義妹を虐めた私の行く末
「ルデア・ラディエット公爵令嬢! お前との婚約を破棄する!」
王宮で開かれた宴席の中央で。
声を張り上げて、婚約相手のロッシュがわたくしを名指ししてきた。嫡男とはいえ伯爵家の身で、わたくしを"お前"呼ばわり。さらに婚約破棄。
とんでもない発言内容に驚いて、ワイングラスを持ったまま立ち尽くし、ロッシュを見つめた。
彼は勝ち誇ったように、わたくしに向かって嘲笑う。
片腕にわたくしの従姉、ベリエッタを侍らせながら。
「ベリエッタから聞いたぞ、ルデア。お前はかつて、義理の妹を苛め抜いて、屋敷から追い出したそうじゃないか」
「……?」
(アシュリーのことを、言っているのかしら)
幼き日に、わずかな期間、ともに過ごしたわたくしの義妹アシュリー。
その話題をなぜ、今この場で取り上げるの?
意図を読もうと、わたくしは表情を引き締めた。
周りの人々はざわめきながらこちらの様子を窺い、注目を浴びたロッシュはお酒より視線に酔った様子で、目を細めている。
「"完璧な淑女"などと呼ばれる裏側で、とんだ悪女だ! お前は義妹のパンを取り上げ、ドレスを剥ぎ取り、彼女宛の贈り物を奪って、非道の限りを尽くしたそうじゃないか!」
(とても、思い当たるわ)
情報の出どころはベリエッタと言ったわね。我が従姉殿には、行儀見習いを兼ね、メイドとしてウチで従事していた期間があった。その時にわたくしとアシュリーの関係を見ていたと言うわけ?
……守秘義務はどうなったのよ。
ベリエッタは伯父の娘。本来なら公爵家はベリエッタの父が継ぐはずだったのに、長男の彼は放蕩が過ぎて勘当、お情けで準男爵となった。ベリエッタにはわたくしに対するやっかみがある。
(わたくしを貶めて婚約者を奪い、あわよくば自分が伯爵夫人に、というところかしら。わたくしに恥をかかせられるし、一石二鳥ね?)
ロッシュの横でニヤニヤと口元を歪める品のなさに、彼女の魂胆が透けて見える。
だけど確かにわたくしは、義妹を虐めていたわ。
わたくしは、数年前の記憶を手繰り寄せる。
◇
「理由あって預かることになった」
領地に構える公爵邸に、ある日父様が、ひとりの子どもを連れて来た。
父の陰に隠れた、わたくしより一歳下のその子の名は、アシュリーと言った。
ボサボサの髪に、丈の合ってないボロボロの服。疲れ果てたような表情は暗く、せっかくの黄金色の瞳を陰らせていた。
けれど使用人たちの手で清潔に整えれば、見違えるように光り輝いて。フリルとレースのスカートがよく似合う、生まれながらの貴族令嬢そのものだった。
間違いなくアシュリーの顔立ちは、貴人の血を受けたもの。
(これは……! 父様の"不義の子"というやつなのでは?! だって"わたくしの妹として暮らす"って、そういうことよね?)
日頃、市井の娯楽小説をこっそり読んでいたわたくしは、ピンと来た。
アシュリーはきっと、父様が外で作った隠し子だ。
物語では貴族のドロッドロな、あるいは冷めた夫婦関係の夫が、腹違いのきょうだいを家に入れ、そこから子ども同士の陰湿で凄惨な冷戦がはじまる。
(なんて子を……、連れて来たんですの? 父様)
用心しなければ。跡目争いで、正妻の子が愛人の子に追いやられたりすると聞くもの。
わたくしは正妻の子。
義妹なんかにみすみすやられたりなんかしない!
(ここは先手必勝でいきましょう。マナーも勉強も、わたくしの方が進んでるもの。付け入る隙は与えなくてよ!)
かくして当時七歳のわたくしは、アシュリーが粗相をするたびに、正しい方法を示して、彼女との差を見せつけた。
しばらくするとアシュリーは……、そんなわたくしの後をぴょこぴょこついてくる、子ガモみたいな妹に育った。
(? 思ってたのと違うわね)
首をかしげてアシュリーを見れば、嬉しそうな笑みを返してくる。
(ダメダメ、アシュリーの作戦かも知れないわ。わたくしは絆されないんだから)
わたくしの後をついて回るくせに、アシュリーは他人を頼らない性格だった。
困ったこと、弱っている姿、そういったものを隠してしまう癖があると気づいたのは、ある時、夕食も済んだ夜遅く。
喉が渇いたわたくしは、使用人を起こすのも憚られて、ひとり厨房に向かった。
そこで小さな背を見たのだ。
厨房の隅で隠れるように彼女が口にしていたのは、何日も前の、カチカチに固い残り物。
わたくしは慌ててアシュリーからパンを取り上げた。アシュリーの歯が欠けてしまうわ!
