3
メルシア・オルトレットと言葉を交わしてから、一週間が経った。スヴェンはあれから一度も彼女の姿を見ていない。メルシア自身、レオンやローナには極力近づかないようにしていると言っていたのだから、日常の大半をその彼らと過ごしているスヴェンが彼女と接触する機会などそうそう無いだろう。
毎日、暇があれば、スヴェンは彼女とあった校舎裏を訪れていた。しかし、そこでも彼女とばったり出くわすことはなかった。あのとき、会ったのは偶然が重なった結果だからだろうか。実際、校舎裏で誰かと遭遇したのはメルシアと出会ったあの時の一回きりだった。
後、一週間ほどで卒業式がやってくる。その日が彼女にとっての最期となる日だ。刻一刻と、その時は近づいてくる。今、彼女は、何を思い何を感じてその時その時を過ごしているのだろうか。気がつけば、いつの間にかスヴェンはそのことだけを考えていた。
「――危ない!」
突然の大声。すぐさまスヴェンは意識を引き戻される。反射的に体を捻り、顔を横に逸らしていた。
「ぐっ!」
右肩に衝撃と痛みが襲う。飛来した矢が体を掠めたのだ。
「スヴェン様!?」
スヴェンの身を案じてパーティーの中の誰かが駆け寄ってくる。
「心配ない。それよりも敵を……」
「それなら大丈夫です。たった今レオン様が倒してしまいました」
そう言われ、今し方スヴェンに矢を放った動く骨だけの魔物を見れば、それを一太刀の元に切り捨てている青年の後ろ姿がそこにあった。
真っ二つにされた魔物の体はたちまち灰へと変わり、端から見れば、その姿は溶け落ちるかのように崩れていく。後に残されたのは、地面に転がる親指程度の大きさの魔石だけだった。
他にも、数体魔物がいたが、それらは全てパーティーメンバーの魔術師が魔術の炎で焼き払ってしまっていた。
「戦闘中に考え事か。良いご身分だな」
周囲に魔物がいないことを確認して、魔石を拾い、こちらに戻ってくるとレオンは言った。
「申し訳ありません、レオン様」
スヴェンは肩を押さえて、謝罪する。返す言葉もない。これは失態だ。普段のスヴェンなら、魔物数体程度に遅れをとることはなかった。完全に油断しきっていた。
「スヴェン・ハイリエン、貴様は我が国の騎士としての自覚があるか?」
「勿論です。騎士としての誇り、その志は片時として忘れたことはありません」
「それならば、今のは何だ? この体たらくで貴様は騎士を名乗るのか?」
「……次こそは命に代えても、無様な姿は晒さないと誓います」
「ふん、当然だ。貴様は、言われた通りに従い、事を成せ。貴様にはそれしか望んでいないのだからな」
レオンはそれだけを口にすると、迷宮の奥へと歩き出した。他のパーティーメンバーもその後をついて行く。場所を変えるつもりだろう。迷宮内では一カ所にずっと留まっていると、そこに魔物が集まってきて厄介なことになる。そのため、こまめに場所を移動しなければならない。
「ありがとう、ローナ・ブラッシュ。掠り傷だ、大した怪我じゃない。先を急ごう」
スヴェンの様子を心配していたローナに礼を言い、遅れないよう自分も歩き出すことにした。
迷宮内では、常に危険がつきまとう。最悪、命を落とすことだってあり得る。それなのに、なぜ自分はこうも呆けているのか。気をしっかりと引き締め直す。
囮にもならない木偶の坊以下の騎士など、そこにいる意味なんてものはありはしないのだ。心に固く誓う。もう、二度も同じ失敗は犯さない。
「あのスヴェン様……」
「どうかしたのか?」
「いえ……その」
ローナは立ち止まったままだった。このままでは、レオンたちから離れてしまう。
「何か言いたいことがあるならはっきり言ってくれ」
「何と言いますか……お辛そうなだな、と思いまして」
「傷なら大したことはない。先ほどそう言っただろう」
「確かにそう、仰ってはいましたけど……その心配なので」
ローナは何かしら逡巡しているようだったが、よし、と拳を握って覚悟を決めたような表情をする。
「スヴェン様、怪我をした方の肩を見せてください」
言われた通り右肩を見せると、彼女は傷に両手を翳した。小さく何かつぶやくと、その両手が淡い光に包まれる。すると――
「なっ、傷が……!」
スヴェンの負った傷がたちまち癒えていく。驚いて瞬きを数度繰り返せば、そこにはもう、傷はなかった。いつしか彼女の両手を包む光も消えている。
「君は……」
スヴェンは二の句が継げなかった。スヴェンが目にしたのは正しく、メルシアが言っていた治癒魔法そのものだ。
「利き腕の方を負傷していたので治しました。このことは他の方達には内緒にしておいてください。あと、もう痛くはないと思いますけど、怪我している振りをお願いします。他の方達にばれたくないので」
「……君にこのようなことが出来るとは聞いていなかった」
「ごめんなさい。レオン様に口止めされていましたから。それに、これまであなたは迷宮内で一度も怪我を負ったことはありませんでしたし……あなたがパーティーにいる時はあなたが守ってくださるおかげで誰も怪我をしないので、その……魔法を使う機会がなかったんです」
申し訳なさそうにしている彼女の言葉が胸に刺さる。スヴェンは彼女の話を最後まで聞くことが出来なかった。
「今まで知らなかったのは僕だけか?」
「……はい」
ローナは怖ず怖ずとしながらも首を縦に振った。
レオンが黙っていたのは、おそらくスヴェンに言う必要がないと判断したからだろう。彼の口から、信用や信頼といった言葉が出ることはまずない。彼が、スヴェンが自身の役割を疎かにしないよう配慮した結果なのだろう。だが、これでメルシアの言葉は現実味を帯びてきてしまっていた。
「そうか。正直に言わせて済まない」
「いえ……その、ごめんなさい」
しかし、どうすることもできない。いつも蚊帳の外で、操られるだけの人形の自分に一体何が出来るというのか。
不甲斐ないばかりだ。スヴェンは己を恥じる。今のスヴェンは、自分よりも非力な少女にすら、気を使われる有り様だ。
無力感に唇を噛み締める。思わず、笑いだしてしまいそうになった。これが、今の自分なのか。なんて、惨めで情けないものなんだ。
「先に行ってくれ。君の後ろをついていく。それと、治療に感謝する」
「分かりました。無理しないでくださいね。あと、その……」
「何だ?」
スヴェンの顔を見てとても言いづらそうに、彼女は口を開いた。
「何だかさっきよりもお辛そうです。本当に大丈夫ですか……?」
「ああ。もう心配ない。苦労をかけた」