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「何……だと……?」
あまりにも唐突に彼女は驚愕の言葉を口にしたのだった。
「魔法によって拘束された私は、レオンからその場で婚約破棄を言い渡されて、そして彼の剣に斬られて死ぬの。だから私の命は後二週間しかない、そういうこと」
淡々と発する彼女の言葉はとてもではないが信じられなかった。
「……なぜそうなると分かる? ……理由や根拠はあるのか?」
確信なく、そのような大それた発言は騎士として見過ごすわけにはいかない。しかし、彼女が意味もなく嘘を吐くようには見えなかった。
「あるにはあるかな……少し突飛な話になるかもしれないけれど」
メルシアはぽつりぽつりと語り出した。
「同学年に在籍する女子生徒でローナ・ブラッシュという娘がいるのは知っているでしょう?」
勿論知っている。彼女は、この学園でもかなりの有名人だ。学園内の地下迷宮を探索する際、彼女は第一王子のレオンと同じパーティーに入っている。それに特段これといって親しくはないが、一応スヴェンは彼女と出会えば何度か言葉を交わす程度の間柄ではある。
「彼女がどうかしたのか?」
「我が愛しの王子様は近頃、その彼女にご執心なのよ」
「馬鹿な……あの人に限ってそんなはずはない!」
スヴェンは抗議の声をあげる。しかし、メルシアは苦笑を浮かべただけだった。
「まあ、確かにあの堅物は愛だの恋だの何のそので、自身の行動が降って湧いたような一時期の感情に左右されることはまずないでしょうね。ああ、彼、もしかして人間味を何処かに置いてきたのかしら。可哀想なレオン」
しれっと酷い言いぐさだ。しかし、そこまでレオンの性格を分かっているのなら、なぜ彼がそのような暴挙をしでかすと思うのだろうか。
「でも、何事も例外はあるものよ」
窘めるようにして優しげで穏やかな口調で彼女は言う。
「ここで一つ質問。私は公爵家の娘で文武両道な優等生、それとおまけに美少女だけれど……率直に言って私に価値はあると思う?」
――価値。それは、つまりこの国に、そして王家にとってということだろうか。
「十二分にある。君は血筋としては申し分ないし、容姿も能力も秀でている。何一つ負荷となる要素は見当たらない」
「真顔で言わないでよ。何だか照れるじゃない」
メルシアは茶々を入れるが、スヴェンは一々取り合わない。
「それで、はっきり言って君は優秀なはずだ。なのに、君は殺されてしまうのか?」
「スルーですか……。まあ、そうね。自分で言うのも何だけど私は確かに優秀だわ。けれど、ただ優秀なだけ。それは王家に嫁ぐのに及第点以上というだけの話なの」
「何?」
「つまり、他にも及第点以上の娘がいれば、別に私じゃなくても構わない。今は、私が最有力候補というだけ。私以上に妃としてふさわしい人物が現れれば、私は必要なくなる」
「それなら、ローナ・ブラッシュは君以上に有能だというのか? 正直悪いが僕から見たら、彼女はそこまで有能そうには見えない」
平民という身分。それ以外にもいや、全てにおいて彼女がメルシア以上に秀でている点は見当たらない。なのに、入学当初から彼女はレオンのパーティーに加入している。それが、周囲の嫉妬や軋轢を生んでいた。スヴェンはサブメンバーとして時折、レオンのパーティーに加わっているからこそ知っている。彼女は、王を傍らで支えられるほどの人間ではないはずだ。
「まあ、彼女はそうね。特別だから」
「特別? どういうことだ」
「彼女、治癒魔法が使えるの」
「なッ!?」
耳を疑った。それは古の魔法使いが扱えたとされる幻の魔法だ。しかし近年の研究で、治癒魔法の存在は否定された。魔法や魔術に他者を殺傷する力はあっても癒す力は存在しない。そんな物はただのお伽噺に過ぎないのだと。だが、その使い手が仮に存在していたとしたら?