「どうしてこんな固いパンをひとりで齧ってるの?!」
問い質したあと、ハッと気づく。
アシュリーとは基本同じ食卓についていない。彼女の食事事情は知らなかったけれど、まさか使用人に侮られて、満足に食べれてない?
「これを食べるのはやめなさい! すぐに誰かを呼んで、何か作らせるから!」
わたくしの剣幕に目を丸くしながらも、アシュリーはおずおずと反対してきた。
「でももう皆さん寝てる時間なので……。食べ損ねた私が悪いんです。厨房の火が落ちた後ですし、私はこれで十分です」
「良いわけないわ! 使用人たちの嫌がらせね?」
仮にアシュリーが平民との間に出来た不義の子だったとしても、ラディエントの家族として引き取られた者に対し、不当な扱いは許されない。
使用人たちの行動にカッとなったけれど。
同時に反省もした。
わたくしにも原因の一端がある。
(父様はお仕事がお忙しくて、王都から滅多に帰ってこない。母様がお亡くなりになった今、領地の屋敷の最高位はわたくし。そのわたくしがアシュリーを軽んじたから、この子がこんな目に遭っているのだわ)
なんてこと。原因の一端どころか、わたくしが原因そのものじゃないの。
わたくしは明日から態度を改めて、使用人にもよく言い聞かせることにして。
その場はアシュリーに、夜食を作ってやることにした。
初めて作った野菜煮は……、わたくしの想像した出来とかけ離れた見た目と味だったけど、アシュリーは喜んで食べてくれた。
食べてる姿があまりに可愛くて。わたくしは毎食、アシュリーと一緒に食事することにした。
(あれは確かに……嫌がらせと言われれば、言い訳出来ないわね。使用人はわたくしにおもねったわけだし)
その上パンを取り上げたことは事実だし、不格好な固い野菜を無理やり食べさせた。
(他にロッシュは何て言ったかしら。ええとドレスも……? 剥ぎ取ったわね、覚えてる)
数か月も経ってアシュリーが屋敷に馴染んだ頃。
袖からのぞく腕に、青アザがあったことがある。
「何これ、どうしたの? まさか、誰かに折檻されているの?」
わたくしは慌てた。
使用人たちには徹底して、アシュリーを丁寧に扱うように言ってある。
正妻の子と愛人の子の跡目争いはどうしたかって?
うっかりしてたけど、わたくしには寄宿学校に行っている兄様がいたから。
公爵家の長男、次男、三男が健在な以上、わたくしとアシュリーが跡目を争うなんてありえないと気づいたの。
ええ、そうよ、兄が三人もいるもの。この先妹に後継者の座が回ってくる確率は低い。
かくしてわたくしは、子ガモなアシュリーの世話を楽しむまでになっていた。
だからこの子に手を出すなんて、許さない!
目をつり上げたわたくしに、アシュリーが急いでアザを隠す。
「違います、義姉様、これは剣術の稽古でついた跡です」
「剣術? どうして? お前が剣術を習っているというの?」
アシュリーはおかしなことを言う。
「剣術は淑女のカリキュラムじゃないわ。男の子が学ぶものだもの。見え透いた嘘をついてもバレるのよ」
「嘘じゃありません、義姉様。でも打ち身はここだけで、アザもこの部分だけなので、ご心配には及びません」
言いながら、二歩三歩と後ずさるアシュリー。
(この子、絶対何か隠してる。まさか他にも酷いアザがあるんじゃ……)
すぐに我慢してしまう子だ。早く治療しないと。
「そんなに言うなら、全身を見せてみなさい──!」
姉としての強権をかざしたわたくしは、義妹の服を剥ぎ取った。
(……あの時、わたくしは必死で抵抗するアシュリーを剥いたわ……)
遠い目をして、当時を思い出す。
(そして最後は"アシュリー宛の贈り物を奪った"、だったかしらね。きっとあの事ね)
ラディエット公爵領で狩猟大会が開催された時。
普段は王都に詰めてた父様も、上の兄様も領主館に戻っていて、そこでお客様を招いてのガーデンパーティーがあった。
わたくしやアシュリーをはじめ、お客様の子どもたちは別の場所で遊んでいたけれど、そんな中、子爵家の次男がアシュリーに花冠をプレゼントしたわ。
銀色の波打つ髪に、琥珀色の瞳。誰が見ても美少女のアシュリーに、見惚れる少年たちは多い。
その場では受け取ったアシュリーだったけれど、後で困ったようにわたくしに持ちかけて来た。
「義姉様、花冠を貰ってしまいました」
「そうね、良かったじゃない。って……アシュリーは嬉しくないかぁ──」
「花冠は義姉様のほうが似合うと思います」
「じゃあわたくしが貰いましょうか? 被せてくれる?」
「……いいえ、義姉様にはもっと華やかな花色が似合いますので、私に作らせてください」
「えええ?」
アシュリーは手にしていた花冠をそっちのけで、その後、わたくし用に自分で花冠を完成させた。
子爵令息の花冠、見る人が見れば、わたくしが奪ったように見えたのかもしれない。
身に覚えのある事ばかりだわ。
とはいえ、アシュリーが一緒に暮らした期間は短い。
あの子は早々に、隣国に引き取られて行ったから。
それを「追い出した」と曲解されるのは、甚だ不本意だ。
(もう十年以上経つのねぇ)
ほう、と溜め息がこぼれた。
で?
