第38話 ファンタジーブレイカー
まったく、無駄な緊張を返して欲しい。
悲しいかな誰も居ない謁見の間の中心で私は独りごちる。
いや、そもそもが自分の失態なので文句を言う相手は最初から居ないんだけど。
魔王もラスボスも中ボスも、オケラだってアメンボだって生きている。
ゲームのキャラとは違い、常に一カ所に配置されていることはない。
プログラムだとか乱数調整だとかの影響下ではなく、自我をもって一個体として普通に生活を送っている。
当たり前だよね、王だからって日がな一日玉座に座り、常にふんぞり返り続けている訳じゃない。
お腹は空くし、トイレにも行きたくなるし、何より暇すぎる。腰やお尻だって痛くなりそうだ。
そもそもこの世界、宰相やら大臣に責務を丸投げし、自分は酒池肉林に溺れるような所謂愚王と呼ばれる者は少ない。
ちゃんと仕事をしているらしい、意外と勤勉だね。
危ない危ない、これではゲーム脳とか言われてしまう。
一時期騒がれたよね、ゲーム脳。
でもさ、検証で落ちものパズルを延々と何時間もプレイさせるのはどうかと思う。
何事もほどほどが一番だって言うのにね。
悪影響だって出るに決まっているじゃないか。
え、ゲームは一日一時間?
知らない言葉ですね。
おっと、何だか話が逸れて行っているようなので修正しよう。
さてさてどうしようか?
といっても、わざわざ魔王城まで来たんだから、このまま帰るという選択肢はない。
せっかくだから少なくとも魔王の顔ぐらい拝んで帰るべきだろう。
私は「クロエ、俺だ! 衛星は使えるか!?」と言わんばかりに携帯情報端末を取り出して操作する。
ディアーナの話では今日は城内に居るらしいので、取り敢えず執務室にでも向かってみるとしよう。
特筆すべきイベントもなく、無事に魔王の執務室の前に立つ。
各所に立つ兵士も四天王たるディアーナなら顔パスだった。
ふっ、やればできる子だよ、私は。
ナビを手にして誇るなって?
いやいや、獣人のメイドさんが尻尾を振って誘惑してくるんだよ?
思わず厨房までついて行きそうになるのが人の業ってものじゃないか。その誘惑を振り切った事は素直に褒めてもらわないと。
などとふさふさの尻尾に一抹の未練を滲ませながら、目の前の扉をノックしようとした瞬間────
「おや、そこに見えるはディアーナ殿ではないですか。こんな場所で出会うとは珍しい」
またしても不意のエンカウント。エンカウント率高くない? さすがは魔王城といったところか。え、違う?
反射的に声の主へと視線が向かうと、今回は耐えられずに思わず後退ってしまう。
だってニルファリスは人形みたいに小さくて愛らしかったが、現在進行形で視界に捉えた声の主が与えてくるインパクトは、それはもう強烈だったよ。
筋肉ダルマ──いや筋肉ゴーレムというべきか──それが第一印象だった。
何から説明すればいいだろう。
まず頭部は完全なスキンヘッド、肌はこんがりと焼けて浅黒く、身に纏った服が今にもはち切れんばかりに伸びるほどに筋骨隆々な巨体。
そしてワンポイントが光る縁のないお洒落メガネ。
もはやボディビルダーってレベルじゃないインテリマッチョが目の前に居た。
もう存在自体が濃すぎて吐きそうだ。
「え、あ、はい、こんにちは?」
思わずキョドってしまう私は悪くない。
「ハハッ、そんな緊張されるな、ディアーナ殿。同じ地位を預かる者同士、もっとフランクにいきましょう。そこで今晩一杯どうですかな? 何でしたらその後、二人で夜の筋トレと洒落込みましょうぞ」
爽やかに白い歯をキラッとさせながら誘ってくる筋肉メン、残念ながら明らかにひと言余計だった。
だが私にはそれ以上に引っ掛かる部分がある。
同じ地位を預かる?
つまり目の前の筋肉メンはディアーナと同じ四天王の一人→まだ会っていない当代の四天王は水将→つまり筋肉メン=ウンディーネ……え?
嘘……え?
確かによく見ると耳の部分にヒレっぽいものが生えているよ。
でもこれはない。
差別偏見は良くないし、単なる先入観だってことは理解しているよ。
でもこれはない。
はいみんなも一緒に。
でもこれはない。
ワンモワセッ!
でもこれはない!
明かされた衝撃の事実に私は絶句するしかなかった。
敢えて言おう、詐欺であると。
もうこれはアレだね。『幻想を破壊する者』の称号を授けても良いだろう。
まさかとは思うけど、今の四天王は各部署から扱いに困った色物を、隔離する名目で集められたんじゃないのかと邪推してしまうね。
「えっと、今夜はちょっと……」
「ハハッ、これはフラれてしまいましたかな、残念残念」
言葉とは裏腹に男から残念感は感じない。
最初からダメ元だったのか、それとも普段から軽い感じのキャラなのか、判断はつかないがしつこいナンパ野郎ではない様子。少しホッとする。
「それで今日は陛下にご用ですかな?」
まあ、王の執務室の前に居るんだから目的は明確だよね。
「ええ、少しご相談したいことが」
うん、嘘は言っていない。
王位の簒奪だって意見を述べ合う分には相談の範疇だ。
決して下克上じゃない。
「ほうほう、ですが間が悪かったですな、ディアーナ殿。陛下はお留守でいらっしゃる。今日は天気も良いですからな、多分中庭に出ておいでなのでしょう」
「あら、そうなのですか? ありがとうございます」
「いやはや、礼には及びませんぞ。そうですな、今度一杯いきましょう」
「か、考えておきますわ」
「ハハッ、では私はこれで」
マッチョな巨体は床を揺らしなが遠ざかっていく。
女好きのお調子者っぽくはあったが悪い男ではなかった。
到底水の精霊には見えないけど。
あれ、あの人の名前なんだったんだろう?
まあいいや、次に向かうとしよう。
このお使いクエストじみた移動も次で最後だと良いんだけど。
魔王城には中庭が二つある。
一つは誰でも利用できる正面から入ってすぐの突き当たり。
もう一つが城の奥、限られた者のみが立ち入りを許された場所。
今回の場合、向かうはもちろん後者だろう。
そこは色取り取りの花が咲き誇る庭園だった。
この北の大地ではまずお目に掛かれない品種を含んでいることからも、丁寧かつ高い技術でよく手入れされている事が窺い知れる。
ただそんな庭園の中心、小さな池の畔に建てられた西洋風東屋の下は、周囲からひどく浮いた光景を生み出していた。
テーブルの上に堆く積まれた書類の山。
その山に埋もれるかのように目的の人物の姿はあった。
ああ、良かった。
ようやくミッションに挑めそうだ。
黒き鎧もマントもなく、少し大きめのシャツに半ズボンと言い表せるであろう丈の短いズボンというラフな格好。
特徴的なのは「鎮まれ、俺の右手よ!」と言わんばかりに、指先から二の腕の半ばまで包帯のような細い布が巻かれた右腕か。
黒い瞳に黒い髪、幼さをふんだんに残す齢十代前半の少年。
その愛らしいショタっ子こそ、『黒き腕の破壊者』の異名を持つ現代の魔王=ラグナ・ジオグランツ、その人である。
「おや、珍しいお客様ですね。これはしっかりとおもてなしをしなきゃいけませんね」
私の存在に気付いた魔王ラグナは書類の束から顔を上げ、そう言って微笑みを浮かべるのだった。




