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うみのくるしみ【毎日19:10更新】  作者: 咲翔


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6.二人のすれ違い

「お疲れさまでしたー」


 部活が終わり、皆が帰る準備をし始める。


「今日カギ閉めやってくれる人ー」

 部長がパソコン室のカギを、指先に引っ掛けてくるくると回しながら訊く。すると、山内が小さく手を挙げた。

「あ、僕やります。最終下校ぎりぎりまで作業したいんで」

「えー、瑛士くん優しーい! そしてギリまで書くなんてえらーい」

 

 部長がそう言いながら、カギをひょいと投げる。山内はそれを上手くキャッチして、また画面に向かい始めた。


「山内先輩、ありがとうございます!」

 あかりちゃんたち、一年生も山内に頭を下げて、次々とパソコン室を出ていく。部長も一年生に交じって帰っていった。


 広いパソコン室に残されたのは、私と山内だけ。


「あ、じゃあ」

 どことなく気まずくなって、私は山内に声をかける。

「私も先上がるから、カギよろしく」

「あ、うん」

 山内の生返事が返ってきた。よほど集中しているのだろう、こちらを見ようともしない。

 それに少しのうらやましさを覚えながら、私はパソコン室を出て昇降口へ向かった。


 ――そして、その出来事は昇降口近くの廊下で起こることになる。



 夜の六時台とはいえ、夏のこの時間はまだ明るい。天井の蛍光灯は消されているものの、窓から入ってくる外の光で薄明るくなっている廊下を、私は一人で歩いていた。


 下駄箱が見えてくるあたりに差し掛かった、そのとき。


「あれ、水上さん」

 今一番……いや、今に限らず出会ってからずっと聞きたくない声が私の耳に届いた。

「部活、終わったの? 山内くんは……まだ来てないか」


 呟くように言うその人影が、差し込む夕日にほの明るく照らされる。


「澄谷……」


 先ほど部活の途中に山内と話題にしたその張本人――澄谷海斗が立っていたのだった。


「まだ部活には入っていないでしょ? なんでこんな時間まで」

「ああ、山内くんと一緒に帰ろうと思って。でも急に部活が入ったっていうから、待ってた」

「そう」


 もしかしたら部活の前に澄谷と山内が話していたのは、帰る約束のことだったのかもしれない。そんなことを思いながら、私は澄谷の横を通り過ぎようとする。


「じゃあ」


 一応、一緒に屋上で昼ご飯を食べた仲だ。申し訳程度に会釈をして、歩き出す。

 そんな私を呼び止める澄谷の声。


「そうだ、水上さん」


 足を止める。


「なに」

「職員室前に置いてあった、去年の文化祭で出したっていう文芸部の部誌、読んだよ」


 ゾワァッと背中に怖気が走った。振り返って尋ねる。


「読んだ?」


 私の書いたものも入った部誌を……澄谷が?

 そういや職員室前は掲示物や学校からの刊行物をまとめて置いたスペースがあり、そこに毎年文芸部の部誌も一冊入れられているのだ。

 つまり誰でも読めるところに置いてある。山内を待って暇していた澄谷が見つけて読んでもおかしくない。


「うん」

 澄谷が、なんともないように返事をした。

「水上さんのは青春ものの短編だったね。まっすぐで、描写も綺麗ですごく――」


「もう黙って!」


 自分でもびっくりするくらいの大声が出た。棘のある叫びが、廊下の静寂を切り裂く。


「……水上、さん?」

 目の前に立つ澄谷が、戸惑ったように一歩後退りするのが視界に入った。

「黙って、って……」

 首を傾げる澄谷の行動が、さらに私の心に波を立てる。


「分からない? あなたに黙ってって言ってるの。私の書いたものについて、何も言わないで!」

「あ……うん、ごめん。もしかして納得いってない作品だったってこと? それだったら俺も、その気持ち分か」

「分からないわよ!」


 もう止まらなかった。つらつらと言葉を並び立てる目の前の天才高校生作家のことを、酷く嫌悪する自分が確かにいた。この才能の塊なんかに、才能が開花しない……いや、将来開花するはずの才能が存在するかさえ怪しい私の気持ちなんて、一ミリたりとも分かられてたまるか。


「あなたは屋上で、書くことを嫌いって言ったよね。それに、受賞した作品のことも納得いっていないって。私はね、書くことが好きだったの、それに納得いっていない作品だって沢山あるけれど、いつだってその時の自分が納得できるような作品を書こうとしてきた」


 澄谷は黙って私のほうを見てきた。私も睨み返して続ける。


「私は『好きこそものの上手なれ』を信じてきたの。あなたも作家なら、生みの苦しみが分かるでしょ? 創作っていうのは時には大変で苦しいこともある。でもそれをひっくるめて大好きだった。好きでいれば、いつか夢が叶うって思ってきた。でも、あなたは――」


 澄谷海斗、いや――澄也海人は。


「私の理想も夢も書く気力も、全部全部奪っていった。そんな存在だった。作者自身が納得いっていない作品で、すんごい賞受賞して、若くして文壇デビューして。そんな才能の塊みたいなあなたに、私の何が分かるっていうの!? 馬鹿にしているの? 好きでずっと書いてきたくせに、まだ夢を叶えられない私を笑おうとしているの?

 もう私に話しかけないで。あなたの都合なんて知らないけど、なんでこの街に引っ越してきたの」


 最後の一言を、告げる。


「あなたになんか、出会わなければよかった」


 言い終えてから、ハッとした。言い過ぎた、と思った。でも心のどこかで「言ってやったぜ」と満足感を得ている自分がいるのが本当のところだった。


 私の罵倒を最後まで聞き終えた澄谷が、こちらにツカツカと歩み寄ってくる。

「それで言いたいことは終わりか?」


 聞いたことのないような低い声に、思わず足がすくむ。


「俺のこと何も知らないくせに、よくもそんなに言えるよな」


 目の前に立った彼が、私に手を伸ばしてくる。制服のネクタイの結び目をグイッとつかまれ、乱暴に引っ張られた。


「……っ」

 否応なく目が合う。彼の涼しげなまなざしは、絶対零度よりも冷たいんじゃないかと思うほどの光を宿していた。

「なあ、誰が『才能の塊』だって? お前の都合なんざ、俺だって知らねえよ。好きだったら上手になれるだなんて綺麗ごと、いつまで信じてんだよ。世界見渡してみたら、そんな完璧な成功談よりも、上手くいかねえ話のほうが断然多いだろうが!」


 その通りだった。好きでさえいれば、続けてさえいれば、なりたい自分になれるなんて綺麗ごとだ。報われない努力もあるってことは、私だってよく知っているはずなのに。


「おい、なんか言えよ。世界中のみんながみんな、好きなものを極めて、好きなことだけで生きていけたら、この世に不幸なんて生まれないだろ? でも実際は違う。いい加減気づけよ、黙るのはお前のほうだってことにさ……どうせあんな作品を書くお前なんかに、俺のことなんか分かりっこないんだから」


「……何よ、『あんな作品』って――ッ!」


 私が思わずそう言い返したとき。


「おい。二人とも、いい加減やめろよ!」


 その言葉とともに、澄谷のとは別の大きな手が伸びてきて、私のネクタイから澄谷の手を勢いよく外した。



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