7
アトリエで見つけた古い絵を持って、二階へ上がる。
葵の部屋とは廊下を挟んで向かい側にある、愁哉の部屋。もちろんこの部屋に入ったことはないし、近づいたことすらない。
俺の部屋はのぞくなよ――初めて会った日、そう言われたから。
だけど今日、その部屋は少し開いていた。いつもはドアが閉じられているのに。
「愁哉くん?」
廊下に立って名前を呼ぶ。中にいればその声は聞こえるはずなのに、返事はない。
いないのかな? 葵はそっと一歩だけ近づいてみる。開いたドアの隙間から、床に散らばった何枚もの紙が見えた。
「絵だ……」
愁哉くんの描いた絵。もっとよく見たい。この目でちゃんと、誰かから聞いた噂なんかじゃなくて。
「何やってんだよ?」
突然声がかかって、あわてて振り向く。ペットボトルをぶら下げた愁哉が、目の前に立っていた。
冷蔵庫……下のキッチンにいたのかも。上ってくる時、全然気がつかなかった。
「あの、いないのかと思って……」
「のぞくなって言ったろ?」
「のぞいたわけじゃない……」
「あんた、あのデッサン室でものぞいてたんだろ?」
はっと顔を上げて愁哉を見る。愁哉は軽く葵に笑いかけると、すっと体を動かし、開きかけたドアノブに手をかけた。
「やっぱりあの時あそこにいたの、愁哉くんなんじゃ……」
「誰もそんなこと言ってない」
「でもそうなんでしょ? あの時、女の人の絵、描いてた」
ゆっくりと振り返った愁哉が葵のことを見る。その視線があまりにも冷たくて、葵は思わず口を閉じた。
「何だよ、それ」
「え?」
「それ。お前の持ってるやつ」
愁哉の手が伸びて、葵の手からひったくるように、絵の描かれた紙を奪った。
「あ、それ、愁哉くんの描いた絵。春子おばさんが、愁哉くんに渡してって」
「俺の描いた絵?」
愁哉が紙を広げてその絵を見る。そしてすぐにバカにするように笑った。
「こんなの絵じゃない。ガキがただ、絵の具を塗りたくっただけだ」
そう言って持っていた絵を葵の胸に押し付ける。
「破り捨てていいよ。そんなの」
葵は黙って押し返された絵を広げた。そしてひとり言のようにぽつりとつぶやく。
「これ、夜の絵だよね?」
愁哉が葵の顔を見る。
「ここに月を描いたらどうかな? この前私の部屋から見たような、丸い月を」
じっと見つめた青い紙が、愁哉と見上げた月夜に変わる。
「月も星もない夜じゃ、なんだか寂しすぎるもの」
顔を上げると、自分を見ている愁哉と目が合った。突然恥ずかしさがこみあげてきて、葵はあわてて顔をそむける。
「あんたさ……」
愁哉の声にドキンとする。どうしよう。ヘンなこと言ったよね、私。
「今日ヒマ?」
「え?」
「ヒマだよな? 土曜も日曜もいっつも部屋にいるもんな?」
それは……まだ友達もいないし、町もよくわからないし。
「俺が駅前、案内してやるよ。まだ行ったことないんだろ?」
「い、行ったことないけど……でも、そんな……」
「春子さんに頼まれてたんだ。今度一度、葵ちゃんに町を案内してあげてって」
ああ、そうなんだ。そうだよね。そうでもなければ、私を誘う理由なんてない。
「すぐ支度しな。五分後に外で待ってるから」
「ええっ、ちょっと待って……」
愁哉はふっと笑うと自分の部屋に入り、ドアをバタンと閉めた。
からかわれてるのかな……やっぱり。
そんな思いが頭をよぎる。なのにどこかそわそわして、葵はすぐに出かける支度を始めた。