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 とてもではないが、見ていられるものではなかった。


 この見世物に吐き気を催しはするが、悪趣味極まりないと蔑むつもりは毛頭ない。時が経てば、いつかは遅かれ早かれ、スヴェンもこの者達と同じように染まってしまうのだろうから。


 ただ、彼女が道具として切り捨てられるところを黙って見ていられるほど、スヴェンはまだ染まり切っていない。いつしか、口と身体が勝手に動いていた。


「貴様が、代わりに刑を執行するだと……?」


 怪訝な表情で、レオンは訊く。レオンの周囲の者達や、それを観る観客となった者達もざわめく。


「はい。私は、メルシア・オルトレット自身から前もって頼まれておりました。自分が死ぬときは、スヴェン・ハイリエンに最期の言葉を聞き届けて欲しいと。そのため、私は騎士として、彼女の処刑を行う義務があります」


 勿論、嘘だ。だが、スヴェンは臆さず言う。動揺してはならない。自信を持って、レオンにばれないよう、それらしく振る舞うのだ。


「……貴様とこの女はどういう繋がりだ?」


「大した間柄ではありません。二週間ほど前に、偶然会って一度言葉を交わした程度です。そのときに頼まれました。自分には親しい者はいないため、これも何かの縁だと。当初は、意味が分かりませんでしたが、彼女は己の最期を悟っていたのでしょう。ただならぬ様子であったため、こうして引き受けました」


「……それなら立ち会い人として、傍らで見届ければいい。なぜ、貴様がこの女に手を下す必要がある? 身の程を弁えろ」


 もうすぐ片が付くというのに、ここにきて邪魔者が入ったのだ。レオンは、高圧的な口調でスヴェンを下がらせようとする。


「そうだそうだ! おとなしく下がっていろ!」


「騎士の身分だろうと、殿下に逆らうことは許されないぞ!」


 他の者達も、レオンの言葉に続いて、スヴェンに心ない言葉を投げかけるが、


「申し訳ありませんが、それでは駄目なのです。彼女は私を指名しました。彼女の言葉を確かに聞き届けるには、ただ傍から耳を澄ますのではなく、自ら剣を振るうことこそが騎士である者の責務であると、承知しています。――それに、僭越ながらその書状には、レオン様自ら刑を下せとは記されておりません。汚れ仕事は、これから王になる者ではなく、配下の者にお任せください」


 一歩も退きはせず、スヴェンは深々と頭を下げる。


「どうか、寛大なお心を」


 それを見て、小さく舌打ちをして、忌々しげにレオンは言った。


「ふん。好きにしろ。せめてもの慈悲だ」


 このままでは、観客の機嫌を損ないかねないと思ったのだろう。レオンは予想外の乱入者であるスヴェンの存在自体をメルシアを葬るための計画に組み込むことにしたようだ。


「ありがとうございます、レオン様」


「ただし、分かっているな? 妙な真似はするなよ」


「はい、心得ております。私は騎士です。そのことに誇りを持っています」


「ふん。ならば、いい。人形は人形らしく、黙って従っていればいいのだ」


 レオンは他の者達と共に後方に下がり、代わりにスヴェンが拘束されたメルシアの前に躍り出た。


「二週間ぶりね。元気にしていたかしら騎士様?」


 彼女は、スヴェンに微笑みかけた。


 乱暴にされた時にドレスはところどころ破れてしまい、砂や埃にまみれてぼろぼろになっていた。投げられた石に当たったのか、それとも地面に押さえつけられて打撲したのか、唇は切れて、頬には血が滲んでいる。縛られた手足は相当痛むだろうに、痛みをこらえて、それでも彼女は気丈に笑いかけてきた。


「……ああ、久しぶりだな」


 今のメルシアの姿は、とても哀れで無様であった。しかし、こんな惨めな姿を晒していても、彼女は決して笑顔の表情を崩さない。


「……酷い有様だな」


「素敵な格好でしょう? マイブームなの」


 この状況下であっても、軽口を叩いてくるメルシアに、スヴェンは思わず表情が緩んでしまう。ああ、この期に及んでも彼女は相変わらずなのだ。どうしてか心に安らぎを覚えてしまう。