だからと言ってロッシュに非難され、婚約破棄を突き付けられる理由になるかしら。
身内の話よ?
むしろこちらの事情も知らず、介入してくるなと抗議したくなる。言ってもいいかしら。いいわよね。
わたくしが息を吸ってロッシュに向き直った時だった。
涼やかな声がわたくしたちの間に割って入った。
「ロッシュ・ベルクール伯爵令息」
「えっ、あ、は、はい?」
ロッシュが振り返った視線の先には、今夜の宴席に招かれた隣国レゼルヴの皇太子が立っている。
「突然申し訳ない。話が聞こえて、気になったものだから。私がこの場の証人になっても良いかな? 婚約破棄の意志は変わらないね?」
穏やかな微笑をたたえて、絶世の美青年がロッシュに問いかける。
味方を得たと思ったのか、それとも美貌の皇太子にやられたのか、半ばポーッとした表情で、ロッシュが応じる。
「あっ、あああ、はい。もちろんです! こんな性悪女と結婚するなんて冗談じゃないので」
室内の気温が、一気に下がった気がした。
皇太子が発する冷気と迫力が、まるで鋭い氷のように、その場の人間たちの肌を刺す。
厳格な声がロッシュに向けられた。
「ルデア嬢への侮辱は見逃せないな。私を怒らせたくなければ、その口を閉じることを勧める」
「へ?」
ロッシュはキョトンとした。
てっきり自分の味方だと思っていた皇太子の豹変ぶりに、彼は戸惑いを隠せないようだ。
(やれやれ)
わたくしはスイと進み出ると、ドレスを広げて腰をかがめた。
「レゼルヴのアシュリオン皇太子殿下に、ご挨拶申し上げます」
(相変わらず、綺麗な金の瞳……)
ウチの子ガモは、見違えるほど大きく育った。
鍛えてある身体は逞しく均整がとれていて、頼もしい。でもわたくしを見て嬉しそうに口角を上げる表情は、幼かった頃のままだ。アシュリー、もといアシュリオン皇太子は頬をほころばせ、温かな眼差しでわたくしを見る。
「義姉様、婚約が解消となったご様子で、誠に喜ばしく存じます」
「え、義姉……?」
ロッシュが小さく呟く。すぐ隣のベリエッタも訝しむように眉を顰めた。
(ベリエッタはまだ気づかないのかしら。こんな見事な銀髪、そうそうないと思うんだけど)
言ってやったら驚くだろう。
"あなたが虐めていたわたくしの義妹は、いま隣国で皇太子やってるわよ"、と。
そう。アシュリーに嫌がらせをしていたのは、わたくしよりもベリエッタだ。アシュリーのリボンをわざと汚したり、失敗したフリをしてお茶をかけたりしてたっけ。
リボンに興味がなく、わたくしの従姉という立場だからこそ、アシュリーが目こぼししてくれていたことを、ベリエッタはわかっていない。
今日、アシュリオン皇太子が出席してる宴席で、義妹アシュリーの話を持ち出してきたから、何か企んでいるのかと身構えたけど。まさか気づいてなかったとはね。
心の中で思うにとどめて、わたくしはアシュリーに言葉を返す。
「ちっとも喜ばしくないわ。行き遅れてしまうもの。父様が知ったらなんとおっしゃるか」
「行き遅れる事態にはならないでしょう。義姉様がフリーになったら、すぐに私が義姉様の結婚相手として名乗りをあげますから」
「もう。何を言っているの」
「私は本気です。ベルクール伯爵家が共同事業の担保として三つの鉱山と伯爵夫人の座を提供し、ラディエット公爵がこれを受けたと聞いた時、レゼルヴでどれだけ焦燥にかられたことか」
「あなたは、国の立て直しでそれどころじゃなかったでしょう?」
アシュリーは隣国レゼルヴの出身だ。
アシュリーの父である現皇帝は、皇太子時代、冤罪で家族もろとも逆賊として追い詰められたことがある。アシュリーの父は捕らえられ、家族は散り散りに。
その時アシュリーを匿い、女の子と偽って我が家に連れ込んだのが、わたくしの父ラディエット公爵だった。
わたくしの父とレゼルヴの現皇帝は、学生時代の親友だったらしい。
冤罪を晴らしたアシュリーの実父が、自分を嵌めた政敵を懲らしめ、アシュリーは本来の性別で自国に戻ることになったが。
宮廷に根深く張られた仇敵側の人間を一掃し、国内を安定させるまで、多忙を極めていたようだ。
諸々落ち着いて、国力を増強させ始めた近年、ウチの国の宴会に出席したようで、わたくしたちは久しぶりに再会した。
にしても、わたくしの結婚相手として名乗り出たいって、どこまで義理堅い子かしら。
「剥いちゃったことなら、もう時効でいいでしょう?」
頬を赤らめ、目を逸らしながらわたくしはかつての義妹に言う。
そもそも見られたほうが「責任をとります!」っておかしいわよ?
