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うみのくるしみ【毎日19:10更新】  作者: 咲翔


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3.天才のこたえ

 沈黙が長く続いた。夏の青空の下、屋上の大きな室外機の横で。私と澄谷海斗は、お互いから目をそらさないまま、ずっと立っていた。


「……どっちの名前、って」

 先に口を開いたのは私だった。

「どういうこと?」


 澄谷海斗は、小さく息をついて言う。

「その前に、座ろうか。食べながら話そう」


 私と彼は、日陰に並んで座った。室外機から離れたためか、お互いの声がよく聞こえる。


「水上さんはさ、知ってたんだよね、俺のこと」

「……うん」

 訊いてきた彼に対して、私は驚くほど素直に答えていた。

「うん、知ってた」

「……だよね」


 彼は感情の読み取れない声音で、そう返した。


「だって、教室に入った瞬間さ、水上さんだけ『は?』みたいな顔してたから」

「うん」


 その通りだ。私が否定せずに頷くと、彼は少し笑った。


「ははっ、否定しないんだ」

「だって、本当に『は?』って思ったんだもの」


 そりゃそうだ。突然の転入生の正体が、直木賞を受賞した高校生作家だったんだから。でも、私にとってはそれだけじゃない。

 たまたまそのニュースを、その前日の夜に知って――あなたとの才能の差を感じて、私は夢を諦めてしまったんだから。

 小説家になるっていう、私の心の拠り所だった夢。

 でも、それはそう思い込んでいただけで、あなたみたいな天才の存在を再認識するだけで砕けてしまうような、脆い夢だった。


「ど田舎で、びっくりしたでしょ」

 私はお弁当の唐揚げをつつきながら聞く。

「直木賞とか芥川賞って、別に文壇に興味なくても常識として知っているものだと思うのよ」

「まあ、うん。俺の住んでたところでは、そうだったかな」

「どこから来たんだっけ」

「東京」

「都会ね」

「と、見せかけて千葉」

「それでも都会よ。私たちにとってはね」


 小さくため息をつく。そう、東京からは程遠い山間の、盆地の中に位置する小さな町の住民からしたら、関東地方というだけで都会なのだ。実際がどうかは知らないけど。


「こんな田舎だからさ、住民間の情報は速いんだけど、それが超ローカルなニュースばかりなわけ。信じられないわよね、権威ある直木賞、受賞したのは最年少の高校二年生よ? それも、つい最近。しかも写真付きでの報道なのに、転入してきたあなたの顔を見ても誰も声を上げない。気づかない。……もっと騒ぎになってもいいのに」


 私がそこまで言い切ると、隣に座る彼は、メロンパンを片手に言葉を失っていた。


「何よ」

 目を見開いてこちらを見てくる彼を、軽くにらむ。

「いや、水上さん、おとなしそうに見えて、よくしゃべる人なんだなって」

「……まあ、なんていうか、悔しいのよ。あなたの凄さを皆が知らないのが」

「それは……うん、ありがとう」

 澄谷海斗は、またあの微笑みを浮かべる。


「俺も正直、期待していたわけじゃないけど、もう少し騒ぎになってもいいかなとは思ったよ」

「そうよね」


 私は目を伏せる。


「……でも、ごめん。私、あなたの凄さを皆が知らないとか言ったけど、実はまだ受賞作読めていないの」


 心を、砕かれたから。才能の眩しさを浴びるのには、もう少しの猶予期間が必要だから。


「ああ、別にいいよ。俺もあれで満足しているわけじゃないし」

「……満足、してないって」

「あ、いいんだ、こっちのことだから。それよりさ、水上さん」

 彼が私の目を覗き込んできた。

「ここがど田舎で、皆が俺のことを知らない事情も分かった。でも水上さんは、知っていた。なんで?」

「それは――」

 脳裏をよぎる、あの夜のこと。ほんの小さな好奇心。手に取ったスマホ。そこからあふれ出た、澄也海人の輝かしい現実。


「べ、別にニュースくらい、スマホでチェックしたっていいじゃない」

「ま、そりゃそうだよね」

 彼は立ち上がった。夏空の下、大きく伸びをしている。

「まあ、皆が俺のことを知らないっていうのも、ある意味良いかもな。普通の高校生活、送れそうだし」

「それはそうかもね」

「あ、そうだ、あと」

「ん?」

「屋上に水上さんが来たとき、俺『やっぱり来ると思ったんだ』って言ったけど」


 ああ。あのとき――なんでわかったんだろう、って。


「ちょっと怖かった」

「だよな。ごめん、あれは朝、水上さんが友達と話しているところを偶然聞いちゃったからなんだ。えっと、あの……」

「篠川早紀のこと?」

「そう、篠川さんだ!」


 彼はポンと手を打った。早紀というと……ああ、なるほど。朝の、食堂でご飯を食べようという話を聞かれていたのだ。それで、私が一人で弁当を食べることを知って、屋上で待っていたというわけか。


「でも、私が屋上で食べるってこと、よく予測できたね」

「まあ、昼休みの教室って騒がしいものだし……水上さんって、静かなところを好みそうな感じしたから」

「言葉を交わさないうちから、私のことが分かっていたってこと?」

「まあ、わかっていたっていうよりは……ほんと、憶測の範疇(はんちゅう)は出なかったけどね。そうなのかなとは、少し思ってた」


 私は思わず彼を見上げた。彼の、はかなげで涼しい眼差し。そこに秘められているのは、彼なりに世界を見て理解する力。人間を観察して、どんな人なのか、どんな言動をするのか、どんな行動をするのか――それを予測する才能。

 登場人物の造詣とか、世界観の掘り下げに、役立ちそうな能力だ。

 無意識的にその考えに行きつく私は、やはり彼に嫉妬してしまっているのだろうか。


「ねえ」

 不意に、言葉が口をついた。

「あなた」


「『あなた』じゃない。澄谷。もしくは海斗」


「ごめん、澄谷」

 

 私は言い直して、衝動に任せて聞いた。


「澄谷はさ、書くこと、好き?」


 一瞬の沈黙。澄谷は私の方を見ずに答えた。


「嫌いだよ」


「……え?」


 その冷徹な声に、私が息を呑んだその時。

 キーンコーンカーンコーン。キーンコーンカーンコーン。

 昼休みの終わりを告げる予鈴が、無機質に響いた。


「あ、もうすぐ昼休み終わっちゃうね。早く教室戻らないと授業始まる」

「そ、そうだね。急ごう」


 素早くお弁当箱を片付けて、私は立ち上がる。澄谷の、華奢でいて意外と大きな背中を追いかけ、教室へ向かう。



 書くこと、好き?――「嫌いだよ」



 あの冷たい返事は、澄谷が発したものなのだろうか。それとも、澄也海人が言ったのだろうか。

 答えの出ないまま、その日は過ぎて行った。



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