第6話 忌色信仰
第6話更新しました!
「闇髪に売る品物なんかひとつもないよ! 帰っとくれ!!」
「うちの店に近寄らないでくれ! 不幸がうつる!」
「すまないがお前さんに売れるものはないのじゃ。早々にこの町から去ってくれ」
目の前でバタンバタンとすごい勢いでドアが閉まっていく。店をどんどん畳まれていく。夢心地で、ドミノ倒しを見ているようだった。
(悪夢心地のほうがいいかもしれないけど)
「お母ちゃん、あのこのかみ…」
「近づいちゃ駄目よ! 不幸がうつるし穢れるわ! さぁ、早く帰りましょう!」
呆然と、目の前で繰り広げられる親子の会話を、ただただ聞く。
♪
数分前、ようやく町に到着。
お腹が背中とくっつきそうなので食べ物を探しに町を散策しようとした矢先。(お金はリュノワールが持っているものを貸してもらうことにした。勿論後できちんと返す予定。)
私たちが通った場所の店は例外なく扉を閉めていくのだ。道端を歩いている親子に何気なく目を向ければ、視線を避けるように身を縮め早足で通り過ぎていき、時には恨みがこもった目で睨まれることも。
会ったばかりの人たちにここまで敵意を向けられるのは初めてだった。何故こういった状況になっているのか、ここまで人にマイナスな感情をぶつけられつづけたことがなく、頭で理解できない。
たった数分で町は閑散と、まるで廃れているような雰囲気になってしまった。今では人ひとり見ることすら叶わない。
「…リュノ、この格好がいけなかった?…」
精一杯のかすれた声で呟く。
布一枚の格好は流石にまずいと思わなかったわけではなく、寧ろ背徳感を感じていたわけなのだが。傍から見ればこの格好はマントに見えなくもない。誰がこの下は真っ裸、だということに気がつくだろうか。
あからさまに町の人に避けられている原因が薄々この格好のことではない、ということは分かっているもののそれ以外に思い当たる理由が見つからなかった。
だから口に出して確認してみたかった。
「アキの所為じゃない。私の不注意だ」
眉根を寄せて不機嫌な表情を露にする彼を見て、不思議に思う。
「不注意?」
「大抵の人間は黒を嫌う。忌色として。…黒は闇、暗、不幸、死などを連想し、良くないものを呼び起こすと人間の間では昔から言われ、恐れられている」
黒は葬式の服装等良くないことに使われている。ただし、黒が嫌われることなんてまずなかった。日本人の髪と目は大方が黒で、黒色というものは普段から身近にあった色でもある。
(でもなんで?)
すれ違った町の人たちの中には黒い服や小物を身につけていた人だって少なくなかった。なぜ髪と目の色はタブーなのか。
私の表情を読み取ったかのように、彼はこう続けた。
「黒が不幸を呼ぶ、というのは後付だ」
「え? どういうこと?」
躊躇う素振りを見せてから瞳を覗き込むように彼が見つめてくる。言ってよいか決めかねている。そんな表情だった。
「…黒の色素を持つ人間は滅多に生まれない。ただし何十年に一人、黒髪の子供が生まれる。そして、その子供が生まれた年には必ずといっていいほど災害が人間を襲った」
災害といってもひとくくりでは言い表せない。大規模な山火事、飢饉、日照りによる水不足、洪水、大嵐、謎の疫病等と次々と挙げていく。
「それから何百年も経ったあるときを境に、黒の色素を持って生まれた子供は災いを呼ぶ、という訳の分からない概念を持ち始め、人間は黒の色素を持って生まれてきた子供を殺すようになった。…たとえそれが自分の生んだ子供であっても」
「…殺、す? 母親が子供を!?」
首が静かに縦に振られるのを見るが、実感がわかない。
昔日本で堕胎が行われていたのは知識として知っている。子を堕ろすために母親は冷たい氷水の中に下半身を浸し続けたり、木の根で子に成るものを掻き出したという。それをつい想像してしまい吐きそうになる。
「…例外というのも居て、殺されなかった子供もいないことはない。だが、そういった子供は一生牢獄という名の部屋から出してもらえず、肉体は顕在していても精神が死んでいったと聞く」
それでは死んでいると同義だ。
