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【箱】短編

その者、勇者に非ず。

作者: FRIDAY

「―――理解できんな」

 ぼそっと、男が呟いた。

 二人の男が対峙している。片や、長身痩躯、ひどく整った顔立ちの男。先の呟きをもらした男だ。

 魔王、と呼ばれる男。

 ただ自然にそこに立っているだけなのに、周囲の全てを圧倒し、屈服する威圧感を持っていた。

 対して、その男と対峙する彼は。

 着古しているらしく色落ちした、もともとは紺色だったであろうパーカーを雑に羽織り、すっかりくたびれて穴だらけになったジーンズを穿いた、そこらにいくらでもいそうな大学生風の男だった。

 探すまでもなく見つかりそうな、特筆するべきところが何もない男。

 そして、人類最後に立つ男。

「全く理解できん。なぜまだ立ち上がる? なぜまだ戦う?」

 心底、本当に理解できないと―――そして、呆れ果てたように、魔王は言う。

「なぜお前は、まだそこに立っている?」

 男は答えない。ただ黙って、咥えた紫煙の行く先を茫洋と目で追っている。

 魔王の痩身には目立った外傷は全くない。しかし、パーカーの男の方は対照的に、全身が傷だらけだった。

 よく見れば致命傷は一つもないことがわかるが、文句なく血まみれだ。パーカーのポケットに突っ込まれた両腕にも長い裂傷がいくつもあるし、首筋、背、脚、納刀されている鞘すらも傷だらけだ。些細なかすり傷から長大な裂傷まで、大小合わせて百は優に越えている。

 既に二人は、一戦といわず、数えきれないほど戦っているのだ。

 延々と。

 単純な現状を見れば、明らかに魔王の優勢だ。男はとっくに傷まみれだが、魔王に手傷はほぼ皆無。

 それなのに、全く戦力は均衡していた。

 一服いれているこの男は。

 何度打ち倒しても立ち上がって来た。

 致命傷は巧妙に避け、一瞬の隙を突こうと虎視眈々と狙い続けている。

 ふあ、と男が煙を吐いた。

 煙は、器用にもドーナツ状に広がって、消える。

 魔王が問う。

「お前はなぜ戦う」

 男は答えない。

「お前はいつまで戦う」

 男は答えない。

「お前はなぜ倒れない」

 男は答えない。

「お前は」

 魔王が、問う。



「お前は―――何のために戦っている」



 男は、また煙を吐いた。

 ただ、ふう、と。

「お前は何を守るために戦っている」

 煙草を咥える。

「お前が守るべきものが、この世界にあるのか」

 吸う。

「お前にとって、この世界は何なのだ」

 吐いた。

 ぶは、と煙を勢いよく吐いた。

 限界まで吸ってすっかり短くなった煙草を捨て、靴裏ですり潰す。それからジーンズの尻ポケットからよれよれになった煙草箱を引っ張り出し、抜き出した一本を咥えると、

「―――吸うか?」

 問われ、魔王は深くため息をついた。それを了承と受け取ったのか、男は魔王へ向けた箱を素早く前後に振った。

 鋭く飛んだ煙草を魔王が宙で掴み取り、口に咥えたのを見て続けてライターを見せるが、魔王は首を浅く振る。魔王が煙草の先端を軽く指で弾くと、音もなく淡い火がともり、煙を上げ始めた。

 男は苦笑して、自分はライターで火をつけるとそれをまたジーンズの尻ポケットに戻した。

 束の間、二人とも煙草を味わう。静寂の中、紫煙が宙を漂い消えていく。

「―――不味いな」

 不意に、苦い表情になった魔王が言った。そうか? と男は苦笑する。慣れちまってるから、わからないな、と。

 また、ぶは、と煙を盛大に撒いた。

「………どうして戦うのか、ね」

 呟き、頼りなく揺れる煙を視線でなぞる。

「お前は、どうしてだと思う?」

「わからないから訊いている」

 即答した魔王に、男は、それもそうか、と笑った。

「………今まで私に挑んできた者は、多かれ少なかれ何かしらの信念のようなものを持っていたように思う。何だかんだと言い分を並べて私に挑み、そして私は例外なく全て潰した」

