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「うん、今東京駅。これから乗り換えるから、少し遅くなるね」

 春子にそう伝えて電話を切る。

 久しぶりに立つ東京駅のホームは、もう日が暮れたというのに蒸し暑い。人が多いということも、あるのかもしれないけれど。

 静岡も暑かったが、川から吹く風と緑のせいで、コンクリートに囲まれたこの街よりは過ごしやすかった気がする。


 乗り換えた電車の中では眠ってしまった。気がつくと二つ先の駅まで来ていて、あわてて降りて、また戻る。

 一週間ぶりに、やっと小さな駅に着いた時は、もうすっかり暗くなっていた。

 会社帰りの人たちにまぎれて駅から出る。するとそこに、久しぶりに見る姿があった。


「愁哉くん……」

 葵が立ち止まると、音楽プレーヤーをいじっていた愁哉が顔を上げた。そして耳につけていたイヤフォンをはずし、葵のことを見る。

 何やってるんだろう。こんなところで。

 また女の人と待ち合わせでもしているんだろうか。

「お帰り」

「えっ、あっ……ただいま」

「春子さんから、葵ちゃんがもうすぐ着くから迎えに行ってくれって」

 ああ、そういうことか。

「遅かったな」

「あの、寝過ごして二つ先の駅まで行っちゃって……」

「スマホ貸して。春子さんが心配してると困るから電話しとく」

 葵は黙って自分のスマホを差し出す。

 私を心配してくれている春子おばさんのことまで、ちゃんと気にかけてくれているんだ、この人は。

「愁哉くんのスマホは?」

「壊れた」

 ああ、あの夜、愁哉くんがブチ切れて投げ捨てたから。

「修理するのもめんどいから、この際スマホ持つのやめた」

「そ、そうなの?」

「おかげで夏休みは誰からも連絡来なくて、さっぱりしてる」

 葵のスマホを指先でなぞって、愁哉が春子に電話をかける。

 葵はぼんやりと立ち尽くしたまま、そんな愁哉の姿を見つめる。

 誰からも連絡来ないって……彼女とも会っていないのかな。

「夕飯できてるから、早く帰って来いだってさ」

「う、うん」

 愁哉が葵にスマホを渡して歩き始める。葵はそのあとを追いかけるように、少し後ろをついて行く。

 あの夜、あんなことがあったのに、普通に会話している自分たちが不思議だ。


 夜風の吹く坂道。街灯の灯りは頼りなく、今夜の空に月はない。

「こっち来れば?」

 坂道の途中、愁哉が立ち止まって振り返る。

「もうあんなことしないから。そんなに離れてないで、こっち来いよ」

 愁哉の声を、頭の中で繰り返す。

 ――もうあんなことしないから。

 その言葉に、どうしてだか切なくなる。

 私は何かされたいんだろうか、それともされたくないんだろうか。

 二度唇が触れ合った、今、目の前に立つこの人に。


 三歩進んで、愁哉の隣に並ぶ。

 男の人は苦手だったのに。

 ひどいことをされたのに。

 からかわれているだけかもしれないのに。

 私はまた、この人の隣に並ぶんだ。


「反省してんだ、これでも。悪いことしたって……」

 ひとり言のようにつぶやいて、愁哉がゆっくりと歩き出す。

「愁哉くん……」

 葵は小さくその名前を呼ぶ。

 けれど愁哉は何も答えない。ただ黙って、春子の家へと続く坂道をのぼって行くだけだ。

 葵は静かに右手を伸ばした。前を向いて歩く愁哉の手に触れ、その手をそっと握りしめる。

 振り払われたらどうしようかと思った。中学生の頃の、ほろ苦い記憶が頭をよぎる。

 だけど愁哉は振り払わなかった。葵のことを見ないまま、ぽつりと一言つぶやく。

「バカだな……お前」

 ゆるやかな坂道を、二人で手をつないで歩いた。

 握り合った手は温かかったのに、胸の奥はすごく切ない。

 顔を上げ、黒く塗りつぶされたような空を見上げる。

 愁哉くんの描く寂しい夜空に、私が月を描いてあげる。

 輝くような満月でなくていい。折れそうな三日月でも、ぼんやり霞がかかった朧月でもいいから。

 愁哉くんの寂しさを少しでも、私が埋めてあげることができるなら……それだけでいいから。

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