生きながらに死んでいる。まるで、生きた死体だ。自分の身に置き換えた想像をして、背筋がゾクッとする。
「あまり気にするな。殺された子供は何を思っても帰ってこない」
知ってる。死者蘇生なんてこの世にはないことを。
分かってる。私の所為で死んでしまったわけではないことを。
でも…
(死んじゃったらもう苦笑しながら朝起こしてくれることも、いってらっしゃいって手を振ってくれることも、出来ない。…もう、してくれない…)
「…アキ?」
「――っ! …あっ、えっと、なんだっけ?」
気がつけば顔を覗き込まれている。
無表情からほんのり心配している気配を察知して、心配させないように笑顔になる。恐らく先ほどの話で思いつめているのではないか、と心配してくれたのだろう。
「…大丈夫か?」
「大丈夫。ありがとう、リュノ」
そう言って笑えば彼は少しだけ表情を和らげて、頭を優しく撫でてくれた。
撫でてもらえていることに和んでいると、どこからかぱたぱたと走ってくる軽い足音が聞こえてくる。
ひとりの男の子、まだ5,6歳くらいだろうか。その男の子が抱えるほどの大きなガラス瓶を両手に持って、こちらに駆け寄ってくる。ガラス瓶にコルクで蓋をしてあるわけではなく、開いた口からはその子が揺れるたびに中に入っている透明の液体が少しずつ零れて道に点々と黒い染みを作っている。
その染みを見て、なぜか背筋がぞわっとなる。
その感覚を圧し殺し、安心させるよう笑みを浮かべて男の子の方を向く。
「どうしたの? 迷子?」
男の子は口を閉じたまま一向に開く気配がない。目もどこか虚ろで、恐れているような雰囲気もある。
(不気味…一体何をしにきたのかな。もしかして私たちに水を持ってきてくれた、とか?)
そんな楽観的な希望を持ったのがそもそもの間違いだと、気がついたときにはもう遅かった。
――バシャアッ
「え…?」
何が起こったのか理解できなかった。
呆然としているとその男の子は幼い表情を醜く歪ませて大声で叫んだ。
「話しかけるなこの悪魔の化身どもめ!! この聖水でも食らえ!!」
―バシャンッ
「…あ」
水。
最近だ。つい昨日のように思い出せる。覚えのあるこのかんじ。体中が濡れて服が張り付く不快な感覚。
「…て」
掠れた声しか出ない。
「……アキ?」
「聖水が効いた!! やっぱりお前は悪魔なんだな! この悪魔! さっさとこの町から立ち去れ!!」
再び身体に降りかかる透明の液体。
「やめて!! …お願い…っ!!」
自分ではどうしようとなく体中の力が抜けてその場に崩れ落ちる。
地面と衝突する前に抱き寄せるようにリュノワールが受け止めてくれていた。
今、目に入っているのは彼の着ている服の色。まるで目を閉じているような感覚に襲われるが、脳裏に焼きついたあの跳ね散る水しぶきが消えることはなかった。見たくないのに、目を閉じていても見える。聞きたくもないのに跳ね踊る水の音が耳に焼きついたように離れてくれない。感じていたくないのにいつまでも体中に感じる水に濡れた不快感。
もう自分でも何がなんだか分からなくなってきてしまった。
「…いや…っ、やだっ…やだよっ…!! 水が、怖いっ」
「アキ!? 落ち着け!! …ほら、水はもうこない。大丈夫。…アキ、落ち着け」
安定している彼の声音。ぎゅっと抱きしめられているのが分かる。
今、彼が何か言った。でもそれは私に向けてじゃない。とても冷たい声だった。それと同時にガラスが割れた音がして、誰かが慌てて走っていく足音がした。そしてふいに頭の上にぬくもりを感じる。
「…アキ…大丈夫だ。…もう大丈夫」
耳に響く優しい彼の声。私を包み込んでくれる温かい体温。視界に入る漆黒の髪。大地を照らす二つの銀色の月。
「…リュノワール…怖い…水は、怖い」
「もう水はない。…安心しろ、アキ。私は、此処にいる」
微笑みを浮かべる。それを見て心底安心してしまうのは何故だろうか。
水のことなんか忘れて、彼の微笑をずっと見つめていたい。見つめていれば、きっと、ずっと安心していられるから。すると急に以前にも感じたような急な眠気が私を襲う。その眠気に抗うことなく、それに従い目を閉じる。
