第15話 冥土
メイドが活躍していたのは、やはりイギリスはヴィクトリア朝だろう。
産業革命と自由貿易によって変化と革新が訪れ、イギリスの国力が最も充実していた時代だ。
しかし根強い階級社会は払拭できず、それどころかより階級に固執し、人々は上流階級に加わることを願った。
その結果、自らの地位を実際のものよりも高く見せる風潮──スノビズムを生み出すに至る。
上流階級のステータスの一つが使用人を雇うことであり、男尊女卑が顕著だった当時、男性使用人よりも極めて賃金の安かった女性使用人、つまりメイドの数が増加したというわけだね。
一般的にメイドと聞けば、家事全般や接客を偏に担っていると思われがちだが、その仕事内容は多種多様であり、実は仕事内容によって細かく分類され、職務に応じたヒエラルキーや階級を持つ独自の社会を構成していたりする。
俗にメイド長と呼ばれるハウスキーパーを筆頭に、主人の身の回りの世話を担当するレディースメイド、接客や客間での給仕を行うメイドの花形パーラーメイド。館の管理や掃除を担うハウスメイド、乳母を補佐して育児室を管理するナーサリーメイド、洗濯場を任されるランドリーメイド。料理人の下で料理を手伝うキッチンメイド、そのさらに下で厨房を整え、洗い場を専門とするスカラリーメイド。裕福ではない家が雇う──世間一般ののメイドのイメージだと思われる──全ての雑務を受け持つメイドオブオールワークスなど。
そして残念なことに現実のメイドは主人=雇用主に雇われた労働者に過ぎず、主人に対して絶対の忠誠心を持ち合わせている者など居ないだろう。金銭契約で結ばれた雇用関係、金の切れ目が縁の切れ目という言葉通りのケースも多々あったに違いない。
日本人がイメージする我欲を捨て、私情を排し、ただ主人を支え使える誇り高きメイド。ご主人様LOVE夜伽ウェルカムなメイド。大剣や長槍、銃火器を巧みに操るメイドは幻想だ。
うん、改めて考えると異常だね。
え、それはお前のような極一部だけだ。日本人全員を一緒にするなって?
くっ……ま、まあそれについてはまた後日議論するとしようか。
しかしロマンを捨ててはいけない。
何故ならばここは異世界だ。
二次元の中にしか存在しない幻想メイドも存在している。
そう、具体的には現在進行形で目の前に。
帝国最強の名は冗談でもなんでもない。
ただ純然たる事実として最強の座に君臨している。
例え表向き最強と目される皇帝直属護衛騎士全員で挑んだとしても、クーネリアを殺すことは出来ないだろう。
それどころか、正直なところ彼女が育てた部下──つまりはメイド達にさえ、完全な形で勝利する事は出来ないに違いない。
騎士達が外敵を制する剣ならば、メイド達侍従は内敵から主を守る盾だ。毒味に関しては解毒魔法の存在が大きいが、咄嗟の事態には最悪その身を盾として凶刃や魔法を受け止める。
だけどただの肉盾で終わらないのが異世界クオリティであり、メイドだって普通に剣を振るし、魔法だって詠唱する。
転移魔法や偽装魔法なんてご都合主義が存在するこの世界、騎士とは違い、寝所の中や湯殿の中にも同行できる彼女達メイドが、高い戦闘力を保持していることは極めて自然な事だった。
中でも鋼の乙女たる最強メイドに導かれ、過酷な調教もとい教育を受けたヴァレンティアの精鋭メイド達は群を抜き、護衛だけでなく夜伽やハニトラを代表とする諜報活動や暗殺を始めとする工作活動もこなすスペシャリストとして国防の一部を担っている。
「お待ちしておりました、アイナ・ベルンゼファード様」
クーネリアが紡ぐのは冷気を孕んだような抑揚のない、それでいて確実にハッキリと届く声。
同時に鋭い眼光に射抜かれ、思わず私は後退りそうになる。
やはりこちらの素性は筒抜けか。
いや、彼女とは顔見知りなのでそれ以前の問題だけど。
「私が来ることを予期していたのかな?」
「はい、我が主もアイナ様のご到着を今か今かと心よりお待ちしていた次第です」
そう言って彼女は一度私から視線を外し、門の内側に居るであろう騎士に向けて開門の指示を下す。
固く閉ざされていた大きな門が音を立てて開いていく。
見えてくる砦の内部には、剣を掲げた餓狼騎士達が、高い練度を示すように乱れなく並んでいた。
威嚇ではなく、純粋な歓迎の挨拶なのか敵意はまるで感じない。むしろ尊敬の籠もった視線すら感じる。多分理由は十中八九目の前の最強メイドだろうね。
「では主の元へご案内いたします。お手数ですが、どうかご同行をお願いいたします」
本当は断りたいところだけど、このまま騎士達の好奇の視線に晒されるのも嫌だったし、ここでゴネても仕方がないので大人しくクーネリアの後に付いて砦の中へ。
ゆらゆらと揺れる彼女の紅い髪に心を奪われながらも、周囲の様子を窺うべく視線を巡らせる。
でも別に罠を警戒している訳じゃない。建物内部に仕掛けられる程度の罠は無視すればいい。周囲一帯ごと虚数空間へ呑み込ませるなんてレベルになると、私ではなく環境にダメージを与えてしまうため、対処しなければならないけれど、そんな大がかりな術式が仕掛けられていれば嫌でも気付くし、仕掛けられている様子はなかった。
気になるのは砦内部の清潔さだ。長年放置されていたにしては汚れや埃がなく、害虫や害獣の気配もない。重要な戦力拠点である以上、定期的にヴァレンティアが保守管理を行っていた可能性もあるが、目の前のメイドさんは何も武力だけが最強という訳ではなく、メイド本来の仕事に関しても最強なので判断は難しい。
クーネリアが本気を出せば、それこそ一夜にして街から全ての汚れが消え去る。もちろんそれは主に害なす存在を含めての話だ。
「しかし、この場所にキミが居るなんて思わなかったよ」
本来ならばヴァレンティアの影の守護者として今も帝都に居るはずのクーネリア、ほんとに予想外と言って良い。
だって厄介レベルで言えば件の皇女様よりも格段に上なんだよ?
