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 春子の家を出て、五月の風の吹く中を、愁哉と並んで歩く。

 ゆるやかな坂道は住宅街だ。同じような家のベランダに、たくさんの洗濯物がやさしく揺れている。

 坂道を下って少し歩くと、葵たちの通う美術大学がある。駅はその先。少しずつすれ違う人も増えてくる。

 駅はそんなに大きくはない。東京のはずれの、のどかな駅だ。

 だけど駅前には何軒か、学生が好みそうなおしゃれなカフェや雑貨店、ちょっとした画材店などが並んでいる。

 葵の隣を歩く愁哉は、余計なことを話さなかった。

 「ここが本屋」「ここが画材屋」そう言って、店の前を通り過ぎるだけだ。

 葵もまた、それをうなずいて聞いているだけ。

 男の人と歩くのは苦手だ。だけど愁哉と並んで歩くのは、これで三回目。

 まだ緊張はしていたけれど、嫌な感じはしない。

 腕を組むカップルとすれ違った。入学式の日、愁哉の腕を組んでいた絵里花の姿を思い出す。

 彼女いないって本当なのかな? 聞いてみようかな? でもへんだよね、そんなこと聞いたら。


「葵はさぁ」

 そんなことを思っていた葵の耳に、愁哉の声が聞こえた。

「なんで彼氏いないの?」

「えっ」

「いないんだよな? もちろん」

 もちろんってひどくない? いないのは確かなんだけれど。

「なんでって言われても……別に欲しいと思わないし」

「もしかして男嫌い?」

「嫌いっていうか、苦手……なの。中学生の時、男の子に嫌われちゃってから」

「好きだったの? そいつのこと」

 好き……だったのかな? よくわからない。


 あれは中学二年のバレンタインの季節。クラスの女の子たちで、必ず誰か一人、男の子にチョコをあげようって話になった。

「葵は誰にあげるの?」

「え、私は好きな人、いないし」

「うそぉ、葵は坂田くんのこと好きでしょ? よく坂田くんのこと見てるじゃない」

「よし、決まり! 葵は坂田くんにあげること!」

「え、でも……」

 結局嫌だとは言えずに、みんなに流されるままチョコを作った。

 同じクラスの坂田くんのことは、嫌いではなかった。彼のことをこっそり見ていたのも本当だ。

 いつも元気で、サッカーが上手くて、カッコイイなぁって。

 だけどそれが『好き』なのかどうかはわからなかった。

 バレンタインの当日、友達に背中を押されて、坂田くんにチョコを渡した。坂田くんは男友達に冷やかされながらも、そのチョコを受け取ってくれた。

 だけどその日の放課後、聞いてしまったのだ。

「坂田ー、お前早川からチョコもらったんだって?」

「好きなの? あいつのこと」

 友達の声に答える坂田くんの声。

「まさかぁ。あいつおとなしすぎて、何考えてんかわかんねぇし。そのくせ俺のことチラチラ見て、キモいっつーんだよ」

 教室の中に響く笑い声。彼らが去った後、こっそり教室のゴミ箱で、自分の作ったチョコレートを見つけた。

 好きだったのかな。坂田くんのこと。いまだにそれはわからないけど、もうあんな思いはしたくない。


「あのさぁ、俺から言わせると、その男の方が最低なんだけど」

 今まで誰にも話したことはなかったのに、葵はその話を、全部愁哉に話していた。

「でもまぁ仕方ないか。中学生のガキだったらなぁ。もしかしてそいつ、実はお前のことが好きだった、とかじゃねぇの?」

「それはないよ……そのあと少しして、他の女の子と付き合い始めたから、彼」

 葵はそう言って、小さく息を吐く。

 わかってる。本当はわかってるんだ。いつまでもそんな昔のことに、こだわっているのはヘンだって。

「おかしいよね、私。そんなことにいつまでもこだわってて」

「うん。おかしい。そんなバカな男のせいで、あんたが男嫌いになる必要はない」

「でも私の、こんな後ろ向きな性格は変わらないし」

 あ、また。こういうところがきっと、坂田くんも嫌いだったんだ。


 うつむいたまま日曜日の町を歩く。賑やかな町を歩く人たちは、誰もがみんな楽しそうなのに。

「俺もそうだよ」

 突然の声に顔を上げる。隣の愁哉が前を見つめたままつぶやく。

「俺も過去にばっかこだわって、いつまでも前に進めない情けないやつだから」

「うそ……」

「ほんと」

 そう言って笑った愁哉が、ゆっくりと葵に振り返る。

「こんな自分のこと、時々全部消したくなるほど嫌になる」

 葵は黙って愁哉を見る。もう一度小さく笑った愁哉が、すっと葵から視線をそらす。


 誰もが羨むものをいくつも持っていて、たくさんの人から好かれている人。

 そんな彼が、消したくなるほど自分を憎むのは、どうしてなんだろう。

「愁哉くんには……」

 五月の風の中、葵の声が静かに流れる。

「好きな人が、いるんでしょ?」

 どうしてだかわからないけど、なぜだか今、そう思った。

「その人とは、付き合えないの?」

 答えは求めていなかった。きっとまた、はぐらかされると思ったから。

 だけど葵の耳に、愁哉の声がはっきり聞こえた。

「付き合えないよ。その人にはもう、婚約者がいるから」

 ゆっくりと顔を上げ、隣を歩く愁哉の横顔を見る。

 愁哉はどこか遠くを見つめたまま、ほんの少しだけ口元をゆるませた。

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