「とまあ、つまりはそういうこと」
極めて単純な話だった。国はメルシアが邪魔になったのだ。新たな血を取り込み、その力を我が物にするために。そのために彼女は利用され、挙句の果てに切り捨てられる。
「それなら……他にもやりようがあるはずだ。なぜ君を殺すことに繋がる……?」
だが、スヴェンはそのことについて理解は出来ても納得は出来ない。
「――太古の魔法ゆえ、正当な評価は下されず、あまつさえその力に嫉妬した残忍で冷酷な憎き悪役令嬢メルシア・オルトレットに今までずっと虐げられ、苦しい思いをしてきたなんて……。ああ、可哀想なローナ様! ――ほら、分かりやすい箔がついた」
スヴェンは言葉を失った。何という身勝手さ。そんなもののために、彼女は犠牲になるというのか。
「悪しき竜を倒す英雄の物語はどうして、あんなにも人気があると思う? 答えは単純、英雄という誰もが憧れる主人公がいて、竜という強敵である悪役がいるから。竜が英雄を倒す話は面白いと思う? 私は面白いと思うけど、やっぱり人を選ぶでしょうね」
ああ、そんな物語はどこかに無いものか。最期に一度読んでみたいから、後二週間で探せるだろうかと彼女は嘆く。
「要は適材適所なのよ。私は悪役だと良く映える。悪役が強大な存在であればあるほど、主役たちは輝くのだから。ついでに彼女に本当に嫌がらせをしていた人間たちの罪も私に押しつけて有耶無耶にすることが出来る。一石二鳥でみんな幸せ。そう判断されただけ。身も蓋もないけどね」
そう言って彼女は微笑んだ。
その表情を見ているのが辛くて、スヴェンは何とか言葉を絞り出す。
「……無実を証明することは出来ないのか? 必要なら僕も掛け合おう」
「無理ね、気持ちは有り難いけど。もう、これは決定事項みたいなものだから。一蹴されるだけだわ」
「なぜ、そうと分かる。そもそもまだ君が殺されると決まったわけでもないだろう?」
そうだ。これまで、メルシアが話してきたことは憶測に近いものだ。信憑性は高くても可能性の域を出ない。確約された未来ではないのだ。実際は全て彼女の妄想だということだってあり得る。
「ああ、うーん。確かにそう言えばそうだけど。でも、これは絶対に避けることはできないの。強制負けイベントって奴? バッドエンド一直線の」
「イベント? バッドエンド? 何を言っているんだ?」
いきなり意味の分からないことをメルシアは言い出した。
「――ああ、ごめんなさい。何でもないわ。とにかく、これまで私は可能な限り手を尽くしてきた。敵は作らないように上手く立ち回ったし、レオンやローナとは可能な限り接触しないようにしていた。迷宮に潜る際はパーティーを毎回替えて取り巻きも作らないようにしていたり、他人の色恋沙汰には足を突っ込まないようにしてきた。でも駄目だったの。それでも私は殺される。それが私の人生よ」
「逃げればいい」
「どこへ?」
分からない。言葉が詰まる。スヴェンの知る世界も広いとは言えない。答える代わりに、彼は、無理矢理言葉を口にする。
「……君の家が黙っていないだろう」
「私、あんまり家とは上手くいってないのよ。火の魔術師の家系なのに、召喚術師としての才能を持って生まれたからかしら。ほんとにもう、あの人たち、召喚術を下に見過ぎよね」
思い出したかのように憤慨するメルシア。その表情とは裏腹に、彼女は優しげな手つきで自らの指にはまった指輪を撫でる。その指輪には契約紋が刻まれている。彼女が、魔物と契約して使役することが出来る証だ。
召喚術は極めたら心強いが、使い勝手が非常に悪く、汎用性に欠ける。それに術者は魔術師以上に無防備になりやすく、敵の場合狙うには格好の獲物だ。そのため召喚術は戦士や騎士、魔術を学ぶ者にとって軽視される傾向にある。血統と才能を重んじる名門なら尚更風当たりは強くなるだろう。
「家の者たちも消えて清々したとか言うんじゃない? 裏で色々と手を回してあまり被害とか負わないようにしてそうだし、うちの弟なんて、手を叩いて喜びそう。まあ、だから、私は邪魔者。悪役街道まっしぐらって感じ」
彼女の瞳はとても寂しげだった。
スヴェンはかける言葉が見つからない。こんなにも自分はちっぽけなのか。己の無力さに奥歯をぎりりと噛み締める。
「ああ、『助けて』なんて綺麗な言葉を吐くつもりは更々ないから安心して。そもそも、そういう魂胆であなたに話しているわけじゃないし。ただ、あなたには知って欲しかったと言うだけ」