「……ああ、とても。この上なく魅力的だと思う」


「あら、意外ね。あなたが冗談を返してくるなんて。……それに、こんなことをするなんて」


「そうだな……僕自身もそう思うさ」


 スヴェンは、そう言って苦笑する。二週間前に知り合っていなかったら、きっとスヴェンは彼女の死ぬ姿をただ、黙って見ていただけだろう。自分は人形なのだと思い込んで、人が一人死んだとしても何も感じなかっただろう。


 いや、違う。おそらく、自分は彼女を妬んだはずだ。彼女は、この場では間違いなく、たった一人の悪役であった。彼女は、自分の役割を十全にこなしてみせていたのだ。未だ人形に成りきれていない中途半端なスヴェンと違って。スヴェンには、そんな度胸はない。なるほど、確かに思うだろう。想わずにはいられないだろう。


 ──羨ましい、と。


 少なからず、彼女のことを知った今でも、スヴェンは想わずにはいられない。


 華々しく死ねる。かつて英雄を夢見たスヴェンにとってそれは、生き方として、死に方として十分だった。こんな素晴らしいことが果たしてこの先、自分にあるのだろうか。彼女は、自分の役目を全う出来るのだ。誰かに利用されてのうのうと生きることに誇りを持つことは出来なかった。だから、どうにか騎士となって、代わりのそれに形だけの誇りを抱いてきたが、これはずるい。自分は、メルシアに魅せられたのだ。


「それで、あなたがレオンの代わりに私を殺してくれるの? ちょっと、シナリオと違うけど、私が死ぬのは同じだし、まあいいわ」


「前から気になっていたんだが、君はたまにおかしなことを言うな。何なんだそれは。もしかして、未来でも見えるのか?」


「うーん、予知とは少し違うわね。でも、説明するのは面倒だし……そうね、そんな感じよ、うん。私、実は未来が見えるの。凄いでしょう? えっへん」


 優等生の彼女が面倒だと言うのだ。ならば、かなり複雑な事情があるのだろう。


「……そうか。まあ、いいさ。それなら、君が死んだ後、この国はどうなるか君には分かるのか?」


「そう、ね。実は、あまり具体的には分からないわ。レオンが王となり、ローナが妃となる。そして二人は幸せに暮らしましたって感じだったから、悪い方には転ばないんじゃない? 第三王子も彼らに協力的だったはずだし。ああ、そういえば、ローナ自身はあの冷血漢と結ばれるのに納得しているのかしら? 私、彼女と面識あまりないから、そこのところよく知らないのよね」


「さあ、どうだろうな。少なくとも、悪い気はしていなかったと思う」


 ローナは離れた場所から、騎士や魔術師達に護衛されて、この結末を見守っていた。いや、あれは、余計な手間を彼女がかけることがないよう、レオンが監視させてメルシアから遠ざけているのだろう。スヴェンに監視がほとんどつけられなかったのは、常に従順であったから障害となりはしないと判断されたのだろうか。それとも、監視が固ければ逆に警戒されて感づかれてしまうからと思われたのか。


 遠巻きに見たローナは、メルシアが犯人だと知り、口を覆って驚愕の表情をしていた。演技でもなく素の表情だろう。おそらくローナとスヴェンは外野の存在であった。だが、そのおかげで、こうして割って入ることが出来のだ。


「そう、それなら良かったわ。あんな可愛い子をあんな唐変木に任せるのは少し気が引けたのよね。彼女が別にいいと感じているのなら、それで安心だわ」


 彼女は、華のような笑みを浮かべる。


「あなたも彼らを支えてあげてね。頼りにしているわよ、騎士様」


「……」


 スヴェンはその彼女の言葉に、答えることはしなかった。


「どうしたの?」


 彼女は、未来がある程度までは分かるという。いつどんな形でやって来るか分からない最期と全てが分かっている最期。見えない未来と見える未来。一体、どちらが恐ろしいのだろうか。


「僕は――」


「何?」


「いや、何でもない」


 スヴェンはそう言って、剣を抜いた。そろそろ、レオンや他の者達が痺れを切らす頃合いだ。会話もそろそろ打ち止めにしなければならない。騎士にのみ与えられるその直剣は、手入れが隈無く行き届いていて、刀身には錆一つない。


