3.
何が理由だったのかは覚えていない。
ただ、そのとき、タルデはマーニャを街道において、1人わきの森に入っていた。狩りでもしようとしたのか、水を探しに行ったのか、どうせそのあたりの理由だとは思うが。とにかく、結構な奥まで森に入り込んでいた。
気付いたときには、そいつはすぐ近くに立っていた。まるで気配もなく、伸ばせば手の届く位置に立っていた。
「!」
驚いたなんてものではないが、どうにか声は出さずにすんだ。それはタルデだけのこだわりで、それでも自分では満足した。
「‥‥はじめまして?」
確かに出会ったことはないはずだ。気配も殺気もまるでなかったが、不気味なことは間違いない。こんな間抜けたことを言ったのは、自分は落ち着いていると錯覚するためだ。飄々と、泰然と、格好良く。そんな人間でありたかったから。
そいつは、無言で、口の端を吊り上げた。
実に対応に困った。
間抜けに棒立ちになったまま、奇怪な笑みを浮かべるそいつと見つめ合っていた。
やがてそいつは不意に、無感動に何の音も気配も予備動作もなく、左手を突き出した。
「‥‥っ!」
左手には剣が握られていた。
まずい、と心底思った。この剣はすぐにでもタルデを殺せる。声を漏らさなかったことはちっぽけな矜持を満足させたけれど、流石に顔は歪んだ。この剣は自分を殺せる。それを握っているそいつは、何の気配もさせていないけれど、きっと何の感慨もなく自分を殺せる気がする。
「‥‥私を殺すのか?」
なるべくなんでもないことのように言いたかったが、無理があった。タルデは勝手に少し傷ついた。それでもなるべく冷静な目でそいつを確認した。感情もまるでないような瞳をしていた。
「それとも殺さない?どっち?」
音もなく剣が引いた。けれども元々気配なんてなかったし、意図なんて読めるはずもなかった。それは攻撃の前段階でもよかったのだ。
動けなかった。そいつが浮かべ続ける笑顔のようなものこそが、抜き身の刃より恐ろしいもののような気がして、目が離せなかった。目を閉じたかった。
そいつは一歩を引いた。
「待っ――‥‥」
言葉がとまった。
「‥‥あ?」
間抜けな声が出て、それから恐怖が体を貫いた。
その左手には剣がなかった。
それは自分の胸に突き刺さっていた。
「‥‥あ」
目でそいつを捜した。すでにそいつは森の中に隠れようとしていた。気配はない。音もない。何の感情も、意思も読み取れない。
痛みがないのが怖かった。
目が合うと、そいつは今度は目を細めることで笑顔にかえた。
急速に視界が暗くなっていく。最後に見たものがあの悪夢のような笑顔であるのが、嫌だった。