今はこの現実から目を背けられるなら、なんでも良かった。
意識が深く沈んでいくのを感じた。
♪
「すー…すー…」
規則正しい寝息を立てているのを聞くに、取りあえずは一安心して良さそうだ。睡眠をかけたからには安眠していないとおかしいのだが。
それにしても先ほどのアキの取り乱し方は異常だった。どうやら彼女には何か水に対するトラウマがあるようだ。目は虚ろで今にも壊れてしまいそうな表情だった。そんな状態で水、ただその一点を見つめていたのだから。
水に濡れて不快に表情を歪ませている彼女の顔を手で拭ってやると、安心したかのように一瞬微笑んでからまたすっと元の表情に戻っていった。それを見て自然と笑みが零れる。
それから一転して無表情になり、先ほどの少年が走り去っていった方向を怒りの篭った瞳で睨み付ける。足元の影たちがざわざわとこちらの怒りに呼応するように蠢きだす。
(いっそのことこいつらを町に解き放って、ここら一帯なかったことにしてしまおうか。)
潰すか消すか、いやいっそのこと闇に沈ませるか。どんどん黒い思考に染まっていく自分を止めるができない。最近出会った人間に対して、ここまでの感情を抱いている自分に驚きながらも、現状についても考える。
そもそも”復讐”は闇の性分でもある。ここは本能に従って暴れてみるのも悪くないと、歪に口元が歪む。そんなことを考えていると、ふとこちらに接近してくる人間の気配を感じる。
(先ほどのような子供の類だったら…)
冷たい思考が頭を過ぎる。
それから数十秒後、何処からか姿を現したのはフードで顔を隠している怪しい人間であった。急いで走ってきたのか、乱れている息がこの静まりかえった町の中に響いている、異様な光景。
こちらの剣呑な空気に触れたのか、あわてたようにこちらに話しかけてくる。
「あ、安心して下さい。害を加えようとしているわけではありません。もし良かったらうちに来ませんか? その女の子をきちんとしたところで寝かせてあげた方が良いと思うんです。彼女の顔色からして大分疲労しているように思えます」
「…」
(こいつ、何を企んでいる?)
このような周囲の状況の中で異質な空気を醸し出しており、真意を探ろうとするがフードで表情が隠れていて読み取ることが出来ない。こちらが疑っていることがフード越しにでも伝わったのか、慌てて否定するかのように両手を顔の前で振る。
「何かを企んでいるわけじゃありません! …言っても信じてもらえないのかもしれませんが、絶対に危害は加えません。我が神、リクラシニア様に誓って約束は守ります」
「リクラシニア…」
(…異教徒か。忌色崇拝の)
『リクラシニア』
忌色崇拝の宗教団体の名称であり、それと同時に彼らが崇めている神の名でもある。リクラシニアは漆黒の長い美髪を持ち、何事も見透かしてしまうといわれている黒曜石の瞳、そして背中に生えている二対の黒い翼を持つ女神だ。勿論忌色を崇拝しているため国から認可を得ておらず、異教徒扱いで国の弾圧対象とされると聞く。
そんな思想を持つ異教徒らの根城に入ったら、彼女にどんな危険なことが起きるか予想がつかない。
「お前らは何をするか分からん」
「その子の為を思うのならベットに寝かせて休ませたほうが良いかと。それとも何処か他に当でも?」
神域の外に出たのは少し前だが、気まぐれで外出したに過ぎず、心当たりのある場所などない。神域に戻るのにも一人ならともかく、彼女を抱えていくとなると数日はかかる。
一刻も早く彼女を休ませたいという思いから、何も言い返せなかった。
「沈黙は肯定と取ります。着いてきてください」
静かにフードの人間が動き出す。
水を恐れている彼女を濡れたままにしておくわけにもいかない。前を歩いている気味の悪い人物の後を一定の距離を保って歩いていく。
恐らくリクラシニア宗教では、黒髪黒目のアキは非常に貴重な存在であるため、安易に傷つけるようなことはしないと思う反面、何か裏があると勘が告げているのを感じている。警戒するに越したことは無い。
もし少しでも彼女に手を出すような真似をしようものならば、この町を消すことに今度こそ躊躇はしないだろう。
第6話 終わり