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会話文が苦手なので、その練習に。

昔からよくある王道展開です。

 スヴェンの人生の中で『期待』や『信頼』といった言葉ほど縁遠いものはなかっただろう。と言っても、別に皆無だったわけではない。おぼろげな記憶の中に、珍しくも一度や二度はそんなこともあったような気がするが、あまりにも時が経ち過ぎていて掘り起こして思い出すには少々難しいものがある。


 だが、反対に、この言葉は今でも昨日のことのように覚えている。


「余計なことはするな。ただ従え。それが義務であり、お前にはそれしか望んでいない」


 その言葉は幼いスヴェンが、一度で良いから褒めてもらおうと努力した結果、非情にも投げつけられた言葉だ。そして次に周囲の者は、彼の努力の結晶を、目の前で叩き壊してみせた。そんな物に一抹の価値はありはしないのだと。口では言わなかったが、鼻で笑い、目で言外にそう告げていた。


 理不尽だ、納得がいかないと、幼心ながらも反発したりもした。だが、次に決まってこう言われる。


「なら、お前はもう必要ない」


 氷のような冷たい声になけなしの反抗心すらも砕かれる。


 全てが義務であった。――スヴェン・ハイリエンが今こうして生きているのは、それが義務であるからだ。言うなれば、彼の人生は彼自身の物ではなく彼以外の物だった。必要以上の能力は望まれず、必要以下の能力は許されない。それ以上でもなくそれ以下でもなく、そうあることをただ望まれた。それが呼吸をするがごとく当たり前でごく自然なのだと。そこにスヴェン自身の意志は介在することはなく、作られた人形のように生きろと。


 拒絶すれば、文字通りに必要のない物として扱われる。その後に待っている結末は、誰にだって容易に想像することが出来るだろう。


 幼いながらも理解する。


 それならば、望まれた通りに演じて生きよう。脚本家によって台詞が全て決まっている劇上の役者のように。アドリブは観客にも役者にも嫌われる。だからただ演じろ、大仰に滑稽に何も考えずに。それこそが最も賢く、最も楽な生き方だ。――そう分かり切っていたことなのに。


「はあ……」


 大きくため息が漏れる。


 学園卒業までもう二週間足らず。その後、待っているのはまた喜劇にでも使われるのかと思うほど滑稽な人形として生きる日々。学園内は監視の目が緩むため、ある程度の自由はあった。学園の地下に存在する迷宮内までは彼らの手は流石に回せなかったのだ。

 しかし、この学園を去れば、あの頃にまた逆戻りとなる。


 いや、あるべき場所に還るというのだろうか。


 不満はなかったはずだ。なのに、憂鬱感は増していくばかりだ。


「……死にたい気分だ」


 思わず、弱音が口を突いて出る。


 もし誰かに聞かれでもしたら、これまで築き上げた信頼は全て地に落ちるとはいかなくても幾分か損なわれはするのだろうか。信頼──その言葉を口にしてはみるが、判然とせずいまいち実感が掴めない。これまで人形として生きることでしか、スヴェンは自分の存在を保つ方法を知らないのだ。だから、いつものように、言われた通り、従い、こなし、ただそうしている。たったそれだけで相手との間で信頼という自分には見えない何かが生まれるというのは、今のスヴェンには信じ難いことだった。


 今いるこの場所は、スヴェンが最近見つけた穴場である。草木が生い茂り、日光が届かず不気味な雰囲気のため誰も近寄らない校舎裏。一人になりたいとき、愚痴をひとりこぼしたいときに最適だ。それからというもの専ら、このスヴェンにとってのオアシスに足を運んでいる。


 ああ、もっと早くに見つけていれば良かったとスヴェンは思う。あと、二週間しかここが使えないと考えると実に口惜しい。誰にも邪魔されず、痛みかけのベンチに凭れて思考にどっぷりと浸かれるこの時が至福の一時である。


