10.放課後の出来事
次の日、私はいつもより早く登校した。澄谷が学校へ来る時間はあまり決まっていない。だからこそ来たらすぐ捕まえて、謝りたかった。しかしいくら待っても彼は来なかった。
始業のチャイムが鳴り、数学の授業が始まる。しかし澄谷の姿は見えなかった。一時間目も、二時間目も、その次も、昼休みにも来なかった。
そしてあっという間に一日が経ち、気づけば最後の六時間目終了のチャイムの無機質な音が教室に響いていた。
「ありがとうございましたー」
号令とともに、放課後が始まる。私は真っ先にある場所へ向かった。それは、山内の席――。
「山内!」
教室の喧騒の中、突然名前を呼ばれた山内は眼鏡の位置を直しながら振り向いた。
「……水上?」
「山内、その……あのときはごめん。喧嘩止めてくれてありがとう。ほんとに、私が悪かった」
山内はしばらくキョトンとしていたが、やがて「ああ」と頷いた。
「別に気にしてないよ。ところでどうしたの」
彼はいつもの冷静で射貫くような目線を私に向けてきた。
「ほかに何か聞きたそうにしている」
さすが山内。彼の洞察力には頭が下がる。私は迷わずその問いを口にした。
「澄谷は今日休み?」
「あー、僕も心配になってメッセージ送ったんだけど既読つかなくて」
「じゃあ」
私は山内の方へ一歩踏み出してさらに尋ねた。
「澄谷どこに住んでいるかわかる!?」
「え!?」
困惑する山内。当然だ、私だって突然こんな勢いで早紀の住所を聞かれたら怪訝な顔をするだろう。
しかし今は、ただ澄谷に会いたかった。
彼に会って、それで、謝って――話をするのだ。
「お願いだから、知ってるなら教えて!」
「いいけど」
山内がその目じりをピクリと動かした。
「水上、まさか読んだのか?」
――その質問には答えない。そう聞くってことは、きっと山内も気づいているのだ。
あの物語が、澄谷自身の物語であることに。
私はまっすぐに山内の目を見つめる。すると彼の方が、諦めたように目を伏せため息をついた。
「わかった。澄谷は四才橋の近くのアパートに住んでいる。学校から見て川向こうだな」
「了解、ありがとう」
私は答えを山内から聞き出すやいなや、踵を返して走り出した。
「あ、ちょ、待て!」
山内も急いで通学カバンを背負い、追ってくる。廊下で追い付いてきた山内が、隣から話しかけてくる。
「おい、本当に澄谷の家まで行くつもりなのか?」
「山内も来るの?」
私が眉をひそめてそう尋ねると、彼はグッど親指を突き出してきた。
「こちらには欠席者にプリントを届けるという大義名分がありますのでね。ただのクラスメイト女子が男子の家に押し掛けるという口実よりはよっぽどマシかと」
そう言われると、黙るしかなかった。山内の言い方もあると思うが、それだけ聞くと私が今からしようとしていることはとてつもなく怪しい行為に思われる。
「……まあ、一緒に居てくれると助かるかも」
私たちは大急ぎで靴を履き替え、そのまま走る。
「四才橋なら裏門の方が近い」
「おっけー、裏門に回ろう」
幸い、長距離走は得意な方だった。山内の方が本当は速いはずだが、速度は合わせてくれているようだ。二人で学校を飛び出し、ただひたすら走る。
「水上、澄谷に会ってどうするつもりなんだ?」
山内の問いに対して考えながら、私は今やるべきことを整理する。
「まず、山内に謝ったみたいに澄谷にもちゃんとあの時の謝罪をしたいの」
「でもあれは、あいつも悪かったんじゃないのか?」
「澄谷が私の作品についてなんか言ってきたことでしょ?」
「そう」
私はあの日のことを思い出す。
怒った澄谷の一言――「あんな作品を書くお前なんかに、俺のことなんか分かりっこない」。
あの時の私は、これに対してまた声を荒げたんだった。
「あんな作品ってなんだよ」、と。
しかし、今なら分かる気がする。
澄谷が読んだ私の作品は、職員室前に置いてあった部誌のものだけ。
書いたのは、家族愛からめた青春物語だったはずだ。ハッピーエンドで終わる、終始温かくて優しい物語。
「確かに、あんな作品を書く……いや、書ける私には、澄谷のこときっとちゃんと分かってあげられないのかもしれない。澄谷の言う通りだったんだよ。私は幸運なことに温かい家族しか知らないから」
その代わり、澄谷海斗はきっと、私のあの作品のようなものは書けないのだろう。
もし書けたとしても、それは経験に沿わない空想のものを描写したということだ。
だからあの時、彼は私を褒めてくれたのだ、良い作品だったと。
私はそれを皮肉だと取ってしまった。その捉え違いがすれ違いの始まりだった。
「だから伝えに行くの、それを。ごめんねって……。それと」
「それと?」
私は首を傾げる山内に答えようと口を開きかけたが、少し迷って閉じる。そして息をついて言った。
「ううん、やっぱり山内と澄谷どちらにもいっぺんに伝えるね」
「そっか。楽しみにしておくよ。
それはそうと四才橋が見えてきたね。確か澄谷ん家は……あれだ」
山内の指さす先には、ベージュ色の壁が特徴の三階建てほどのアパート。
「澄谷は確か二階の端に住んでいたはず」
「ありがとう。外階段から登ろう」
二人して階段を駆け上る。建物の角を曲がり、一番奥の部屋へと歩く。
――と、その時だった。
バタンッ、と大きな音と同時に私たちが目指していた奥の部屋の扉が勢いよく開けられた。
「出てけ! もう来んな、まじでさ!」
こちらまで響いてくる、青年の声。
「澄谷……?」
横で山内が呟く。
驚く暇もなく、今度はその開け放たれたドアから一人の人影が出てきた。
「うみこそこんなド田舎に住んでいないで、私と一緒に暮らしましょ? また楽しく三人で、ね?」
その人影は女だった。ひざ丈ほどのスカートを履き大きな帽子を被ったオシャレな女性で、彼女はドアの中へ向かって猫なで声とも形容できる優しい声で語り掛ける。
しかし、それに対する青年の声は鋭く尖っていた。
「ふざけんな、誰が一緒に暮らすか! 帰れ!」
「うみ!」
「もうそう呼ぶな、くそ野郎! 帰れ!」
がちゃんっ!女性を締め出すように、乱暴に扉が閉められた。
「こら! 海斗! 開けなさい!? 親の頼みが聞けないっていうの!?」
ダンダンダン、ダンダンダン!
女性は少しおかしくなったように、その扉をたたき続ける。
海斗――澄谷の下の名前だ。やはりここは彼の部屋、それにこの女の人はきっと――。
私がそこまで考えたときだった。
「あら」
ようやく女性の方が、自身に向けられている視線に気づいたのだ。
「あなたたちは、海斗のお友達?」
ねっとりとした甘い声。女性がこちらを向き、問うてくる。
「はい、そうですが」
山内がスッと私の前を遮るように立って答えた。
「澄谷くんにプリントを届けに来たんです。それで」
山内が声を低くして尋ねた。
「あなたは誰ですか?」