 スヴェンの愛剣であり、騎士としての自分の誇りである、その切っ先をメルシアに向けた。


 いよいよ、山場に突入するのだと悟った観客達は大声で囃し立てる。


 雑音を背景に、スヴェンは訊いた。


「最期に一つ、君から言いたいことはないか?」


「そうね、ああ、そう言えば、すっかり忘れていたけど騎士様の悩み事は見事解決したのかしら?」


「――ああ、お陰様で、物の見事に解決したよ」


「へえ、何について悩んでいたのか、良かったら聞いてもいいかしら?」


 スヴェンは語る。彼女には聞いて欲しかった。


「……ああ、そうだな。僕は英雄になりたかったんだ。子供の頃から、ずっとそう願い続けてきた。一度はその夢を諦めたけれど、やはり、完全に諦めきれるものではなかったんだ。それで、ずっと苦しんできた」


「意外と子供っぽいのね、騎士様は。お姫様でも救い出したかったのかしら」


 くすくすと優し気に笑うメルシアを見て、スヴェンも小さく笑みを浮かべた。


「どうだろうか。実は、そうかもしれないな。せっかく騎士になったというのに、確かに姫君を守ったことは一度もない。まあ、今はそんなこと嘆いたって仕方ない。話を戻すと、僕は英雄になりたかったんだ。だけど、どうしたって僕はそんな器じゃない。僕はどう足掻いたとしても英雄にはなれない。けれど、別にそれでいいんだということをつい最近、分かった。──君のおかげだ」


 彼女は優しい。なのに彼女が演じる悪役には華がある。彼女は、自分なんかより、ずっとずっと強いのだ。いつの間にか、メルシアのように生きたいと思ってしまった。彼女に、憧れを抱いてしまっていた。


「そう、それは何よりね。冥土の土産としては、上々だわ」


 そう言って彼女は笑う。彼女は──諦めている。



 しかし、たったその一点だけが気に入らなかった。




「メルシア・オルトレット――」


 スヴェンは彼女の名を呼ぶ。


「君は、本当に死んでいいと思っているのか?」


「えっと、え? ……何、急に」


 スヴェンの様子が少しおかしい。それに気づき、困惑するメルシア。


「スヴェン・ハイリエン! 何をしている、早くしろ!」


 レオンもそれに気づいたようで、背後から焦ったようにがなり立てる。観客達も、さっさとしろと苛立ってきている。だが、スヴェンは構うことなく、言葉を続ける。


「君は、人生を諦めたと、そう言ったな? さっきも言ったが、僕は夢を諦めたけれど完全には諦めきることは出来なかった。僕の場合は、諦めたとしても最悪生きていられる。だが、君は死ぬことになるんだ。君は、本当に死にたいのか? 今、少しでも生きたいとは思いはしないのか?」


 スヴェンが問うのは、メルシアにとって過酷な選択だった。そして、スヴェンが望むのはこうだ。


「──メルシア・オルトレット。君は、悪役としてこの先も生き続ける覚悟はないのか?」


 スヴェンは少女に生き地獄を味わい続けることを強要しようとしているのだった。彼女の人生がこんなところで終わっていいはずがない。メルシアの最期に、今は相応しくない。スヴェンは我儘にもそう思っていた。


 メルシアはスヴェンの言い様のない妙な迫力に押されて、たじたじといった風な表情になる。


「え、えーっと、そりゃあ、まあ、万が一生きられるのなら、生きたいけど……シナリオの強制力は絶対だから……って、まさか、えっ……『助けてやる』なんて言ってくれるの?」


 メルシアの言葉に、スヴェンは自嘲的に笑う。若干、雰囲気に流されているとはいえ、彼女の答えはたった今聞いた。おそらくそれが本音で間違いないだろう。偽りの気持ちがすんなり喉から出てくるはずがない。


 それなら次は、スヴェンの番だ。その答えだとばかりに剣を構えた。


「そんな気の利いたことは言わない。知らないとは思うが、僕はどうしようもなく情けなくて臆病な人間なんだ」


 そうだ。自分は、彼女がこうなってしまってようやく、重い腰を上げるようなこの上なく最低な奴なのだ。そんな者に、手を差し伸べようとする資格など有りはしない。


 あまりにも自分勝手ではあるが、彼女が歩むはずだったその先を、見てみたかったのだ。自分は英雄にはなれない。


 だから――


 その剣を彼女目掛けて一気に振り下ろした。





「──僕も一緒だ。どこまでも墜ちていってやる」





 刃が断ち切ったのは、メルシアの体ではなく、魔法で創り出された光の鎖だった。


 そして、スヴェンは悪役に──地獄を歩む覚悟を決めた。


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