5.情熱の線引き
放課後になった。号令が終わった瞬間、私は机の上の教材を急いで通学カバンに詰め込む。
「しーおり! 今日は部活?」
「うん、そう。早紀、ごめん、一緒に帰るのはまた明日ね」
「そっか、じゃあまた明日!」
「うん、またね」
素早く帰る支度をし始めた私を見て、早紀が察して声をかけてくれた。
今朝、後輩のあかりちゃんが私に連絡してきたこと。それは今日の部活についてだった。いつもなら毎週金曜日だけが活動日になるが、今週はそれを水曜にするらしい。
まあ、部活とは言ってもパソコン室にこもって、部員それぞれが創作活動をするだけなのだけど。
足早に教室を出ようとする。その瞬間、視界の端に澄谷の姿が映った。クラスメイトと談笑する彼のいつもの様子を見て、ホッと胸をなでおろす自分がいる。……しかし。
「え……」
思わず足を止めた。
澄谷が話している相手、それは私と同じ文芸部に所属している山内瑛士だったのだから。
「まさか……来る、とかないよね」
誰にも聞こえないくらいの声で呟く。そうだ、山内は澄谷の斜め前の席だったはず。近くの座席の人同士で仲良くなって、しゃべるなんてよくあることだ。山内と澄谷が文芸部の話をしているとは限らないし。
私は今自分が思い浮かべた最悪のシチュエーションを頭から振り払って、パソコン室を目指した。
***
「じゃあ今日の活動を始めまーす、よろしくお願いしまーす」
三年の部長の一声で、文芸部の活動が始まった。この部活には、部長の三年生女子が一人、二年生は私と山内の二人、一年生は朝に私を訪ねてきてくれた坂口あかりちゃんと、あと三人が所属している。合計七人、少ないと言いたいところだが、三学年すべて一クラスしかない少人数学校の文化部としては、十分なほうであった。
私はパソコンを立ち上げ、いつも持ち歩いているUSBメモリを繋げる。ファイルを開き、適当な書きかけの作品をクリック。小説家になる夢は捨てた、それにもう書く気も起きない。だけれど、この人数の少ない部活を辞めることはしのびなく、とりあえず今日は書いているフリをすることに決めたのだ。
カタカタカタ、カタカタ。
静かなパソコン室の中に、皆がキーボードをたたく音だけが響く。秋にある文化祭で文芸部は部誌を出すのだが、今は皆それの準備中だ。三年の部長も、それが終わったら引退するのだろう。
私はぼんやりと自分の書きかけの原稿を見ながら、誤字のチェックをしていた。タイピングは上手くなってきたと思うのに、まだ誤字や脱字がちょこちょことある。
――また間違えている。
カーソルを合わせて、バックスペースを押す。わざと時間をかけて正しい字を入力する。
そのときだった。
「水上」
隣のパソコンで作業していた山内が、こちらを見ずに声を掛けてきた。
「筆、進んでないのか」
山内とはそこまで仲良くない。だけれど部活という組織はすごいものだ。山内と他の話はしないくせに、創作の話となるとお互い踏み込むとこまで踏み込んで語る。
「まあね」
私も同じく山内には目を向けずに答えた。
「スランプってとこかな」
嘘はついていない。澄谷が来るとか来ないとか関係なく、最近は書けていなかったのだから。
「ほんとか、それ」
山内がいつの間にか文字を打ち込む手を止めていた。
「え?」
目が、合う。四角い黒縁の眼鏡をかけた山内が、そのレンズの奥から鋭い眼を覗かせて訊いてくる。
「澄谷と何か関係があるんじゃないのか」
――なんで。
なんで気づいたの、山内。
「どうして」
「僕も同じだからに決まってんだろ」
「え?」
山内の言葉を上手く呑み込めない。私が首を傾げていると、山内がため息をついて続けた。
「水上さぁ、自分だけだと思うなよ。僕は文芸部に入ってから創作活動を始めたひよっ子だけどさ、さすがにおののくよ。同じクラスに直木賞受賞作家が転校してきたら」
「山内も気づいていたの?」
澄谷がクラスに初めて姿を現した時の全体の反応が薄かったから、てっきり気づいているのは私だけだと勘違いしていた。でも、私が騒がなかったように、もしかしたらほかにも気づいたけれど黙っていた人たちもいたのかもしれない。
山内もその一人だったわけだ。
「当たり前。……僕と水上を一緒にしていいかわからないけど、お互いそこそこの情熱をもって書いてるわけだろ。でもなかなか結果ってもんは出ない。それでもあれこれともがいていた、そんな中、物書きにおいてとてつもない才能を持つ奴がクラスに現れた。多少のダメージを受けるのは必然だろ。それで書けなくなってんじゃないのかって」
「すごい、名探偵みたい。全部正解」
私がそう言うと、山内は少し笑った。
「ミステリー好き舐めんなよ。読むだけじゃ飽き足らず、自分で書くようになったマニアなんだからな僕は」
そう、山内が少しふざけた口調で言ったのは、もしかしたら私を元気づけるためだったのではないかという考えが脳裏をよぎる。
「うん、ありがとう」
自然と、感謝の言葉が口をついて出た。
「まあ、お互い様だから」
山内はそう言って、また執筆に戻っていった。すごいな――ダメージを受けるのは必然、と言っていたけれど、山内はまだ「書けない」とまではなっていないのだ。
そこまで考えて、思い出す。山内は理系科目を選択している。そして彼の将来の夢はエンジニアだった――私とは違う。
そんな暗い気分が心を侵していく。
私は作家になりたい。この物書きという行為を、自分の生業にしたい。これで生きていきたい、この方法で社会に認められたいと思っている。
でも、山内は違う。ミステリーマニアの彼は、物書きが好きなのは私と一緒。それでも彼はこれを趣味として生きていくのだ。だから書けなくなっても、夢は壊れないし、生きていける。
彼は「そこそこの情熱」で書いているのかもしれないけれど、私は「そこそこ」なんてもんじゃない。
山内と私は、違う。
本当はそんなこと考えちゃいけないのに。せっかく心配して慰めてくれた部活の仲間に、しかもたった一人しかいない同学年の部員なのに。
私は君とは違うのだと、勝手に線を引く。
本当に、馬鹿みたいだ。自分でも馬鹿だと分かっているのに、それでもその考えは止まらない。
私はまた画面に向き直った。作品を読み返す。誤字を直す、表現を少し変える、その繰り返し。
山内が何百字、何千字と書いていく間に、私はただひたすらに消す、書き換える、ただずっとそれをこなす。
それ以降、私と山内は一言も交わすことなく、部活動の時間は過ぎていった。




