第13章 忘却の都
第13章 忘却の都
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風が乾いていた。
砂が陽光を反射し、遠くの空まで白く霞んでいる。
昼と夜の境目が曖昧な土地――そこに、“忘却の都”はあった。
白い石の街は、音を失っていた。
祈りの鐘もなく、鳥の声もない。
ただ砂が塔を撫でる音だけが、時間の代わりに流れている。
「ここが……“忘却の都”か。」
リオは目を細めて呟いた。
その隣で、フィーゼが布の頭巾を押さえながら、
かすかに笑う。
「不思議だね。
怖いようで……でも、落ち着く。」
「祈りが薄い土地だからな。
“痛み”も“願い”も、眠ってるのかもしれない。」
二人はゆっくり街へ歩を進めた。
クロとルカが南の灯の村へ向かってから、もう十日。
仲間の気配がない静けさは、どこか胸に穴をあけていた。
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宿に入ると、無言の老婦人が部屋の鍵を渡してきた。
言葉も微笑みもない。ただ静かに頷いて去っていく。
部屋の中もまた、何も“記録”がない。
壁に絵もなく、鏡もない。
まるで、この街の人々は「自分の姿を覚えたくない」かのようだった。
夜、ランプの灯の中で、リオがぽつりと呟く。
「……クロたち、無事かな。」
フィーゼは窓辺から振り返った。
「きっと大丈夫。クロくん、ああ見えて優しいし。
ティリちゃんも、もう泣かないって言ってた。」
その名前を聞いた瞬間、胸が温かくなった。
塔の瓦礫の下で見た、小さな手。
あの時、確かに“祈り”は再び灯った。
「俺……あの子たちを助けたとき、
やっと“祈り”が人の形になるってわかった気がした。」
フィーゼが微笑む。
「うん。リオくんの祈りは、いつも“生きたい”って声に似てる。
優しくて、少し寂しい。」
ランプの火が揺れ、壁に二人の影が重なる。
それは、ひとつの祈りの形のように見えた。
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翌朝。
街の中央で、市場らしき広場を見つけた。
けれど、並んでいるのは食べ物でも衣でもない。
――「記憶の欠片」。
小瓶の中に光る砂が揺れ、それぞれの瓶に“忘れたいこと”と刻まれている。
“失恋”“家族の死”“戦争の記憶”。
リオがひとつ手に取ると、売り子の少年が静かに言った。
「それを持てば、痛みは消えます。
でも同じ分だけ、“祈る力”も失います。」
リオは瓶を置いた。
「……忘れない。
それを持つくらいなら、痛みを抱えて生きる。」
少年は無表情のまま、ただ頷いた。
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その日の夕刻、街の外れの井戸に光が揺れているのを見つけた。
フィーゼが耳を澄ます。
「……声がする。」
井戸の底から、微かなささやき。
それは水音ではなく、誰かの“祈りの残響”だった。
『――忘れることは、救いか? それとも……逃避か?』
その声に、リオは息を呑む。
どこかで聞いた声。
あの“祈祷王”の声だった。
『暁の継承者よ……
私はまだ、祈りの底で見ている。
忘れることでしか癒せぬ者がいるなら、どうか責めないでくれ。
彼らは、私と同じ過ちを犯さぬために眠っているのだ……』
声が消える。
井戸の水面に波紋が広がり、月光を反射した。
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夜。
宿の屋上で、二人は星を見上げた。
砂漠の夜は静かで、星が近い。
「ねえ、リオくん。
もし……“祈りを忘れる”ことで誰かが救われるなら、
それも、悪くないのかもしれないね。」
リオは少し考え、ゆっくり首を振った。
「それは“祈りの終わり”だ。
俺たちが誰かを想うのは、忘れないためだと思う。
忘れたら、同じ痛みをもう一度繰り返す。」
フィーゼは微笑んで頷く。
「……クロくんなら、そう言うね。
“忘れるくらいなら、痛みを抱いて笑え”って。」
風が吹く。
乾いた砂が二人の頬をかすめる。
その冷たさに、リオはふと呟いた。
「……会いたいな。」
フィーゼは静かに目を閉じ、
掌を合わせた。
「クロくんたちが無事でありますように――」
その祈りの言葉が夜空に溶け、
一瞬だけ、星が流れた。
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翌朝、二人は街を発とうとした。
通りの角で、小さな影が立っている。
昨日の売り子の少年だった。
「お兄さんたち……これ、渡したい。」
差し出されたのは、小さなガラスの欠片。
中で金の光が淡く揺れている。
「それ、何の記憶?」
「“祈りを見た記憶”です。
この街では、誰も祈りを知らない。
でも、あなたたちを見て……
“祈りって、消せないんだ”って思った。」
少年の瞳は静かだったが、確かに“熱”があった。
リオはその欠片を受け取り、胸にしまった。
「ありがとう。
君の祈り、預かる。」
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砂丘を越える道を歩きながら、
フィーゼがそっと口を開いた。
「ねえ、リオくん。
この光……どこかで見た気がする。」
「……塔で。
子どもたちの胸の光と、同じだ。」
二人は顔を見合わせ、笑った。
「忘却の都でも、祈りは消えなかったね。」
「祈りは、人がいる限り、必ずどこかに灯る。」
リオが空を見上げる。
その先にあるのは、遥か西――
そしてそのさらに向こう、“記憶の海”。
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風の音の中に、かすかに聞こえる声があった。
クロの声だ。
「おい、リオ。……ちゃんと生きてるか?」
まるで風が運んできたようなその響きに、
リオは笑みをこぼした。
「……ああ。
ちゃんと、生きてる。」