 不味いと言いながらも煙草は咥えたままに、魔王は続ける。

「しかしお前には何もない」

「……………」

「何も。一切何も、だ。信念も、意志も、正義も、大義名分も、守ろうとするものも、何も。お前はただ戦っているだけだ。―――だが、それでどうして戦える」

「……………」

「世界が滅ぶことが嫌か? 違うだろう。お前は、その程度のことは何とも思っていない。初めからそうだった。ならば、守りたい女でもいるのか? ―――これも否だ」

「そうか?」

 面白がるように、男が初めて応じた。

「世界か女か―――それを天秤にかけるのが、今どきの正義のミカタ様じゃないのか? いや………両方救うのが、今どきか」

「違うさ。少なくとも、今ではな」

 魔王は、視線を男の遥か後方へ向けた。

「始まりは、確かに女だったのかもしれない。だが………今ではもう違う。お前には、守りたい女すらも、もういない」

「生きてはいるぞ」

「お前にはもう関係のない女だろう、あれは」

 男は、答えなかった。

 彼の遥か後方、そこに、一組の男女が横たわっていた。

 男と同じように傷だらけの男と、その男を庇うようにして倒れている女。

 女も、肩から腹にかけて、袈裟切りに傷がある―――だが、二人ともが、確かに呼吸をしており、生きていた。

「将来を誓い合いながら、最後の最後に自分を選ばなかった女と、自分の女を寝取った同朋………お前ではない者を庇った女ともどもお前は助けていたが、なぜだ? 裏切られても、寝返られても、それでも彼らは自分にとって大事な人間たちだと、そう言うのか?」

「………言わねえよ」

 口端を歪めて、男は笑った。

「さすがにそんなことは言わない………言ったらかなりカッコいいけどな、そんな綺麗事。言わないさ。言えない」

「ならば、どうして命を救った? 放っておけば勝手に死んだものを」

「さあなあ。何でなんだろ。―――んー。多分、あれだ。本当にどうでもいいからじゃあねーのかな」

 ふぁー、と煙を吐く。

「餓えた捨て犬見かけたら、パンの一かけらでも分けてやる………とか、そんな心境だよ」

「つい数日前まで世界で最も大切だった相手が、世界よりも優先される程大事だった相手が―――今となっては捨て犬と同義か」

「まーな。ありゃあ我ながら………随分手ひどく裏切られたと思うんだよ」

 ふ、と男は笑った。

「感情なんて、そんなもんさ」

 どんなに深い情も、互いに向き合っていなければ意味がない。

「自分に向いてたと思ってたものが、とっくの昔に方向変わってたっていうんだから………ま、いい面の皮というか、恥ずかしい限りだ」

「ならば、何のために戦う」

 初めの問いを、魔王は繰り返した。

「世界はもとより物の数で無し、恋人ですらもはや過去の遺物。であれば―――お前がそうまでして戦い続ける理由は何だ」

「……………さて、何なんだろう」

 黄昏の空へ、男はゆっくりと煙を吐き出した。

 何か、もっと重いものもともに、吐き出そうというかのように。

「何でなんだろうなあ」

「………わからないのか?」

 眉間にしわを寄せた魔王に対し、男は笑みを向けた。

「不満か?」

「当たり前だ」

「そう言われてもなあ。ないもんはないと言うか」

 と、ああ、それじゃあ、と男は妙案を思いついたというような晴れやかな表情になった。

「わかったぞ。きっとあれだ―――自暴自棄だよ」

「………なに?」

 だからさ、と男は言う。

「自暴自棄。やけっぱち。八つ当たりだよ。カノジョにフラれた腹いせに、ストレス発散がてら世界を救っちゃおうって話」

「………お前」

「その程度で、とか言ってくれるなよ? すげーんだぞ? フラれる瞬間の衝撃は。心底から信じてた相手に手を切られるんだ。目の前で、俺じゃない奴を庇って斬られて、俺じゃない奴の腕の中でこっ恥ずかしいアイの台詞ささやきながら死にやがろうとしてくれたんだ。腹も立つぞ? 俺じゃねーのかよ。お前が頼っていたのは。お前が信じていたのは。一緒にどこまでも行こうとか言ってたのは。ここに来て、ここまで来てそりゃーないぞと。俺じゃなくても言いたくなるだろうさ。そんでもって俺じゃない男の方も、そこで溢れるアイのパワー的な何かを覚醒するかと思ったらこっちも勝手に死にそうになってやがった。ふざけんなよって。俺は蚊帳の外だ、場外だ、場面外だ舞台袖だ。今まで散々一番前で傷だらけになって頑張ってたはずの奴がラストでモブキャラに成り下がってモブだったはずの奴とヒロインが心中でエンディングにスタッフロールまでコンボ決めようとしやがったんだ。そうはいくかっての。ああ、はは、長々とくっちゃべってるうちに本格的に腹立ってきたぞ。どうしてくれるんだよ、なあ?」

 憤る台詞。しかしその表情は全く逆に眉尻の下がった力ない笑みだった。

 まるで、すっかり疲れきったような。

「そんでもって、俺がここでこのまま順当にお前に負けたんなら、まあ順当に世界は終わりだわな。俺もあの二人も世界と一緒にぱ~だ。でもな、もし万が一俺がお前に勝って、世界滅亡を阻止しちまったらどうなるか、予言してやろうか?」