「――ねえ」


 不意に声をかけられた。


「っ、誰だ!」


 まさか、これまでの独り言を聞かれていたのだろうか。咄嗟に声の主の方へと振り返る。


「はい、私だけど」


 気の抜けた声でそう答えたのは、女子生徒だ。名前は――


「君は……メルシア・オルトレットか」


 スヴェンは驚きの声を上げる。彼女はこの学園が存在するグルハプス王国――その国の次期国王となる第一王子レオンの婚約者。オルトレット公爵家の娘の一人。


「なぜ君がこのような場所に……」


「それはお互い様じゃない? こんな湿気た場所に一体何の用でございましょうか? 我が国の誇りである騎士様は」


「それは……その」


 そう返されて、思わず、口ごもるスヴェン。弱音を吐きに来たと正直に言えるわけがない。しかし、メルシアはスヴェンの態度を特に気にする様子はなかった。


「あーあ、それにしても見つかってしまいましたかー、私の憩いの場。後、二週間は誰にも知られずにいけると思ったのになー」


 そう言って、スヴェンに歩み寄る。


「そこ、もう少し横にずれてくれない?」


「……は?」


「いや、だって座れないじゃない」


 一瞬、何を言っているのか分からなかった。


「ええっと……誰が座れないんだ?」


「私がだけど」


「ああ……」


「うん」


 スヴェンはベンチから立ち上がった。


「どうぞ」


「え、何で立つの? 座ったままで良かったんだけど」


「僕はもう退散する。後は勝手にしてくれ」


 一人が心地よかったのに、そこに人が来た。そのため、ここに居られるはずがない。スヴェンがそそくさと帰ろうとすると、なぜかメルシアは不服そうな顔をしてそれを止めた。


「ちょっと、それって何だか私が追い払ったみたいで嫌な感じじゃない! 止めてよ、戻ってきなよ!」


 声には必死さが滲みでていた。何だこいつとスヴェンは彼女に若干引きながらも、その彼女の言葉に従い、踵を返すことにした。


「うん。それで良し」


 スヴェンが戻ってくるとメルシアは満足げに頷いた。


「わざわざ引き留めて、僕に何か用なのか」


「用事はないけど、何だか申し訳なく思っちゃってね。あれよ、罪悪感とかいう奴よ」


「そうか」


「隣、空いてるけど座る?」


 軽い調子で、彼女は席を勧める。


「断る。君には婚約者がいるだろう。本来、学生であっても未婚の男女が二人でいること自体まずいんだ。誰かに見つかって変な誤解やら噂やらをされたらたまらない」


「あら、ここは普段は滅多に誰も来ないから平気よ。入学した翌日から毎日欠かさず通っているけど、人と鉢合わせたのは今日が初めて」


 ばんばんと、メルシアは催促するようにベンチを叩く。


「まあまあ、とりあえず一旦、肩の力を抜いて座りなさいな」


「……僕はここでいい」


 スヴェンはベンチには座らず、壁に背を預けるようにして立つ。


「ふーん、意外と強情なのね、騎士様は。まあ、いいけど」


 そこまでは強制しないらしい。

 その言葉に対してスヴェンは鼻を鳴らしただけだった。


「……君は毎日ここに来ていると言ったな」


「まあね、これでも悩みの多い年頃ですから」


 おどけた風にメルシアは言う。


 スヴェンは横目で彼女を観察した。何度か面識はあるが、直接言葉を交わしたのは今回が初めてだ。そのため彼女の人となりを完全に理解しているわけではない。しかし、今のメルシア・オルトレットは何かが違う気がする。


「ん、私の顔に何か?」


「いや、今の君はいつもと違うような気がして……具体的には言えないが、何だか違和感が物凄いと思っただけだ」


「騎士様、それってもしかして口説いてる?」


「それはない」


「あっそ。左様でございますか」


 メルシアは足をぶらぶらと上げ下げする。この無防備さは、普段の彼女ではあり得ない。それを見て、スヴェンは思った。


「何というか、今の君は取り繕っていないな。まったく淑女らしくない。いつもは張りつめた雰囲気で近寄り難いが、今は、はっきり言うと顔だけ同じの別人に見える」


「酷い、騎士様! 私をそんな風に見ていたなんて! 信じていたのに!」


 スヴェンは胡乱げ目つきでそれを見て言った。


「それと、全てにおいて胡散臭いな。正直、普段とは違う意味で近寄り難い。というか絶対近づきたくない」


「あ、それは、ちょっと本気で傷つくかも」


 すぐに飽きたのかメルシアは小芝居を止めて言った。


「まあ、私のことは脇にぶん投げといて、あなたのことはどうなの? 悩める騎士様」


「……」


「『はあ……死にたい気分だ』」


 ぼそりとメルシアはスヴェンの独り言を真似るようにして呟いた。


「っ! やはり盗み聞いていたのか……!」


「そんな人聞きの悪い。聞こえてきただけですよーだ」


 くすくすと意地の悪い笑みを浮かべる。


 しかし、すぐにその笑みは陰を潜めた。


「死にたいなんて、そんなこと口に出しては駄目よ。仮に嘘でも、本当に思っていたとしても……」


 彼女の顔に浮かんでいるのは憂い、そして諦観のそれ。


「後、二週間の命しかない人間だってこの世にいるんだから……ね?」


「どういうことだ……?」


 メルシアはスヴェンに薄く笑いかける。


「まあ、立ち聞きしてしまった謝罪の代わりみたいなものかな」


 うーん、と一つ彼女は体を解すように背伸びした。そして、そのまま空を見上げる。しかし、この薄暗い校舎裏からでは、青空は見えない。


「あなたもここに愚痴をこぼしに来たんでしょう? 私も愚痴をこぼしに来たの。だから、今言うことは独り言」


 視線を元に戻す。その後、彼女は言葉を続けた。


「私さ、殺されるんだよね。学園の卒業式当日に、我が愛しの婚約者様の手にかかって」


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