「しがないメイドですから、主のお傍こそ私の居場所です」
彼女は淡々と、でもどこか誇らしげに応える。
しがないメイド、クーネリアの口癖だ。
そしてそれは謙遜でも、謙遜を用いた皮肉や嫌みといった類のものでもない。
彼女の真実を知る者と知らぬ者では、その意味は大きく変わってしまう。
しがない=死がない。
側頭部に生える角からも見て分かる通り、彼女は人ではない。ならば魔族なのかといえば似て非なる存在。
彼女の正体、それはかつて過激派の魔族によって召喚され、ヴァレンティア帝国初代皇帝である剣聖と愉快なハーレムメンバー+1(私)によって倒された上位存在=魔神の成れの果てだった。
悪魔や死神が執事をやってたり、アニオリで天使がメイドを務める話もあるんだから、魔神がメイドになっていても何らおかしくはない。この世界の普通の住民は驚いて、腰を抜かすかも知れないけど。
精神体だかアストラル体だか知らないが、肉体を持たず寿命の存在しない魔神には死の概念がない。あるのは忘却による消滅のみ。つまり誰かがその存在を記憶に留め、知覚し、認識している限り己を維持することができるチート存在。
一度召喚されてしまった魔神を消滅させるには、誰の目にも届かない場所に封印し、誰の記憶からも、どんな記録からも消えるまで時間を掛けなければならない。
だけどクーネリアをこの方法で消す事は多分難しい。
だってバグ幼女たる私が居るからね。私自身この身体に寿命が存在するのか理解してないし、老いることのないことから脳細胞が劣化して記憶が消えるなんてことも起きない。もし記憶能力の限界があるとしても、彼女の存在はこの世界でも上位なので古くなったから忘れられるとも思えない。
よって彼女は私が存命している限り、死がないメイドとして存在し続けるだろう。
「なら主というのは第三皇女殿下で間違いないかな?」
「はい、今の我が主はヴァレンティア帝国第三皇女=ラトゼリカ・リーン・ヴァレンティア様です」
「そう……」
敢えての確認の結果に当然の答えが返ってくる。
やはりリーン家の血筋か。
彼女が忠誠を誓うのは国ではなく、あくまでも討伐メンバーの一人だったメルクス・リーンと、その血を最も色濃く受け継ぐ者だけだ。
だからこそ今回の件でクーネリアが最大の障害となるんだよね、はぁ……。
「着きました」
そう言ってクーネリアは立ち止まり、目の前の扉をノックする。
いつの間にか目的地に着いていたようだ。
「我が主、アイナ・ベルンゼファード様をお連れいたしました」
『開いています、どうぞ』
扉越しに聞こえてくる愛らしく穏やかな声。
「どうぞ、お入り下さい。アイナ様のお好きな銘柄の紅茶やお菓子もご用意させていただいております。ごゆるりとお過ごし下さいませ」
「そう、それは楽しみだ」
一礼するクーネリアを横目に、私は意を決して歩みを進める。
ラトゼリカ・リーン・ヴァレンティアが待つ部屋の中へ。
さあ、面倒事を終わらせて我が家に帰ろうじゃないか!
▼
一方その頃、とある魔王城の会議室。
きゅぴーん!
“はっ、メイド服を着ないといけないニャー!(使命感”
「どうかなさいましたか、局長?」
ガタッと音を立て、突然立ち上がった上司に対し、部下は怪訝そうに声を掛けた。
「いえ、何でもありません。続けて下さい」
しかし上司は何事もなかったかのように椅子に座り直し、何食わぬ顔で先を促した。
「そうですか、では魔導砲の収束率改善案についてですが─────」
滞りなく進む会議。
だがその裏で、天の導きにより猫耳メイドエルフが爆誕する……かもしれない。




