2、春といえば
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酒臭い。誰かが地面にまいたのか、ぷーんとにおう。通るだけで目にしみて、こっちまで酔いそうになるほどだ。
あ~あ、寝ちまってるオッサンもいるよ。だらしがないな。大人になって酒を飲んだとしても、道端で寝るようなオッサンにだけはなりたかない。
今日は晴れていて気持ちがイイ。夕焼けの中を風が吹いて行った。
よく見ると、咲いたかと思ってた桜がもう散り始めているな。昼も夜も関係なく、こうやって大騒ぎしている大人たちもそろそろ減ってゆくだろうか。だとしたら嬉しい。ヤツらは公園を占領しているし、さらにはからんでくるし、さっきなんて吐いたのがぶちまけられていたのを危うく踏みかけたりもした。汚いのなんのって!もうカンベンしてくれよ、って感じだ。
この季節だけのガマンだと思やぁイイんだろうけど、何とかならないものかねぇ。と思っていると、右前に橋が見えてきた。橋を渡ってまっすぐ歩くと、桜の木の多い川沿いの砂利道からそのまま石畳の道へ入る。ここまで来ると用事のある中央広場の市はもうすぐだ。
「じっちゃん、ああいうのって迷惑じゃないか? からんできたり吐いたりしてるヤツら。まとめて捕まえてゴミ箱か何かに入れるわけにゃいかないのかな」
「そうはイカンだろ、いちおう生き物だぞ。セミや蚊みたいに季節限定だと思いねぇ。花びらと一緒に吹かれて、じきにいなくなるさ」
「そうなんだけどさ。でもね、なんであそこまでデロデロになるまでやめられないのかなぁ。吐いたりして楽しいのか? っつか、もったいないと思わないのかな」
「さあな。酔っ払いには酔っ払いの信念ってのがあるんだろうよ。さ、ここらで待ってろよ」
俺はじっちゃんの言葉にうなずいて、いつももたれて待ってる建物の壁に背中をつけた。
じっちゃんはいそいそと用事に行った。
酔っ払いもイヤだけど、そういえば最近、俺はおかしなものを見るようになっていた。それは中央の広場の市に、真っ昼間だってのに木の陰からジッとこちらを窺う幽霊のことだ。
たぶん幽霊だ。めちゃくちゃキレイな顔してて気味が悪い。
男か女か、大人なのか子どもなのか分からなくて気味が悪い。
肌も服も髪までもが透き通ってるみたいに真っ白で気味が悪い。
誰も声をかけないし、気にもしてないみたいだから、ひょっとして俺だけにしか見えてないのかも知れなくて気味が悪い。
何してんのか分かんないけど、ともかくいつも同じ木の陰にいる。
小一時間くらい経ったか、日も暮れかかったころ、じっちゃんが手帳をくりながら戻ってきた。
「さあ、帰れるぞ」
俺の所まで来て手帳をパタンと閉じながら笑顔で言った。
「うん」
二人分の並んだ長い影を見ながらうなずき、ふと幽霊のいる木のほうを見ると、ちょうどその白い幽霊も路をふらりと北へ歩いてゆくところだった。
思わずそれを追いかけていて、じっちゃんに腕をつかまれて呼び止められた。
「おい、どこ行くんだよ」
「すぐ帰るから」
「そうかい。じゃあ、ワシは先に帰るからな。人買いには気をつけるんだぞ」
「うん」
そう返事しながら俺の足は夢中で幽霊を追っていた。幽霊は薄暗い坂道を浮かぶように軽く歩いてゆく。夕方だからか、木がたくさんあるからか、だんだんと路は暗くなる。
しばらく行くと、貴族らの住む屋敷街らしい所へ入った。大きな屋敷の裏側らしく、両側に高い塀がずっと続いている。その上に大きな木の枝が見えている。どうやら桜の木が多いみたいだ。白い幽霊の歩くうしろを雪みたいな花びらが踊るように散っている。
見張りの兵士がウロウロしてる他は誰もいない。
幽霊は白かったから暗くなってきてもよく見分けがついた。だけど、どこまで行くんだろ。
幽霊といえば弱々しいというのは俺の勝手な思い込みだったみたいで、そいつをよく見ると浮かぶような弱々しい歩き方というよりは、ズンズンと元気でしっかりした歩き方だった。
そうして歩いていると塀の切れ目が見えた。曲がり角だ。曲がりそうだなと思ってると、やっぱ曲がって行った。見失わないように急いで角を曲がると…あっ!幽霊がいない!消えた!
その路は行き止まりだった。周りをよく見てみたけど屋敷の塀しかない。やっぱ幽霊だったのか。