序
始めまして。再就職決まるまでの腹いせに?暇つぶしに?短いお話を書いてみようと思います。
夏の暑い日だった。夜が明けたと同時に蝉達が大合唱を始め夜中まで鳴き止まず、一日中むせ返る程の熱気を孕んだ空気がねっとりと纏わりつき太陽がじりじりと照りつけ、木々や道路そして少年の肌を焦がした。
都心から随分と離れたこの村には何本も電車を乗り継ぎバスに揺られ、終点から先は舗装も碌にされていない土と砂利の畦道をひたすらに歩いてやっと辿り着く。普段から元気の有り余る少年もこれには閉口する。今朝、始発に乗車してからおよそ6時間・・・やっと目的地が見えた。とたんに疲れがどっと押し寄せてくる。とは言えここで立ち止まるわけにもいかない、この炎天下の中じっとしていては黒焦げになりかねない。
・・・もう少しだ。荷物だって殆ど母さんが運んでいるんだ。
少年は全身を汗みどろにさせ頬を伝う汗を甲で拭いながら気合を入れた。
築100年は経っているだろうか。古い木造の一軒家。庭は普段生活しているアパートとは比較にならないほど広く竹で編まれた低い柵に囲まれている、門を抜け飛び石を渡り母屋の玄関先に手漕ぎのポンプ、その下に大きな瓶が据えられていて胡瓜やトマト、西瓜等がぷかりと浮いて水滴がきらきらと反射していた。ごくりと喉が鳴る。今ならこの瓶いっぱいの水も飲み干すことが出来そうだ。
母親は開け放たれた玄関に潜り込み声をかける。
「ただいまー。母さーん、居ないのー?」
暫く待ってみるが返事は無い。
「畑に居るのかしらね?」
早々に靴を脱ぎ荷物を抱え上がりこむ。少年も母に倣った。上がり框に腰掛け靴を脱ぎ揃える、振り返ると2階に続く階段が有る・・・まだ昼過ぎだというのに薄暗く気味が悪い。ほんの少し怯えながら廊下を行く、両脇には障子が連なっている。
ちいん。障子の向こうの畳敷きの部屋からお鈴の音が聞こえる、見ると母親が仏壇の前で手を合わせていた。
「お爺ちゃんに手を合わせなさい。ただいまって」
促されるまま手を合わせる。だがその後が良くわからない、何時まで手を合わせていればいいのだろう。アパートには仏壇なんか無いし習慣が無いから戸惑うばかりだ。
「あれ、帰って来てたか」
玄関の反対側、庭に面した縁側から声がかかる。小さく皺くちゃの老婆が手拭いで汗を拭き拭き笑みをこぼす。
「あれ、挨拶してくれたんか。爺ちゃんも喜んどるわ」
皺くちゃの顔を更に皺くちゃにして相好を崩す。
祖父の3回忌、それがこの田舎に足を運んだ理由だ。
以前来た時は葬式だったが物心付いたあたりの事で今ひとつ記憶が明瞭ではない。おぼろげにこの家の落ち着いた雰囲気と、黒い服を着た大人達に囲まれた事を覚えている程度だ。もちろん祖母に会うのも2回目なので肉親と言われても何とも言えない居心地の悪さを感じてしまう。
「まあ、遠い所を良く来たな。婆ちゃんが昼飯作ってやっからちょっと待ってな」
といわれても愛想笑いくらいしか返せない。
「やだわこの子ったら緊張してるのかしら」
母親はさも可笑しそうに笑っていた。
少年はばつの悪さを隠すためにそっぽを向く。
祖母はかかと笑いながら台所へ向かっていった。
この数日後3回忌を終え、残りの夏休みをこの田舎で数日過ごすことにしたが少年は忽然と姿を消してしまう。神隠しだと一時騒然となったが彼には知る由も無かった。