それを見て、メルシアが陽気に言う。しかし、すぐにその笑みは消えてしまった。
「誰もが、罵声や怒声、非難の声と共に石礫を投げつけている中……あなただけは私の骸を見て、とても羨むような目を向けていたから」
彼女の言葉に、背筋が凍った。
「ねえ、教えて。死んでしまった私をどうして羨ましいなんて思ったりしたの? あなたに一度会って私はそれが聞きたかった」
何を言っているんだ、この目の前の少女は。まるで自分の最期を見てきたかのような物言い。気でも狂ったのか。だが、彼女の双眸には狂気ではなく、あるのは純粋な好奇心のみ。彼女は正気でそのような問いをスヴェンに投げかけているのだ。
スヴェンは押し黙る。問いには答えられなかった。
彼女は言葉を続ける。
「無理なら聞かない。これはまだ起こっていないから。でも、どうしてあなたがあんな顔をしていたのかは知らないけど、私は成り行きでこうなっただけ。別に特別なことなんて抱えてはいないわ。……特別といえば、まあ特別なんだろうけども、あんまり私を私たらしめている部分とは関係ないわね、それは。私は、いい加減疲れたから楽になろうとして諦めた。私の真意なんてこんなもの。どう? ちっぽけな私に落胆した? とにかく、それを知って欲しかったの」
再び彼女は微笑みを浮かべる。
「だから、ただの気まぐれ。……でも、あなた普段と印象が違うわね。いつものあなたはまるで操り人形のように不気味で、大人しいのに。ひと一人死んでも何事もなかったかのように振る舞いそうなあの騎士様は一体どこに行ってしまったというの?」
相も変わらず口が悪い。だが、それも的を射ている。何なのだこの少女は。
「……君が普段通りの雰囲気ではないから、それに当てられただけだ」
「あら、そうなの。いつもミステリアスなサブキャラさんの一面を見れて少し得した気分かも」
「サブキャラ……? 何を言っている?」
また、わけの分からないことをメルシアは言う。
「ああ、こっちの話よ。またごめんなさいね」
そして、また言葉をはぐらかそうとする。そのことについて問いただそうして口を開いた瞬間、丁度メルシアは懐中時計を取り出した。それで、スヴェンの言葉は遮られてしまう。
「ああ、もうこんな時間なのね。すっかり話し込んでしまったわ」
頭上で両手を組み、彼女は体を伸ばした。そして、ベンチから立ち上がる。
「さあて、この私、公爵令嬢改め悪役令嬢メルシア・オルトレットは定められた自らの使命に殉じるためそろそろお暇すると致しますか! まあ、『令嬢』って自分から言うものではないらしいけどね!」
もうすぐこの場を去ろうとしている彼女に、スヴェンは無意識の内に声をかけていた。
「……君はそれでいいのか? 本当に悔いは残っていないのか?」
もうすぐ彼女は死ぬのだと言う。だが、それなのにどこ吹く風というように至って平然としている。スヴェンには彼女の心境が理解出来ない。
「ん? ああ、もういいかなとは思ったりはするわね。こんなに頑張っても報われないとか正直、さっきも言ったけれど疲れたし楽になりたいってのもあるかな。――まあ、やっとこさ迷宮の最深部の門番を手懐けられたから今は達成感に満ちあふれていて悔いは無いわね」
「は……? まさかあの凶暴なドラゴンをか!?」
馬鹿な、とスヴェンは仰天する。学園の地下迷宮最深部に居座るドラゴンと言えば、理事長や他の教師陣ですら、勝つことが出来なかった化け物だ。それをこの少女は使役出来るというのか。
「うん、マリリンちゃんのことでしょ? そうそう契約を結ぶまで苦節五年。本当、苦労したわー」
あまつさえ、名前まで付けている。『ちゃん』ということは、もしや雌の個体だったのか。知らなかった。
重ね重ね思う。何者なのだ、この少女は。はぐらかされそうな気がするため、訊きはしないが。思わず、呆れ顔になるスヴェンである。
「……それだけの力を持っているなら、力尽くで回避できそうな気がするんだが……」
「それも考えたけど、契約の指輪を奪われた後に拘束されるから結局は無理な話なのよね。本当、残念。奴ら全員、マリリンちゃんの昼ご飯にしてやろうと思ったのに」
メルシアは悔しそうに歯噛みする。そして彼女は屈託のない笑みを浮かべた。
「それでは、さようならスヴェン・ハイリエン。二週間後にまた会いましょう。あなたと過ごした時間は私の中で最も楽しいひと時だったわ」
そう言葉を残して、メルシア・オルトレットは去っていった。