わたくしがアシュリーの青アザを案じ、全身を検分しようとした際、ちょっと……、わたくしにはないものを見つけてしまったのよね。そこからふんわりと事情を知った。
アシュリーは父様の不義の子どころか、まるで血のつながりがないことも。
ニコニコとわたくしのそばに立つアシュリーに、なんとなく落ち着かない、けれどソワソワと浮き立つ謎な気持ちを持て余して、わたくしは彼を見ることが出来ない。
何かしら。あっけにとられていた周りの人たちの空気が、徐々に生温かな温度に変わっていくのだけど。
「待って待って、ふたりで何の話をしているの?!」
ベリエッタが口をはさんだ。
「その通りだ。それに鉱山三つってどういうことだ?」
ロッシュが問いかける。ああ、まだいたんだったわ、この方たち。
「ご存知なかったのですか? あなた様の父君、ベルクール伯爵はわたくしを得てラディエット公爵家とつながるために、それだけ投資をされていたということ。その準備を息子に壊されたとお聞きになったら、さぞお怒りになることでしょうね」
「は? なっ──」
意味を噛み砕いたらしいロッシュが、今更ながら青ざめるけど、もう遅いわ。
「ま、待ってくれ。婚約破棄だなんて、冗談なんだ。宴会の余興として盛り上げようと思って──」
「冗談じゃなくて結構です。わたくしはあなた様のご意向、しかと受理しましたから」
従姉の口車に簡単に乗せられる婿なんて、危なっかしくてこの将来要らない。
わたくしが言い放つ横で、アシュリーが凄みをきかせた。
「先ほどの言葉を翻す気か? それは証人を買って出た、私の顔に泥を塗るということだが」
ああ、わたくしの可愛らしい子ガモが、なんだか猛禽類に育ってしまった。
「それに貴公が宴会を盛り上げる必要はない。それなら私が──今から求婚するから」
「えっ」
わたくしが驚いてアシュリーを見ると、彼は長身をスマートに膝折り、わたくしの手を取った。
「ルデア・ラディエット公爵令嬢。レゼルヴでも片時もあなたを忘れたことはありませんでした。願わくばこれからの人生を、あなたのそばで、あなたを見つめて、共に歩むことが出来ればと願っています。どうか私と結婚してください」
耳に心地よい低い声で、彼はそう言って、わたくしの手に軽く口づける。
見つめてくる金色の目が、子どもの頃以上に熱く、溶け出した太陽のように煌めいて、目を離すことが出来ない。
わたくしを心から求めてくれている。義理とか責任とかじゃなく、恋慕の情で。
アシュリーからの強い想いが伝わって来て、わたくしは耳まで赤く茹で上がった。
(やだ、何この色香! キュンキュンしちゃうじゃない!)
父様はきっと反対なさらないだろう。
それどころか立派に育ったラディエット家の末っ子アシュリーに、大喜びされるかも知れない。
こうしてわたくしは、義妹の元に嫁入りすることになった。ロッシュとベリエッタはそれなりに罰せられたらしい。平民になったらしいから、彼らのことはよく知らない。
義妹を虐めたわたくしの行く末は、隣国での溺愛生活だったわ!
お読みいただき有難うございました!
たまに…供給したくなるものがあります。"シスコン"と"美少女見えする男の子"。
そんなわけで自給自足のために書きました。でもご一緒に楽しんでいただけましたら嬉しいです!
なお、公爵家に来た時アシュリーがボロボロだったのは逃亡生活とカムフラージュのため、用心深さもそれまでの環境のせいという感じです。
アシュリーの性別、結構早いうちから気づかれたのではないでしょうか? 良かったら「ここでわかってたぜ」を教えてください。
(※早速の誤字報告有難うございます! 決めるシーンを誤字ってて赤面してます(〃ノωノ);)
お話をお気に召してくださったら、お星様にて応援いただけると、めっちゃ嬉しく励みになりますヾ(*´∀`*)ノ よろしくお願いします!