそうだが、幸運だったとしか言えないな。だってそうでは無い子供は他に沢山いるのだから」

「うん、それはわかる気がする」

「イールさまはそんな事はされない。運命に逆らわない。それが役目だと御心に決めておいでになるのだろう。でもアーシュ様が戻られてからは、少し変わられたみたいに思えるなあ。アーシュ様はクナーアンからすると、奇想天外の御方だし…。褒めているんだよ」

「アーシュは向こうでも奇想天外だよ。これも褒めている」と、イールと同じような会話をしている自分を笑った。ヨキも神也の無垢な笑いに釣られて笑う。


「アーシュ様は良い御方をお連れなされた。神也が居てくれると心が和む。…別れが寂しくなるね」

「うん…」

 約束のひと月はもうすぐだ。

 スバルに会えない寂しさは募るけれど、クナーアンとの別れを思うと胸が詰まる。

 もっと、エノクの傍に居てあげたいのに…


「エノクの事は時間が解決するだろう。成長して、思い出に変えていける力を私は信じているんだ。辛い傷は消してしまうより、たまに残った傷を眺めるのも良い時がある」

「懐かしむんでしょ?」

「そうだよ、神也。懐かしい思い出にするんだ」

 しっかりと肩を抱き寄せるヨキの腕に、神也は会った事も無い父を想い、その肩に頭を摺り寄せた。

 


午後に神殿に着き、村人からの土産を渡した後、皆は当たり前のように日常の生活に戻っていく。

子供たちは勉学に、ヨキは仕事に、そして神也はエノクを探した。

「畑の草取りをするってあっちへ行っちゃったよ」、と、小さな子が指で示した。

 追いかけるのも何となく気の毒になった。

 今は独りでいたい気分なのだろう。

 レントに傍にいてくれと頼まれた手前、気にならないわけではないけれど、神也は自分の部屋へ戻った。


 夕食になっても食堂でエノクを見ない。まだ畑に居るらしい。

「今日は天気が良いから、星を見て帰るそうだ。夕飯は残してくれとの伝言を受けた」と、年長者の世話人が言う。

 手早く夕食を片づけ、神也は畑へと向かう。

 陽は落ち、空は赤紅から紺青のグラデーションに映え、山は闇の姿に代わり、シトリー山の山頂は夜だけ降り続くと言う雪雲で見えない。


 畑と果樹園を抜け、先の小高い草原を目指して歩く。

 この辺は邪魔になる樹木も少なく、夜空を観測するにはちょうど良い。

 星の光がひとつ、ふたつ、みっつと、数を増やしながら光を放つ宵。

 天の王では見る事の無い、見知らぬ天球図は、多彩な幾何学模様。

「天の川も見当たらないなんて…。本当に異世界なのだなあ」

 上を向きながら歩き続ける神也に、「おい、知らぬ間に踏みつけるんじゃねえぞ」と、真下から声がした。

驚いて足を止め、下を見るとエノクが仰向けに寝そべっている。


「何をしている」

「星を見てるに決まっているじゃん」

「そうだった…。では私も一緒に見てもいいか?」

「…特別に許す」

「ありがとう」

 神也はエノクの隣に並んで寝転がった。


 沈黙が続いた。が、神也はその沈黙に少しだけ安堵した。

 エノクの呼吸は整っていたし、先程の声もいつもと変わらなかったから。

 

「心配させて悪かったな」と、エノクがぽつり。

「うん、心配した。レントも凄く心配してたよ」

「そっか…。明日、レントに手紙書いて送るか」

「それがいい」

 そして、また沈黙。


「あのさ…養子の話があるって神也に話しただろ?」

「うん」

「あれさ、無しになったわ。まあ、ああいう親が居たんじゃ仕方ねえけどな」

「…」

「ご主人と奥さんはそれでもいいって言ってくれたんだけど、親類や家族がさ、村人を不安がらせるなって…。そりゃそうだって。…わかってる。なのに、悪くも無いのに、ふたりして俺にめちゃくちゃ謝るからさ、こちらも気の毒になって、笑って強がってみたりして…」

「…」

 何も言わず顔だけをエノクに向けた。

 エノクは真っ直ぐに天を仰いだまま、流れる涙も拭かず…。


「親がクソだってわかっていた。だからここに逃げてきたんだ。あいつらの顔、二度と見たくねえって思っているのに、一番見たくない姿を見ちまうし。あまりのみっともなさに、情けねえやら腹立つやら…。親の居ない神也が羨ましい限りだぜ。あんな親、さっさと死んでくれればすっきりするのにな」

「もういい、エノク。言葉は天に届くと言う。…おまえは良い人間だ」

 エノクに覆いかぶさるように身体を起こした神也は、エノクを見つめた。

 エノクの涙はまだ乾いていない。拭いてやろうとする神也の手を、エノクは乱暴に払った。

 

「俺は…良い人間じゃねえ。イール様やアーシュ様に贔屓されてるおまえがめちゃくちゃ妬ましい。ここで真面目に働いてもちっとも贅沢できねえし、神官たちは五月蠅いし、チビどもの世話も面倒だ。ここから出たいって思った事も何度もある。行くところが無いから居るだけだ。生きるためなら俺だって盗むぐらいする。捕まったら親の子だって言ってやらあ」

「エノクはそんな風にはならない」

「なんでおまえが、言うんだよ。何も知らないクセに」

「…初めてなんだ。誰かの為に何かをしたいって思ったのは…。ずっとね、守られてばかりだった。私は才能もなく、弱いから、世話を掛けてばかりで、お荷物で…。ちっとも対等じゃない気がしてた。おまえは私を親友だと呼んでくれた。嬉しかった。おまえの役に立ちたい。出来る事は少ないかもしれないが、私はおまえの味方だ。決して悪人にはさせない」

「…変な奴。弱いのに俺に命じるのか」

「そうだ。…ねえ、正しく生きる事はつまらないかもしれないけれど、幸福だと、私の恋人が言ったんだ。理に適っている。来た道を振り返れば自分を誇れる。誇りは自分を強くする。強さは人を導くものだろ?私がエノクを導く者になれるよう、正しい道を歩くと約束しよう。エノクの誇れる親友と成る為に、この先もずっと頑張る」

「おまえってホントに…なんかわかんねえ…」

「おまえを信じてる。信じさせてくれって言っているんだ。エノクの味方は私だけじゃない。ヨキもレントも、ここに居る皆がおまえを信じている」

「…」


 両腕で目を隠したエノクは、しばらく黙り、そして少しだけ明るい声で。

「…親友のおまえがそう言うなら、信じてやっても、いい…」

「うん」

「負けないから」

「私もだ」

 差し出した右手をギュッと握りしめ、「ありがとう」の言葉は、同時に。


 別れの時は、間もなくだ。



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