第15章 風の宿り木
第15章 風の宿り木
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昼の光は柔らかく、砂丘の稜線を金色に照らしていた。
忘却の都を出てから十日。風は穏やかで、砂はまだ熱を持たない。
フィーゼは布の端を押さえながら笑った。
「リオくん、ほら、蜃気楼。見える?」
「……ああ。あれが次の村か?」
「たぶん。水の音が聞こえる気がする。」
二人が辿り着いたのは、小さなオアシスの村だった。
椰子の木に囲まれた泉。その上を風が渡るたび、水面に光の筋が浮かぶ。
その光の形が、ふと、誰かの横顔のように見えた。
――アリア。
リオの胸に、淡い声がよぎる。
それは懐かしい祈りの響きだった。
『風の音は、願いの余白を運ぶの。
届かない想いも、風が繋げてくれる。』
あの塔で聞いた最後の言葉。
風が、まるで彼女の声を引き継いでいるようだった。
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村人たちは穏やかで、人懐っこかった。
年配の男が笑って言う。
「旅人か。ここでは“風に祈る”んだ。
風はみんなの声を運ぶ。誰かを想う声を。」
フィーゼが微笑む。「素敵な祈り方ですね。」
リオはその会話の中に、またアリアの声を感じていた。
――祈りは、誰かの中に生き続けるもの。
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その日の夕方。
井戸のそばで子どもたちが騒いでいた。
「水が出ない!」「また詰まったー!」
リオが近づき、石の蓋を外して覗き込む。
砂が管を塞いでいた。
「バルブが逆圧で閉じてるな……」
リオが手を動かすたび、フィーゼの頬に光が反射する。
その光の揺らぎが、一瞬、アリアの瞳の色に重なった。
『ねえ、リオ。
“祈る”って、願うことじゃないの。
信じて動くことだよ。』
心の奥で、彼女の声がやさしく響く。
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夜。
焚き火の音が静かに続く。
村人たちは歌い、風の笛が空へと響いていた。
フィーゼが小声で言う。
「この音、クロくんがいたら、“風も祈りだな”って言うよね。」
「……あいつなら、“風の中で寝られそうだ”って言うな。」
二人の笑い声のあと、風が吹く。
その中に、かすかに女の声が混じった。
『ふたりとも……ちゃんと笑って。
風が、見てるから。』
リオは顔を上げたが、そこには星しかなかった。
ただ、風が頬をなでていく。
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翌朝。
丘の上の“風の宿り木”が鳴っていた。
枝の音が鈴のように響き、フィーゼはそっと手を合わせた。
「この音……アリアさんの声みたい。」
リオは小さく頷く。
「風の中で祈り続けてるんだろうな。
俺たちが進む限り、きっと――聞いてる。」
その瞬間、風が優しく二人の間を抜けた。
音が、確かに微笑んだように聞こえた。
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旅立ちの朝、村人たちはパンと果実を渡してくれた。
フィーゼは笑いながら礼を言う。
「風の道で、また会えますように。」
長老が答える。
「祈りは風と同じ。忘れても、戻ってくる。」
リオは空を見上げた。
どこまでも澄んだ空。
その奥で、金色の風がゆっくり流れていた。




