7.私の嘘
私たち二人の前に現れた第三者により、澄谷の手から解放された私は、よろめく。
危うく後方へ倒れそうになった私の背中を支えた者がいた。
「おっと」
「あ、ありがと……」
パッと声の主のほうに目を向けると、そこには真面目そうな眼鏡をかけた男子――山内。しかしその瞳に、優しい光は見えない。
「さっきから聞いていたけどさ、澄谷も水上も一旦落ち着けよ」
山内が穏やかな声で言った。
「言っていいことと悪いことがあるだろ、お互いにさ」
私と澄谷は揃って項垂れた。分かっていた、言い過ぎだったということ。澄谷もそうだが、今回悪いのは完全に私だ。部誌という形で書いたものを公表している時点で、それは人に読まれることが前提になっている。なのに私は澄谷が読んだという事実を受け入れるのを拒もうとした。
作家失格だ。
「ごめん、悪かったのは私だよ。澄谷は悪くない」
私は山内にそう言った。
「ごめん」
もう一度澄谷に向き直ってそう呟き、私は踵を返した。まっすぐ自分の下駄箱に向かい、靴を履き替え、足早に学校を出る。
本当に嫌になる。
自分も、澄谷も、書く気力に満ち溢れている山内も。何もかも。
まだ私は、子どもだとも思う。子どもというより、未熟なガキだ。
自分より勝る者を僻んで嫌い、自分の弱みを突かれたら相手を貶し、喧嘩を諫めてくれた友人にさえも辛く当たろうとしてしまう。
それに不安定な精神を表面に出して、親友に心配をかけた。
馬鹿みたい。本当に馬鹿だ。
夢を捨てた私は――自分の好きなものさえ貫けない私は、最悪で最低な弱いガキだ。
「私は……何になれるんだろう」
肩にかけた通学カバンの取っ手を握りしめる。本当に悔しくて、悲しくて、自分への嫌悪感が大きくなりすぎて。
夏の夕暮れの蒸し暑さに、酷くイラつきながら帰路についた。
***
その出来事から一週間が経った。
澄谷とは一言も交わしていない。それどころか、お互い避けているようで廊下ですれ違ったり、偶然に目が合ったりなんてこともなかった。
山内とは部活の事務連絡をすることはあったが、それ以外で接触することは全くなかった。
あの日、私が帰った後、二人は一緒に帰ったのだろうか。何を話したのだろうか。私のことをどう思っただろうか、どう話したのだろうか。考えるだけ無駄だ。おそらく向こうも私に話しかけようとはしないし、私だってまだ言葉を交わしたくはない。
「……あれが澄也海人。直木賞受賞作家、か」
休み時間、バレないようにちらりと澄谷の方を見る。だいぶクラスメイトと打ち解けてきた彼は、周りの友人たちと笑い合っているところだった。あれが天才と呼ばれた最年少受賞者。そう言われても、 おそらく誰も信じないだろう。
改めて手元のスマホで、澄谷について検索をかけてみる。
『新人賞受賞でデビューからの二作目で直木賞。新進気鋭の作家現る』
『人間ドラマの描写が最大の魅力。澄也海人がいる時代』
仰々しいタイトルだと少し思うがこれも真実なのだ。だって、直木賞は例年中堅作家と呼ばれている人たちが受賞するもので、新人の作家の作品だと「この作者の物語をもう一度読んでみたい」という文句で選考から落とされるのだそう。
そんな風潮やしきたりの中、「素晴らしすぎる」という理由で、若手であるにも関わらず――それにその作品がたったの二作目であるのにも関わらず、審査員は彼の作品を選んだ。
澄谷海斗――もとい筆名「澄也海人」の書いたものを、賞に選んだのだ。
「……本、読んでみようかな」
呟く。なんとなく、今なら読めそうな気がした。私の夢が破れた元凶で、数日前に罵り合ってしまった新たなクラスメイト。あの一件で、しばらく彼と関わることはないだろう。だから今なら彼を他人だと思って、知り合うことのなかった遠い世界の住人だと捉えて、読むことができるかもしれない。
ガタッ、と椅子を引いて立ち上がり、私は早紀のもとへ向かう。
「早紀ー」
「お、なに? 詩織」
早紀は自分の机で動画を見ていた。パッと顔を上げ、私の目を覗き込む。
「今日、本屋寄りたいから、一緒に帰れない。ごめんね」
「え、詩織、本屋さん行くの?」
早紀はそう訊き返してきた。
「うん」
私が頷くと、身を乗り出して彼女は言った。
「わたしも行く。一緒にいこ?」
――早紀に、澄谷の本を買っているところを見られてしまう。
そう思ったが彼女の勢いに抗えず、私はまた頷いてしまった。
「うん、一緒に行こうよ」
早紀にはバレずに買えばいい。
***
そうして迎えた放課後。私たちは、町の本屋さんへと向かっていた。
「早紀は買いたい本とか決まってるの?」
私は早紀の隣を歩きながら尋ねる。すると早紀は「うーん」と少し考えてから口を開いた。
「そんなに決まってないかな。でも、雑誌コーナーは見るかも! そうそう、最近おばあちゃんから図書カードもらってさ」
財布の中から、花の写真がデザインされたカードを取り出す早紀。
「そういう詩織は?」
早紀が逆に尋ねてくる。私は心のうちに本音を秘めて、笑顔で返した。
「私も決まってないかも」
――その時だった。
「嘘つき」
早紀がボソリと呟いた。




