因果
あの一件の後、幸平は半年ほど仕事をしていなかった。いや、させて貰えなかったという方が正しいだろうか。とにかくあの後9月までは何をするでもなく寮で時間を浪費していた。
9月も24日になり、ようやく残暑の中に涼しい日がちらほらと出始めてきた頃、幸平に広報室への転属命令が下された。
それが、7年前のこと。
幸平は今、特殊害獣駆除隊への転属命令書を受け取り、寮の引越し準備をしているところだった。
駆除隊が編成されるという話を聞いたとき、待ってましたとばかりに転属願を提出した。
編成された初年度では、新規採用で人員を補うのは難しく自衛隊からの転属希望者を募っていたのも相まって、快く受領して貰えた。特に広報室長の栗原純一二等海佐は今は亡き永田一佐の同期入隊で、あの一件で異動してきた幸平をよく気にかけてくれていた。それ故、幸平が転属願を持って行った時は、「必ず通す」と言って受け取ってくれた。
転属願を提出したのは1ヶ月程前、ちょうど駆除隊の一期生達の合格発表の日だった筈だ。それからは、転属命令が出るのを今か今かと待ち望んでいたが、それが今日、転属命令が下った。
何の因果か今日は3月13日。永田一佐の7回目の命日だった。