 わざとらしく、さも演技じみた大仰な動作で、男は歌うように言う。

「俺がギリギリでお前に勝って隅っこで虫の息にくたばりかかっている向こうで、実にタイミングよく目を覚ました二人は世界がどういうわけか救われたことに気付くわけだ。で、自分たちが知らないうちにアイのパワーだか何だかで覚醒して魔王をぶっ倒した記憶でもねつ造するんだな。『あれは夢じゃなかったのか?』とか何とかな。何の話だよ夢だっつーの。で、二人で手を取り合って見つめ合い、実に作為的なタイミングで昇って来た朝陽をバックにキッスでキメだな。その後はいよいよエンディングにスタッフロールだ。スタッフ何人いるんだか知らねーけど。エンディングテーマをBGMに奴らのその後とかが静止画で流れる感じで。田舎の一軒家で農家でもやってんじゃないか? 俺と話してた夢だったけどな。んでまあ子だくさんなんじゃねーの? それで晴れて大団円、ハッピーエンドさ―――俺? 初っ端のエンディング前で、画面外でいつの間にやらくたばってるよ。誰にも気づかれることなく、無様に惨めに情けなく。せめて末期の一服とか洒落込もうとしてももう一本も残ってなかったりしてな。素敵でも詩的でも劇的でもなく、音もなく残り香もなく後腐れもなくフェードアウトで退場だよ。それが俺だ」

「………随分とネガティブなんだな」

「まあな」

 言って、男は笑った。喉の奥で鳴るようだった笑い声は、次第に大きくなっていき、いつしか大口を開けて腹の底から笑っていた。

 目尻に笑い涙まで浮かべて、この冷淡な男をして生まれて初めてであろうほど盛大に。

 笑った。

「―――っはっは、いやーすまない、こんなに笑ったのは本当に生まれて初めてだわ。悪かったなあ、散々愚痴聞いてもらって。お陰でかなりすっきりした」

「………そうか」

 魔王の表情は晴れない。対して晴れやかになった男は、ふ、と紫煙を吐くと身構えた。

 右足を前にして半身。左腰に帯刀した鞘に左手を添え、右手で柄を軽く握り、鯉口を切る。

「悪いな、話が随分と長くなった。久々にゆっくり煙草楽しめたけどさ………いやあ、お前って、魔王とか呼ばれてる割りに結構いい奴なんだな」

 魔王は、男をじっと見ていた。眉根は未だに寄せられ、理解できない、という表情をしている。

「本当に、先ほどお前が言ったような末路になって行ったとして………どのみち、お前に平穏な将来はないとして、それでもお前は戦うのか」

「戦うんだろうな」

「何のために」

 魔王は、繰り返す。

 ただ、それだけはどうしても知りたいというように。

「何のために、誰のために。どうしてお前は戦い続ける」

 問いに、男は。

 笑った。

「知らね」

 短く。

「何のためでもなく、誰のためでもない。理由なんてない、意味なんてない、価値なんてない、何にもない」

「死にたいのか」

「かもしれない。でも別にどうでもいい」

「恋人に裏切られるというのは、それほどまでのものか。それほどまでに………自暴自棄になるものなのか」

「さすがに言い過ぎだったなあ。それだけじゃあここまでにはならん。そんなちっぽけなことで死のうと思うほどには俺は弱くない」

「ならばなぜ」

「でも誰かに見限られただけでいろいろとどうでもよくなっちまうくらいには俺は弱い。その誰かが今回はたまたまヒロインだと思ってた相手で、自分が主人公だと勘違いしてただけだ。だからさ―――あんたの問いに、一応それなりの誠意ってもんをもって答えるなら、さっき言った通りだ」

 男は笑う。

 楽しげに、笑う。

「戦う理由なんてない。戦うために理由なんていらない。理由が必要になるくらいなら戦わない。戦う理由なんてのは、綺麗事だけだ」

 刀を、半分まで抜く。

「戦おう、魔王さん………行き着く先は、二つに一つだ。俺が死んで世界が終わるか、俺は死んで世界は続くか」

「………狂っていると思うぞ」

「実は俺もそう思う」

 笑う男に、とうとう魔王も苦笑した。肩から力を抜いて、ふ、と紫煙を吐く。

「わかった。いや、なにもわかってなどいないのだが、わかったこととする………もう何も問うまいよ、勇者―――いや、名もなき英雄か」

「買いかぶり過ぎだ。俺は勇者でも英雄でもないさ。俺は―――残念なモブキャラだ」

 男と魔王は、束の間ともに笑い、紫煙をくゆらせ、



 激突した。





 

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― 新着の感想 ―
[一言] 哲学が弱い。目標のない未熟な者の思想だ。振られた恋人への嫉妬書いてる部分はそれなりに迫力あったが、哲学が浅い。
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